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第7回

 連載 海から陸を眺めれば −森里海連環学事始め− 上野 正博

第7回 ちょっと気になること
2006年 7月 第63号

◎ちょっと気になること

 若狭の川を巡る調査を始めて、もう3年余り。学生なら卒論から初めて修士論文を書き終えた辺りなんで、ちょっといっぱしの口をきいても許されるかなというこの頃、とても気になることがあります。
 
◎「とにかく川辺に人影がない」

 平均して月に3、4日は川辺で調査をしていますし、朝夕の通勤は由良川、その支流の八田川、そして主な調査フィールドの伊佐津川とおよそ20キロばかり川沿いの道を車で走っています。でも、人影を見ることはまれ。今の季節はアユを狙う釣り人がちらほらいます。でも、この道を通い始めて15年ですが、その釣り人もどんどん高齢化し減っているようです。

 ちゃんと記録を取ったわけではないのですが、3年間延べ150日くらいの調査で、川辺で魚を獲ったり泳いだりしている子供たちに出会ったのは、せいぜい5回くらい。平日の昼間なので、そのせいもあるのでしょうが、それにしても少ない。私は小学生の頃、夏の間はたいてい水辺で遊んでいたのですが、同じような子供のグループがそこら中にいたし、何を釣っているのかワカラン閑人のオッちゃんもたくさんいたような気がします。

 私が育ったのは名神高速道路の豊中インターチェンジ近く。小学校の低学年の頃に遊び場だった川や田んぼの上でインターの工事が始まり、6年生の時に日本初の高速道路が開通。開通までのインターは格好のローラースケート場でしたが、隣の小学校の子がインターの坂道を滑り降りるという大冒険に挑戦。見事に大転倒をして大けがをしてからは追い出されたような記憶が…。
話が横に行ってしまいましたが、高度経済成長の最盛期で日本の海や川は汚れ放題、田んぼにはパラチオンなんていう猛毒の農薬、誤って素手で触って命を落とされたお百姓さんがたくさんおられた、が当たり前のように撒かれていた時代だったのですが、子どもたちはみんな水辺で遊ぶのが大好きだった。大人たちも鷹揚なモノで、せいぜい「帽子かぶって行きや」とか「赤旗の立っている田んぼに入ったらアカン」くらいで送り出してくれた。
 
 
 その頃から水質を調べられていた川はそう多くはないのですが、東京や大阪など大都会の川については結構古くからデータがあります。それらのデータを見ると、どの川も50年代の高度経済成長の始まりと共にどんどん汚くなり、60年代に入ると汚れに強い鯉や鮒も住めなくなっています。
汚れがピークに達したのは大坂で万博が開かれた70年。この年の暮れに水質汚濁防止法が制定され翌年施行されると状況は一変します。あれよあれよって感じできれいになり、10年後の80年には日本のほとんどの川でアユが暮らせる清流に生まれ変わります。
まあ、アユって魚はかなり汚染に強いのですが、それにしても魚が住めなかった70年代後半の川の汚れってなんだったんでしょうね。

 で、その一番汚かった頃に私たちの世代は水辺で遊んでたんですよねぇ。現在、高度経済成長期に比べて格段にきれいで安全になった水辺に人の姿がない。なぜなんでしょう。

 テレビゲームの普及とか、事故・犯罪への恐怖とか、子供が外で遊ばない原因については色々と取りざたされています。最近だと紫外線による皮膚ガンの心配とかもありそうですね。でも、一番の理由は親の世代が外遊びの経験がないことではないでしょうか。今の親世代は第二次ベビーブーマー、私たち第一次ベビーブーマーの子供世代になります。私たちの世代といえばゼンガクレンとかゼンキョウトウ。おまけに、小学校の頃から公害問題が顕在化し始め、公害や環境問題にも敏感にならざるを得なかった。野山とくにいろんなものを集めて流す川は汚くて危険ってイメージがすごく強くなってしまったので、子ども達を川から遠ざけてしまったのではないでしょうか。そのために第二次ベビーブーマー世代は川で遊ぶ楽しさも知らず、当然のことながらその子供世代にもそういう楽しさは受け継がれなかった。
 
 
 と、ここまで書いてきてなんか違和感が…。心の中で「そういう面もあるけど、それだけではないよなぁ」って声がしています。
私は子供に恵まれなかったのですが、15年くらい前まで夏休みになると友人たちが子供を連れてよく実験所に来ていました。で、この子供たちが恐ろしく不活発。親が釣り竿を用意すれば釣りをし、貝堀りの用意をすればアサリを獲って、一応は楽しそう。でも、目を離しているといつの間にか宿泊所のテレビの前で座ってる。親がお膳立てをしない限り自分たちは何もしないで行儀良く退屈そうに待っている。
子供って、子犬と同じで何人か一緒にいれば勝手に遊び回っていると思っていた私にはかなりショックな光景でした。
親たちは海や山の楽しさを伝えようとしていて、子供たちもそれを面白そうにしているのに、あっちを向いてこちらに向き直った途端に退屈している。どうも、うまく表現できないのですが、そんな感じ。
 

 たぶん、その頃からテレビが「感動」とか「癒し」とかって言葉をやたらと喚き散らすようになったように思うのです。それに、スポーツ中継の絶叫。それ以前だと小西得郎さんあたりが「こんなゲームをお客さんに見せてはプロとは言えませんねぇ」って解説していたような試合でも、「一方的に敗れたとはいえ、○○投手が最終回をピシッと締めましたね。感動ありがとう」みたいな放送が普通になってしまった。で、たまに学生たちと野球やサッカーを見ていると、大方の学生がこういう中継を素直に喜んでいるんですよねぇ。私が「点差が開いたし、みんな早く終わりたかったんやろ」みたいなことを言うと、一瞬にして座が凍りつく。
遊び方も判断も全部テレビに任せているといったら言い過ぎでしょうか。何をやってもすぐに退屈して取りあえずテレビを見て素直に喜んでいる、こういう子供たちが親になっているんで、これはもうどうしょうもないのかなぁ。
 

 さて、半年のお約束で始めたこの連載も7回目。今回で一区切りということで、畑違いの問題に取り組んでみたのですが、やはり手に余ったようでかなり苦労して割には何を言いたいのか良く分からん始末。ただ、もっとも身近な環境の一つである川と私たちの暮らしがあまりいも離れてしまっている現状を何とかしなくてはと書いてみたのですが。

 子供たちを川に呼び戻すことができるだろうかってことに関して、私はかなり悲観的です。
色々と理由はあるのですが、もっとも直截には、川の調査を一日やってると、足も腕も草や小石でできた切り傷だらけ、ひどい虫さされもしばしば。蚊に刺されただけでも大騒ぎしている今の親御さんたちが、我が子をそういうところに喜んで送り出すとはとうてい思えないのです。
残るは親水公園やキャンプ場のような「制御されたきれいな自然」での疑似体験しかないのでしょうか。

 
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