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「広島カキ」はどこで生まれたか−そしてどこへ行くのだろうか
<目 次>
干潟漁業の誕生と発展 干潟漁業の消滅−埋め立てと新しい養殖方法 カキを取り巻く状況の変化 21世紀へ フリートーク
仮事務局から
今回の話題提供は、決して日々過酷な労働に従事しておられるカキ業者さんを批判するものではなく、素人ながら故郷広島の海の再生を心から願う者の、机の上(文献)のみによる浅はかな学習の結果です。
なお、ここで広島の海とは、太田川の河口、つまり、主に広島市の沿岸を指しています。
広島の海といえば、「かき」(牡蠣)ですが、私たちはごく当たり前のように、目の前の海にカキ筏が並ぶ風景をながめ、この海は日本で一番カキがたくさんとれるところだ、と思って育ってきました。
しかし、一方で、濁ったゴミだらけの海面を見て、いくらカキには栄養が必要だ、といっても、こんな汚いところでカキが育つんだろうか、と不思議に思う方も少なくないのではないでしょうか。
「広島かき」は、太田川の恵みと広島という都市なしにはあり得ない、といわれます。この言葉がどんな意味を持つのか、ただ単に川の養分に富んだ水がカキが育つための栄養になっているということだけなのか、それともほかに何か意味があるのかでしょうか。
そしてそれが、太田川(の働き)と人の関わりが変わっていくにつれてどうなったのか、どんな問題を抱えているのか―。大変薄っぺらにではありますが、調べてみました。
原 哲之
かき生産量の推移
まず、かきの生産量の推移から見てみましょう。明治後半からたどると、昭和10年ごろまでは安定した収穫で、それが戦争中にいったん減ったことが分かります。
これは、軍国統制による労働力の不足、漁場利用の制約によるもののようです。
そして、終戦直後には壊滅状態であったのが、一転して、20年代後半から、爆発的に、高度経済成長に歩調を合わせて収穫量が増えています。
しかし、40年代前半にピークを迎えたのちは、50年代まで、減っては持ち直し、減っては持ち直しを繰り返し、60年代から今まで収穫が減り続けています。
今の激しい減り具合は、宮城県などの他の生産地にはみられない広島だけの状況のようです。
何か、社会・経済の変化に収穫量の変化が似ているようです。この辺りに、私たちが広島かきのことを考えるヒントが隠されているのかも知れません。
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