準備ニュース10
準備ニュース 9
準備ニュース 8
準備ニュース 7
準備ニュース 6

山本川でハゼの稚魚が大量死

「広島カキ」はどこへ行くのだろうか

「竜(龍)頭の瀧」

グループ活動紹介
「デポジット法制定ネットワーク広島」


投稿コーナー

掲示板

編集後記

準備ニュース 5
準備ニュース 4
準備ニュース 3
準備ニュース 2
準備ニュース 1
【準備ニュース6号】

「広島カキ」はどこで生まれたか−そしてどこへ行くのだろうか

カキを取り巻く状況の変化

干潟の完全消滅

 筏式養殖が盛んになっていった頃、カキ養殖を取り巻く状況(太田川河口の環境)も大きく変わってきました。
 戦後、今度は商・工業都市として広島を拡大するために、埋め立てがさらに進められ、昭和20年代に残っていた干潟も、現在、太田川河口には皆無になってしましました。この埋め立てで、カキと並んで隆盛を誇ったノリ養殖は壊滅してしまいました。ある計算では、戦後太田川河口で失われた干潟はおよそ1000ヘクタール、水質浄化機能でいうと、10万人分の下水処理施設をつぶしてしまったことになります。
 
水質の富栄養価


 広島市の人口はどんどん増加し、暮らしのあり方も変わり(食生活の変化やし尿を田畑に返さなくなる、洗剤を大量に使用することなど)、また、工場の活動も盛んになり、都市排水や産業排水の量はけた違いに増え、質的にも、汚染が進んでいきました。特に昭和40年代後半に一応の法的な措置がされるまで、これらの排水は垂れ流しの状態が続き、太田川の河口はあっという間に汚染(富栄養化)されてしまいました。

 そのため、すでに昭和30年代には局地的な赤潮が度々発生するようになりました。カキにとって「富栄養化」は、栄養分が増えるので、ある意味でプラスの側面があるのですが、極度の富栄養化によって、昭和30年代の終わりごろから、養殖場の下であるとないとに関係なく、太田川河口付近の底層には夏場に貧酸素水が広く発生するようになり、慢性的に現在までこの状態は続いています。

 干潟がなく、汚染された水が浄化されることなく急に深いところに流れ込むことが、貧酸素水の形成を助長してしまいました。

 夏場は海底では魚などは棲めなくなり、また、秋になって海水が混ざり始めてこの水が上へ上がってくると、カキや魚が斃死することになります。また、貧酸素水にはリンや窒素が大量に溶けていて、赤潮を引き起こすこともあります。昭和30年代の終わりごろから赤潮や貧酸素水、ムラサキイガイやカサネカンザシなどの付着生物が増えて、カキの成長や肥満が遅れ始めたといいます。
 

 広島かきにとって最初の大ピンチは、昭和44年にやってきました。
 シャトネラという従来とは別種の赤潮が出た後、カサネカンザシが大発生して付着し、カキは呼吸も困難になって大量に死んでしまいました。この頃から、夏の間は汚染の進んだ太田川河口付近から、比較的汚染されていない沖合いに筏を避難し、収穫の1―2ヶ月前に栄養の多い沿岸に移動してカキの身入りを促進する方法が取られるようになりました。

 太田川の河口域での筏式養殖が順調だったのは最初の十年ほどで、あとは、汚染された海による被害を受けないようあの手この手で工夫しながら生産量を維持しようと努力が続けられてきています。

 そして、富栄養化が進んだこの海では、カキの大量生産と、筏に付着したり筏の下を棲みかにする生き物が汚染の除去(窒素やリンなどの除去など)に一役買っている、カキ養殖がなければ、水質の悪化がもっと進んでしまう、という状態にあるといいます。 しかし、一方で、養殖場の海底にはカキの排泄物などが大量に沈むことになってしまいます。

 
見えにくい汚染


 さらに始末が悪いことに、富栄養化という目に見えやすい汚染以外の、今の科学では計りにくい、これからどんな被害が起こるかも予測の付きにくい、様々な「汚染」が進行しているといわれています。

