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インタビュー「サツキマス」のこと

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【準備ニュース10号】

インタビュー サツキマスのこと

 さる11月12日、SALMOプロジェクト主催のサツキマス幼魚の放流会に参加した。
 太田川にくらす生き物の興味深い暮らしや現状について、スタッフの斎藤 譲一さんにお聞きした。
 以下にインタビューの模様(一部)をご紹介する(SALMOプロジェクトについては、「ぐるーぷ活動紹介」を参考にして下さい)。なお、は斎藤さん、は編集子である。(原 哲之)
 

●何故降海するアマゴと川に残るアマゴがいるのか?

H:
「アマゴが降海するの(サツキマス)としないの(陸封型)に分かれる分岐点はなんですか。」
 
S:「サツキマスから採ったタネが全部降海するかというと、そうでもないし、残留型のアマゴから採ったタネが全然降海しないかというと、また違うし。種の保存のためにどこかで保険をかける、そういう感じだと思います。残留型が産卵して種を保存するけど、何かあったらいけないんで降海する、二通りの保険のかけあいをしているんじゃないかと思います。

 縄張りを持てる魚というのは降海しないです。最初に孵化した魚というのは、早く成長しますよね、そいつらが縄張りを持つわけですよ、その次に孵化したやつが、その上下にまた縄張りを持つ、最後に孵化したやつが、大体最初と一月ぐらい違いますから、それが縄張りがもてないんで、徐々に下に下がっていくわけですよ、そういうやつが、海に下るみたいです。餌が食えないんで、群れになって下っていく、一番弱いのは他の魚の餌になるのが当然なんだけど、降海するという保険をかけているみたいです。」

H: 「ダムがあると、そこに降りるのと、そうでないのに分かれるわけですよね。」

S:「ダムが海の代わりになるわけです。鮎でもそうですよね。小瀬川では、ダムの上で産卵して、子供がダムを回遊して、上ってくるのがいますよね、琵琶湖と同じ状態を作っているみたいです。最近はどうか分りませんが。」

H:「太田川ではないんですか。」

S:「吉和川はどうなのかな。立岩ダムの堰堤のちょっと上流のほうに、取水口があるじゃないですか、秋口になると、全部あそこへ入ってミンチになるという話です、だから難しいんじゃないかな。」

H:「アマゴが太田川の上流で降海するのとしないのに分かれますよね、それはオスメスは関係ないんですか。」 

S:「メスの方が多いですよね。オスはものすごく少ない。秋口に下って翌春戻って秋に産卵しますよね、そうすると河川に残留しとるのと、卵の数がほぼ一定になるんです。残留型が大体五年か六年、四回か五回産卵する、その数と、大体一匹のサツキマスが産卵する数が一緒ですよね、よくできたもんで、種の保存のためにはメスが下ったほうがいい、オスは川にほとんどが残留してます。

 よそではヤモメとか言うじゃないですか。河川に春口から秋口にとどまっとるのは、ほとんどオスだということで。それでヤモメというんですよ。小さいオスでも精子の量は間に合うわけで、わざわざ降海してでかくなって上ってこんでもいいということじゃないですか。」

H:「年によって、ようけ降海するとかそういうのはあるんですか。」

S:「あるでしょうね。秋口にでた水の量とかね。夏場の水温が異常に高いときとか、そういうのがあると、降海率が高くなるとかはあるでしょうね。植物なんかでも、猛暑の時なんかは次の年コブシが満開になりますよね。あれは体が弱るから、種を保存するためにそうするんだと、思います。普通のときだと全部が全部咲かないんですよ。植物も動物もほとんど種の保存ということだけで、活動しているんじゃないかと思います。」
 

