準備ニュース10
準備ニュース 9
準備ニュース 8
準備ニュース 7
準備ニュース 6

山本川でハゼの稚魚が大量死

「広島カキ」はどこへ行くのだろうか

「竜(龍)頭の瀧」

グループ活動紹介
「デポジット法制定ネットワーク広島」


投稿コーナー

掲示板

編集後記

準備ニュース 5
準備ニュース 4
準備ニュース 3
準備ニュース 2
準備ニュース 1
【準備ニュース6号】

「広島カキ」はどこで生まれたか−そしてどこへ行くのだろうか

21世紀へ

 ここのところのカキ養殖の衰退について、なんとかこの状況から抜け出そう、ということで、色々な原因(犯人)が考えられ(たとえば養殖のし過ぎ―密植であるとか)、対策が考えられています。業者さんにとっては、明日の生活がかかっていることですから、必死に一つ一つ手を打っておられるのが現状だと思います。しかし、僭越ながら、部外者が一歩はなれたところで考えると、
 
「現在の状況は、戦後干潟が消滅し、養殖方法も大量生産になり、経済効率だけを考えた生活と、川や広島市、港の開発などが複合して作用した、象徴的な現象、自然からの警告である」
 

と言わざるを得ないのではないでしょうか。

 しかし、マスコミ報道を見る限り、あくまでカキ漁業という一業界の問題としてしか議論がなされていないような気がします。危機打開の方策として、いかだの数を減らすことだとか、ほとんど漁業者が自分で解決すべき、という空気のようです。

 広島という漁場の目の前にある都市のあり方の問題としてはとらえられていない。
 カキ筏の目の前で、あれだけ埋め立てが進み、ひっきりなしに船が行き交い、水が汚れ、と言う状況にはほとんど触れられない。

 そして、いきなり話が飛躍して、もちろん大事だとは思いますが、水源の森の話になってしまう。森の再生の問題は、大事だけれども、何十年、何百年もかかることで、そういう話ばかり取り上げられると言うことは、最も近い原因、問題から目をそらすことになりかねません。

 最も近い問題、原因とは、漁師さんだけで解決するような問題ではなく、広島という都市のあり方そのもの、私たちの生活の仕方をどうするか、という問題ではないでしょうか。

 

「回復」への試み

 この土地で私たちが体験しているようなことは、世界中の多くの「内湾」と呼ばれるところでこの(20)世紀に起こっています。そして、すでに多くの地域で、これまでに行ってしまったことの反省に立って、破壊してしまったその土地本来の自然のシステムの回復を願った取り組みが始まっています。そのいくつかの例を紹介させて頂きます。
 

アメリカ チェサピーク湾の事例

 
この湾は、瀬戸内海のおよそ半分ほどの面積の大きな湾ですが、広島湾と同じく過度の富栄養化や貧酸素水の出現に悩まされています。1980年代には、カキを始めとする湾の重要な生物が急激に減少し始めました。そこで、プロジェクトチームが組まれ、現状を分析して、2000年までに、窒素とリンの負荷のうち、制御可能なものを1985年を基準として、40パーセント削減することを目標にして対策を講じました。その結果、少しずつ環境や資源の回復の兆しと考えられる変化が起こっています。そして、かつては沿岸全域で見られたカキ棚と藻場を回復させるための試験研究が開始されており、将来的には、藻場の生物生産とカキの成育が共存していた昔ながらの風景を取り戻すことを、プロジェクトの目標に置いています。
 

アメリカ ダンパ湾の事例 

 
この湾の大きさや人口は広島湾と同じぐらいで、1960年代から70年代にかけての人口増加や開発・埋め立てによって、湾の環境が悪化し、特に、1950年ごろに一帯に繁茂していた藻場が、壊滅的な打撃を受けてしまいしました。90年代に入って、行政・産業界・市民の緊密な連携のもと、湾の環境修復の課題を整理し、具体的な目標を決めて、それを達成するための基本戦略を練り上げました。まず、窒素の負荷の具体的な削減目標を定め、長期的な目標としては、湾内の藻場の面積を1950年代の広さにまで戻すことを目指しています。藻場の回復も、できるだけ自然に近い形状・植生を持つ水路や塩分の勾配を再現することに注意が払われ、少しずつではありますが、1982年以降、藻場の面積が増加しつつあります。
 