 その一つの例として、「有機スズ」という船底に生物が付着しないよう塗料に入れて使われてきた物質があります。この物質は、ほんのわずかの量でイボニシなどの貝類の体に異常を引き起こし、繁殖できなくしてしまう毒性があります。当然、人間への影響も危惧されています。
 「広島貝類談話会」という市民グループの調査では、有機スズの生産量は、世界的に1965年頃から急激に増えています。広島県は全国でも有数の造船地帯で、有機スズを大量に使っていた影響からか、1990年代の初頭には県の沿岸からイボニシの姿が消えてしまいました。そして、国内では、90年ごろに使用の法的・自主的な規制(全面禁止ではない)が行われました。


 しかし、問題は簡単ではありません。広島湾には有機スズの使用が禁止されていない外国船が入港しています。特に、平成に入って広島港が大規模重要港湾の指定を受けてから、外貿船の入港がじわじわと増えている可能性があります。数年前に「広島貝類談話会」が実施した調査では、広島湾(特に東部)の海底では非常に高い濃度の有機スズが検出されています。
 


 また、太田川でも、環境ホルモンとして疑われるある物質の濃度が、全国で3番目の高濃度で検出されたりと、「見えない汚染」は決して予断を許さない状況にありますが、これらの物質が、太田川や広島湾の生物、ひいては私たちにどんな影響を及ぼすのか、ほとんど分かっていません。ただいえるのは、水が澄んできたからといって、安心できるような世の中では決してない、ということです。
 
太田川の変化

 「広島かき」の母、太田川はどうでしょうか。

 この川では、昭和30年代に、ダム、発電所の建設が相次ぎました。このことで、河口へ流れる土砂の量が随分減ったと考えられます。そして、流域の住宅開発などによって川の水も富栄養化が進みました。昭和40年代後半には本流の下流には高瀬堰が、そして現在が温井ダムが建設されています。水源となる山々では、拡大造林によって広葉樹林が伐採されたり、松枯れが起こったりしています。

 しかし、こういったことが、河口の生き物たち、特にカキにどんな影響を及ぼしているかは、はっきりわかっていません。

 「森は海の恋人」とマスコミでよく取り上げられますが、その本当の意味は、長く海と川の変化を生活の一部として、肌で感じてこられた人にしか分からないのかも知れません。何しろ、同じ時期に河口の広島市の方でも様々な変化が起こっているので、何がどう作用しているかはっきりさせることは難しく、ただ、昔との比較で、やはりマイナスの影響の方が大変大きいだろう、と想像するしかありません。

 

水系全体の生態系の変化を考える必要がある 


 駆け足で、戦後から今までの、カキを取り巻く状況の変化を追いかけてみました。

 干潟の消滅、富栄養化、未だに作用がつかみきれていない有毒物質による汚染、川の変化、と、今回見てきただけでも実にたくさんのことが起こっています。およそ50年の間に集中してこれらのことが重ね合わさって起こると、太田川―河口の広島湾の生態系はどうなるのでしょうか。そして、カキにはどんな影響が出てくるのでしょうか。
 

 最近、カキの幼生の生き残り率が下がり、また、養殖するために幼生を集める(採苗)作業が難しくなっているといいます(採苗不順)。また、カキ筏に付着するムラサキイガイの斃死が見られている、ともいいます。水系全体の生態系の仕組み自体が変わってしまった可能性を指摘している人もいます。

 こういった変化を暗示しているものとして、広島湾の赤潮生物の変化が挙げられます。

 昭和30年代は、珪藻類の赤潮が主だったのが、40年代にシャトネラの赤潮が発生し、その後は渦鞭毛藻の赤潮が被害を引き起こすようになります。そして、平成になると、毎年マスコミを騒がせる貝毒プランクトン(アレキサンドリウム)、さらにカキに大被害をもたらしたヘテロカプサ、と被害を起こす赤潮の種類が変わり、毒性が強くなっているようです。

 そして、奇妙なことに、赤潮の種類は、高瀬堰や温井ダムといった、太田川で大規模な工事が行われている時に、変わっていっているように見えます。これは単なる偶然かもしれませんが、山・川・海を一つにとらえた総合的な調査、分析をする必要があるのではないでしょうか。
 

 干潟漁業の誕生と発展
 干潟漁業の消滅−埋め立てと新しい養殖方法
 カキを取り巻く状況の変化
 21世紀へ
 フリートーク
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。