サツキマスの旅MAP

●サツキマスの旅

H:
「降り始めると、どういうふうに降りていくんですか。」

S:
「今のところ個人的な推測の域を出てないんですが、中流域まで降りてくると、小さいやつらで群れを作りますよね。で、降海するために体が銀色になります。グアニンを出して、それが出る前の時点で背びれと尾びれに黒い模様がつきます、ツマグロといいますが。それが降海準備が出来た魚だということです。その段階になると、安芸飯室からもうちょっと下のほうまで、いると思います。十二月頃になると、可部のほうまで来てますよね。」

H:「その頃になると、体の方にまた変化が現われますか?」

S:
「完全に銀色になって目がまえのほうについて、昔ほど体型は変わらんけど、昔は本当に、細長い、鰯みたいな状態だったんです。背中がエメラルド色で目がまえのほうについて、パーマークがほとんど見えんぐらい銀毛だったんですけどね、そのタイプがいなくなったみたいですね。」

H:「それが太田川の本来のものだったんですね。」

S:「そうですね。それが、今はもうほとんどアマゴの状態で、銀毛も薄くって、ツマグロだけでてるんです。

 長良川だと一月にはまだシラメ釣りというのがあって、降海するためにスクールして下っていっているのを釣る漁法がありますよね。あれが二月ぐらいまで続くんだから、三月ぐらいに降海ですかね。多分長良川だと二月の末から三月ぐらいですよ、海に入るのが。」

H:「太田川では可部の辺からどういうふうに下っていくんですか?」

S:
「安芸大橋近辺で海水馴致するんじゃないですか。大潮の時はあの辺までが塩水楔があがります。海水馴致をするのに一週間から十日かかります。そこで死ぬ率が高いみたいです。完全に海水馴致して、新月のときに一気に下りよるんです。」

H:「それはどうやって調べちゃったんです?」

S:
「釣りと、昼間スクールするとき、あの魚は昼間深いところにおらんのですよ。表層に浮いておるんですよ。ちょこちょこ食べながら回るんで、双眼鏡を持ってみてまわったりしています。秋口に強い雨がでると、早めに、強制的に海水馴致してしまうんですよ。そうするとサイズ的にもサクラマスに近いサイズになると思う。だけど、今は川に水がないから。」

H:「海に入った時点ではどのくらいの大きさになっているんですか。」

S:
「十五センチ弱ぐらいじゃないかな、それが一月の末ぐらいに降海していると思うんですが、四月の末から五月で四十センチクラスになる、三、四ヶ月でそのくらいになる。成長率はすごいよね。海は餌の量が多いんでしょうね。太田川から降りてきて、阿多田近辺をまわるやつと、音戸から能美近辺あの辺をまわる二つのグループがあるようです。シラス網、バッチ網の漁師さんに聞くと、やっぱりサツキマスの幼魚が入ってるんですよ。シラスの群れと同じ回遊ルートをたどっているみたいですね。」

H:「回帰はどういうふうにするんですか。」

S:
「回帰マスの専門の方のお話では、放流された場所にとりあえず戻ってくるということでした。鮭なんかと違ってね。

 でも全部が全部そうじゃないみたいです。錦川のほうにも、結構太田川の魚が入ってますよ。
 一時、各団体でマーキングして放流してたんですよ。それを見とると、こっちの魚が向うで産卵しているのが、けっこうありましたよ。強いパイロット的な魚がいれば、だいぶついて行くみたいですよ。
 阿多田近辺で混ざり合って、ほかの河川からも、八幡川からも昔、ある程度降りてましたからね、魚切ダムができるまでは。小瀬川もです、いまはだめでしょうけど。あっちこっちで混ざって、強いパイロット的なやつが引っ張ってまわるんです。太田川を遡上するのは、太田川橋の発電用放水口から出ている水が随分水温が低いから、放水口へ入ってしまうのが多いんですよ。」

H:「河口付近まで下りた魚は全部海に入るんですか?」

S:
「いや、そうじゃないです。高瀬の堰とか、安芸大橋あたりで大きくなって遡上するのもいます。餌が豊富だったり、降海する能力がなかったらそうなります。最後までテリトリーを持とうとするんですよ。こいつらは。降海せずに。安芸大橋とか可部の辺でも餌の豊富な場所があったら、やーめた、とそこへ定住してしまう。で、水温の上昇によってどんどん上流へ上がっていく。サイズ的には海に入ったのとあんまり変わらない。」