アメリカ サンフランシスコ湾の事例

 この湾では、1800年ごろに湾一帯に広がっていた湿地のおよそ9割が失われてしまい、こうした海岸線の変化を危惧した市民によって、1960年代から湾の開発の規制が進められました。そして、湾岸の生態系や生き物の棲みかを回復するための将来の目標を具体的に検討するためのプロジェクトが組まれ、まず、湾岸の環境の1800年ごろから現在に至る推移が明らかにされました。この結果に基づいて、湿地の面積を増やすことが目標とされました。湿地の回復作業は、土砂の堆積を人工的に加速すること以外は、できるだけ自然の潮の満ち干きに任せて時間をかけて、行われています。これは、今までの「インスタント・ウェットランド」に対する反省に立つものだといわれています。出来上がった湿地には、いくつかの絶滅危惧種の生息も確認されています。(「水産海洋研究」64巻1号より)

 


 アメリカの事例を紹介された方(中田 英昭先生)は、次のような印象を述べておられます。

 計画がとても具体的で、過去や現状を的確に分析した上で、分かりやすい目標を設定し、実践的である。ハイテクというより、自然の機能を生かした計画が中心になってきている。流域全体を含めた広域的なアプローチが基本になっている。現状や事業の効果をモニタリングする体制・ネットワークがしっかりしている。事業に市民各層が参加している。そして、今、日本で「環境修復」と謳われる事業の問題点として、様々な技術の開発・適用が先に立つ傾向が強く、対象とされる地域の環境がどのような経過を経て悪化してきたのか、その主な原因が何であったのかなど、過去の総括とそれを踏まえた明確な目標の設定が十分になされていないことを指摘しておられます。

 


 これらの事例を待つまでもなく、私たちの太田川とその河口である広島湾も、100年間の誤った点、行き過ぎた点を明らかにし、素直に反省して、回復へ動き出す時期に来ていることは言うまでもありません。素人考えかも知れませんが、この海の場合、やはりまず、昭和2
0年代ぐらいまで干潟が回復することと、貧酸素水が発生しないレベルまで悪影響が考えられるすべての物質の具体的な規制・削減が求められているのではないでしょうか。そして、できるなら、業者さん・関係者の暮らしがしっかりと保障された形で、カキ養殖も何年間か中断して、海底の浄化作業が行われる必要があるのではないでしょうか。


 (海の力はすごいもので、ある漁業が何らかの事情で何年間か中断すると、ほとんどの場合回復します。これは歴史が教えてくれています。戦争で漁業が中断し、海に人の手が入らなくなると、必ずといっていいほど漁場には生き物が戻ってきます。外国では資源の回復のためにこのようなやり方が行われることがありますし、日本でも、秋田県で3年間だったか、ハタハタを禁漁にして、それなりの成果をあげているようです。)

 

 
 しかし、私たちがよく考えなければならないのは、これから求められる修復作業は、今現に開発の片手間に行われている「環境創造」などとは根本的に異なるものだということです。
 日本でも、「ミチゲーション」(緩和)や「環境創造」と称して、どこかを埋め立てたりするかわりに藻場を植え替えたり、干潟を造成したりすることが試みられています。この海でも、出島沖の埋め立てをするかわりに、アマモを元宇品や似島地区に植え替えたり、五日市の八幡川の河口に人工干潟(「インスタント干潟」と呼ぶ人もいます)が造成されたりしています。しかしどちらも、アマモの付きが悪かったり、地盤が沈下したりして、上手くいっていません。自然の藻場や干潟は、そこに自然の微妙な必然性があるから藻場や干潟があるのであって、元々藻場や干潟でないところはその必然性がなく、人間がいじったぐらいのことで安定した藻場や干潟ができるはずもありません。人間にできることは、せいぜい干潟や藻場を作ろうとする自然の働きを根気よくお手伝いすることぐらいではないでしょうか。