H:「下りだしたら海まで降りにゃあいかんということではないわけですか。」

S:
「全部が全部じゃないみたい。だから、全域でそういうやーめたというのがあるから、面白い。鮭科の魚は中流域に餌が豊富だと止まる魚が多いみたいですよ。ジャックサーモンというのがあるでしょう、小形の成魚の。あれなんかも中間に止まってしまう、『戻り』みたいな感じです。」

H:「不思議ですね、どういう分岐点でどうなるのか・・・。」


S:「河川によって全部違うんじゃないかと思います。これがすべてだというのはないと思いますよ。」
 

●ゴギについて

H:
「ゴギはイワナですよね。」

S:
「イワナです。イワナ類は最上流域でしょ、氷河期前後に上って、陸封されてしまったやつですよね。ゴギとほとんど同じタイプにニッコウイワナというのがおるんですよ、そのニッコウイワナなんかでも、生息域の上限域で、あまり混ざってないところのニッコウイワナを見ると、ゴギと一緒ですよ。

 ゴギの特徴は、頭頂部に白い斑点があって、ほかの魚にはないというんだけど、ニッコウイワナでも、タイプによって、頭頂部に斑点があるわけですよ、だから、別種じゃないと思うんじゃけどね。」

H:「交流があったわけじゃないけど、進化の過程でそうなったという・・・。」

S:
「そうです。だから、同時期に上ったか、中国地方の方が早く上ったか、早く上って陸封されて独自の形を作って、隣の地域では別の種が上がったんだけど、何かの形で死滅して、あとから別のヤマトイワナのような種が入って、ゴギ域の隣がヤマトイワナ域になって、離れたところにニッコウイワナ域があって、というふうになったんかも知れんね。」

H:「元々いるやつというのは、太田川にもようけ谷がありますが、谷ごとにちょっとずつ違ったりするんですか。」

S:
「違いますね。腹が黄色だったり、オレンジだったり、そこの河川形態で変わってくるんですけどね。河川の魚というのは、みなその河川で独自の形態を作ってきて、一河川一亜種みたいな形になるんですよ。だから、釣りたいがためにどこもかしこも放流してまわるというのは考えものですよね。」
 

●アユについて

:「アユのことを教えて欲しいんですが、太田川でも秋に河口に下りて子供を産んで、次の年小さいのが結構上がってくるんですか。」

S:
「上がってますよ、安芸大橋の上のほうが太田川の産卵床になってますからね。あそこらへんで産卵して、それから下っていって、広島湾を回遊して、四月から五月に上がってくるんじゃけえね。結構あがってますよ、春先に高瀬の堰なんかみたら、ちゅんちゅん上ってますからね。」

H:「アユも太田川の原種がいますか。」

S:
「アユだけは分らんよね、あれだけごちゃ混ぜになった魚も少ないんじゃない。

 海産だったら、九州とか四国とかのが来て、琵琶湖のが入ってきて、それだけじゃなしにあっちこっちのが入って、中間育成のもおって、混ぜられまわしとるけえ、全国的にもう分らんのじゃないかね、あれが一番ひどいいうたらひどいよね。アユというのは『国際魚』じゃろ(笑)。奄美大島とか沖縄に琉球アユというのがあるけど、あれだけでしょうね、原種に近いのは。」

H:「よく聞くのが、アユの味が落ちたとか、香りがせんとか、うるかがまずいとか、・・・。」

S:「珪藻の種類でしょう。それと、中間育成で、小さい頃から油脂ばっかり与えとるけえ、体内に脂を蓄積してしもうておいしゅうないんよ。何百種類ある珪藻の中で、おいしい珪藻はごくごく限られとるけんね、成長も違うと思う。

 私らこの近辺でいちばんおいしいと思うたのは、山口の錦川の上流の宇佐川のアユ、あそこはおいしい、珪藻もいいし、川虫もしっかりついとる。川虫も珪藻をくうけえね。やっぱり、そういうものがしっかりおるところはええ珪藻がついてますよ。太田川のアユは病気ばっかりですね。」
 

川の魚たちが危ない

H:「僕は海で働いっとったもので、川で魚を放してから釣って喜ぶというのは分らんのですよ。ああいうのは、自然に来た魚を獲るのが面白いんで・・・。川というのは、鮎もそうですけど、放流のウエイトが大きいじゃないですか。海だと放流しても屁にもならんですからね。失礼かもしれませんが、放流したものを釣って何が面白いんかな、というのがあるんですよ。やっぱり放さんでも強いええ魚が釣れる、川本来の・・・。」

S:「釣れんよりは釣れた方がいいという主義なんですよ。私らでも放流はしたくないです。自然に、魚が往来して繁殖する場所があるのが一番いい。」

H:「上ってくる鮎の方が地元の川で育っているから体も強いんじゃないですか。」

S:
「養殖でやると、やっぱり人間が与える飼料だけだったらビタミン類とか微量成分が摂れないでしょう。それが体内に入ってないんで、弱さが出てくる、そこらへんをちょっと考えんといけんです。」

H:「日本のほとんどの河川がそういう状況だということですか。よその魚が入ってきて、原種というか、もともとその川におったタイプがいなくなったという・・・」

S:
「そうです。もとを絶たれつつあるという感じです。今、高津川がいいというのは、自然遡上がすごい多いからですよね。病気も少ないし。ああいう状態がどこの河川でもできるはずなんですがね。鮎なんか、太田川のキャパ以上の量が入ってますからね。それで、病気はおこすは、成長不良もおこしてますよね。5センチぐらいで卵を持っている鮎がいるぐらいですよね。」

H:「ダムとか出来て、一番上のほうから下るやつがおれんようになったというのは、もともとの種自体には影響が及んでるんですかね。」


S:「それはあると思いますね。だから、自分たちで自分たちの体を変える魚もでてきますよね、たとえばカジカだったら、川に横断物ができて降海出来なくなって、淡水域だけに対応して生活しとるの(大卵型)もおるもんね。生きないといけないんだから、しょうがないよね。だから、水が汚いから、何でこんな魚がいるんか、いうぐらいの河川でも自分たちは動けんのだから、ぎりぎり自分たちの体を変化させて、生きていってるみたいよ。人間が大丈夫、まだ大丈夫というのは、全然大丈夫じゃないみたいよ。」

H:「アマゴなんかでもそうですか?」

S:
「原種に近いのがこの中国山地のアマゴにしても、おるかどうかよね。」

H:「それは、よそから来たやつに淘汰されるということですか。」

S:「淘汰されてしまうね。だから、山陰なんかのヤマメ域にアマゴを放流したら、アマゴのほうが力的に、水温的にもヤマメよりも強いよね、ヤマメの上限よりアマゴの方が高いとか、そういうのがありますよね。そんなんでのしてきたんじゃないかな。」

H:「アマゴとヤマメはどう違うんですか。」

S:「ほとんど一緒で、地域性みたいなものじゃないか、ともいわれています。昔、井伏鱒二さんが書いていたのは、広島から中国地方にも、ヤマメらしき魚がいる。関東のヤマメとの違いは、側線上が真っ赤だ、と。普通朱点があるのがアマゴだといわれるんですが、あれは太田川本来の姿じゃないみたいです。三重の鈴鹿山脈、あの辺から養殖するタネを引っ張ってきたみたいです、長良川のと一緒に。向うの魚は朱点があったらしいですよ。戸河内の辺の小さい沢に入って、原種に近いやつを釣ってみると側線上が真っ赤になっているだけなんですよ、点がないんですよ。そういうのが何匹も釣れるんです。完全に砂防ダムとかでせき止められて隔離された状態の魚はそういうのが多いですよ。井伏さんの文章と一致しているんですよね。」