 そして、日本のような自然の働きのきめの細かいところで、開発をしている傍らで藻を植え替えたぐらいのことで、何が守れるのでしょうか。外国の事例を読んでいて感じるのは、「昔には戻れない」と簡単には言わずに、何百年かかってもよいから、具体的なあるレベルまで回復することを目指そう、という、気の長い、しかし強い意志を持っておられることです。そして、それぞれの湾で、独自の計画を立てて行動していて、決して流行りすたりでやっているのではない、ということです。日本の場合、多くの事業のデザインが、その土地の抱える問題を徹底的に分析して、その土地なりに解決方法を探るというより、その時流行っている手法を適用しようとしているケースが非常に多いように見えます。自然にはその土地なりの特徴があり、それを上手く生かすには、中央からのお仕着せ的なプランでは無理ではないでしょうか。水系内で自立した問題意識と考え方、取り組みが求められているのではないでしょうか。

 極論・暴論を恐れず言えば、私たちのこの土地(水系)では、まず、現在進行中の開発事業もストップして、さらに戦後埋め立てられた土地のうち、可能な所の表面をはがして、太田川の働きで干潟や藻場が再生するのをお手伝いするような事業(干潟への転用)が、必要なのではないでしょうか。そして、海底をしっかり浄化し、汚染負荷を具体的な目標まで削減した上で、干潟や太田川の働きを生かした、持続可能な新しい養殖技術を開発するのが理想ではないでしょうか。こんな仕事こそ、これからの「公共事業」ではないでしょうか。

 しかし、状況は絶望的です。太田川の河口は、急深になる直前のところまで埋め立てられ、その沖合いに干潟が生まれることは不可能です。埋め立て地ではすでにその上で経済活動が展開されていて、そこを干潟に戻すことは荒唐無稽なお話かも知れません(ただし、山の上から見ていると、戦後の埋立地では土地が非常にゆったりと、余裕を広く持って使われているように見えます、居住地区になっているところは少なく、空き地も結構あるようです)。そして、干潟が出来て、維持されるような川作り、ということは、今の人間と川との関係、あり方を根本的に見直すことを意味しています。大量の土砂が流れてくるような川と、私たちの暮らしが共存できるでしょうか。養殖業の中断にしても、今の社会の漁業に対する認識からすれば、おとぎ話にすぎません。しかし、あと四ヶ月でやってくる、新しい世紀にも、今までと同じような方向性が許されているかは疑わしい限りです。
 

 先日、西中国山地のクマの研究家である、田中 幾太郎先生のお話を聴く機会がありました。
 そこで先生は、西中国山地のツキノワグマを守ることは、西中国山地の山そのものを守ることである、そしてそれは、広島や島根の水を守ることにつながる、とおっしゃっておられました。そして、クマを守るためには、私たち住民が、そして行政がどんな「哲学」を持つか、持たせるかにかかっている。「哲学」を持たなければ、クマを保護することでクマの出没に悩まされることになる住民に、決して被害が出ないように全力を尽くし、その一方でクマの生息域が回復するよう努力を続ける強い意志を持つことはできない、ともおっしゃっていました。
 

 生意気なことを言ってしまいますが、「広島かき」にも同じことが言えるのではないでしょうか。「広島かき」を守ることは、広島の海を守ることではないでしょうか。「広島かき」の行く末は、カキ業者さんだけの問題ではなく、この土地、水系がこれからどちらを向いて歩んでいくか、ということそのものであり、広島の都市計画、太田川水系の地域計画の問題そのものである、といえます。真の「回復」へ向けて、私たちはどんな「哲学」を持ち、行動することができるのでしょうか。
 

引用文献: 

「広島太田川デルタの漁業史」
、川上雅之、1976、
広島県水産試験場研究報告第11号、1981、
「水産海洋研究第」
64巻1号、2000、
「見つめよう・・・広島の山・川・海」
、環境読本編集委員会、1999、
「海からの伝言―新せとうち学」
、中国新聞社、1998、
「日本全国沿岸海洋誌」「ノリ養殖」、広島市教育委員会、1992、
「カキ養殖」、広島市教育委員会、1986、
「広島湾発達史」
、長野正孝、1982、
「漁業と環境」
、恒星社水産学シリーズ53、1984、
「灘―向洋・堀越・青崎」、広島市青崎学区郷土史研究会、1986、
「広島かき」
、広島かき出荷振興協議会、1977、
「広島カキ・ノリ養殖業のうつりかわり」、広島市、
「広島農林水産統計年報」
、昭和28年〜平成9−10年。



 干潟漁業の誕生と発展
 干潟漁業の消滅−埋め立てと新しい養殖方法
 カキを取り巻く状況の変化
 21世紀へ
 フリートーク
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。