H:「よその川のアマゴを放流するようになったのはなんでですか。」

S:
「河川改修とか、橋とか、高速がついたりとか、そうすると川を荒らしたりして原種が減って、そのために義務放流のような形でやったんでしょう。」

H:「それまでは、原種みたいなんがおったわけですか。太田川は昭和30年代に電源開発されてますよね。」

S:「堰を作って、水を取る、それで魚の往来ができんようになったんで、いう事だと思います。それまでは、太田川は全国でもトップクラスのサツキマスの多い川だったんでしょう。」

H:「なんか、昭和の初期でも大正の頃でも鮎でも他の魚でも莫大獲れたという記録があるみたいですね。」

S:
「他のところと比べて、河川の形成が古いじゃないですか。そして花崗岩帯でしょう。水としては、いいのができるし、上流域の木を伐採してないし水量も確保されてましたから。」

H:「今の太田川では、漁でかなりの収入を得られるような川じゃないですよね。昔はなんかすごかったといいますが。専業漁師ができるぐらいだったという話ですよね。」

S:「いろんな魚がおってね。魚種としてはすごい多いですよ。そんな良い川がね。建設省が指定するのも分りますよ、河川としては一番痛んだ河川ですから、川の機能を果たしていない河川の一つですからね。」
 

●川はとてもデリケートで弱い―回復の時代へ

H:
「そういう意味で、海より川のほうが破壊が激しいですよね、海はだだっ広くて、人間の力なんか知れていて、汚染でやられることはあっても、種自体が破壊されるようなことはあまりないですから。」

S:「源流に近いところというのは手を入れやすい、破壊しやすいですよね。もとをたどれば狭い川の上流でしょう。水の量も少ないし、手を加えるのは簡単ですよね、堰き止めるのも楽だし。」

H:「そうですね。今みたいに土木の機械力があったら、簡単ですよね。上流にいくほど細くなるわけじゃけえ、いじくりやすい。そういえば、今度温井ダムが完成すると中流域の流量が増えるということですよね。」

S:「その水が、どっから出るか、ということですよ。ダムの水は水質が変わりますから。放水を開始した時から追跡すべきですよね。」

H:「僕は水質の調査を始めたんですが、中断しています。ずっと追いかけておくべきだなと思うんですよ、時々調べてどうこういっても意味はないですからね。今の段階から、ため始めて、本格的に稼動するまでずっと追っかけていくとええんだろうけど・・・。」

S:
「川沿いに住んでいる方にお願いしてみるとええんじゃないかね。」

H:「本当は、水の使い方でもちょっと気をつければ、温井ダムどころか高瀬堰までいらないかもしれません。渇水になって、島の人たちが大変だという時は使えばいいんですが、普段はなくてもいいんですよ。広島の場合、日常の節水意識がないですよね。福岡なんかと比べたら、水の一人あたりの使用量が一日で50リットルぐらい多いんじゃないですか。その50リットル分を節約すれば、高瀬堰までいらんようになるんですよ。」

S:「水や電気の使い方がすごいですよね。夜中になんで電気を使わにゃあならんのか、とめときゃあええじゃない。でね、広島みたいな川で、本当は砂州じゃないですか全部、その砂州で、ただ単に今川をここに流れているから、ここから洪水を出すまあ、といろいろ細工をしても、これは川にしては砂州全体が川であって、どう流れようが、自由なのが本来の姿ですよね。」

H:「可部から下流はそうですよね。」

S:
「そういう形のものなのにね・・・。でも今度河川法が変わったから、真っ直ぐに流すんじゃなくて、ちょっと氾濫させて、広げてやろうというやり方もでてきてますよね。」

H:「じゃけど、本当は広島なんか、可部から下流の砂がたまったところの大きさからすると、せいぜい四十万人も住めればいいところじゃないですか。でも、こんだけ住んでいたら、そんなことは出来んですよね。」

S:「そこらへんが問題ですよね。昔はこの辺(東観音)なんかすぐ水が出よったもん。」

H:「川内の方の古い家は、家が高く造ってありますよね、あれは、溢れることを想定して造ってあるということですよね。あそこらへんは、川がたまに溢れてくれるもんで、土が肥沃で野菜の産地になってると聞いたことがあります。」

S:
「溢れささんと土は肥えませんよ、あれだけ栄養分が流れてくるんだから。」

H:「今の広島の街は、そういうような話に持っていけるような状態じゃないですよね。ところで、最近は多自然型工法が流行ってますよね。

S:
「今まで治水のためにセメント・ブロックで積みあげたよね。それが大体済んだんですよ、ダムも九割方造ったでしょう、だから今度はそれを潰して多自然型工法で護岸にしようということでしょ。」

H:「その川を、その土地土地本来の姿を、どう回復させるか、ということじゃないんですよね、外国のやり方の真似が多い。昔の人が川にあわせて、『水はね』とかを造っていたのとはちょっと違いますよね。」

S:
「私は高津川を調べていたけど、聖牛(ひじりうし)とか、木工沈床とか、河畔林とか蛇籠とか残ってましたが、いまだにそれを使ってますからね。」

H:「太田川の場合は、花崗岩のあるところだから、山県方面に石工さんがたくさんいて、その技術を使った工法があったようですね。そういうのと今のやり方をマッチさせるんなら分るんですけど、そうじゃないですよね。川の本来の形に、川を尊敬するというか、自然としての川の力を尊敬して折り合いをつけるという考え方ではなくて、なんかの工事をしなくちゃあいかんから、次は多自然型という感じがあります。

 僕は、これからは水や電気をできるだけ使わない生活を考えて、いかに過去に造ったダムや水路を取り除いていくか、だと思います。一個や二個ダムや水路があるのは仕方がないとしても、今はどう考えてもやりすぎでしょう。ただ、ダムや堰を撤去すると、かなり長い間下流は壊滅的な被害を受けるだろうから、そこまで計算に入れた計画が必要ですよね。その点、ドイツなんかのやり方が参考になるのかも知れません。」


S:
「五十年百年計画で植林したり、川をもとの状態に戻したり、やっぱり黒い森とかでええ経験をしとるからね。酸性雨のことなんかでもものすごいやっとるじゃない。」

H:「自分らが破壊してきたこともちゃんと研究するんですよね。どうやって破壊したか。それに基づいてやるんですよね。魚の研究一つをとっても、百何十年間ずーっと同じデータを採るようなことをしますから、で、そういうデータを採ることが仕事として成り立つようすごく大事にするんだけど、日本の場合、本当は百年、二百年の考え方でやらんと分らんことでも、五年ぐらいですぐ予算がつかんようになりますから。欧米では埋め立てなんかいろんなことをやりすぎたというのがあるんで、これから五十年百年計画で干潟を、人工干潟とかじゃなしに、川の流れを使って回復させるというのがもうかなり前から始まっとるんですよね。」

S:
「上流にダムがあると砂が出てこんよね。」

H:「水系全体で、総合的にやるべきですよね。あっちの場合は、水系全体できちっと調べて、ちゃんと目標を決めるんですよね、干潟の面積を今より何十パーセント増やすとか。僕も失業者の一人ですけど、景気が悪いとかいっても、五十年百年計画で考えたら、やることはいっぱいありそうな気がするんですけどね。」

S:
「日本人は、まだ、自分たちが冒した自然というのはないと思っているから。ヨーロッパなんか略奪の文化じゃけえね。略奪した中で、自分たちが得た教訓というのは大きいよね。いろんな物を絶滅させていってる。その教訓は大きいよね。」 
 
 
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