<目次>
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回

 連載 海から陸を眺めれば −森里海連環学事始め− 上野 正博

第6回  海から少子化問題を考えると
2006年 6月 第62号

◎海から少子化問題を考えると

 この20年ばかり、来るべき少子高齢化社会に備えてと機会あるごとに議論がされ、各種施策も打ち出されてきました。しかし、予想よりも早く日本の人口は減少に転じ、このままではえらいことになると、最近ではマスコミに少子化の話題が昇らない日はまずありませんね。その視点も、かつてのとにかく産めよ増やせよから、一人ひとりの生活や福祉の視点に立った人間中心の社会の仕組みを作る事で、子供を産み育てたいと思うような社会にしていこうと変わってきています。そういう風に社会の仕組みを変えていこうということに異存はありません。でも、海の生物や漁業を見ていると、この狭い日本、いや地球の上にこんなに人類が蔓延ることが許されるのだろうかと思ってしまうのです。

人類についての環境収容力

 ある生物がある場所を目一杯うまく利用している時に、その場所で暮らすことのできる個体数を環境収容力といいます。たとえば、ある干潟に生息可能なアサリの最大個体数というようなものです。いったい地球の上に、あるいは日本列島の上にどれだけの人間が暮らせるのかを少し考えてみましょう。


 「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)っていうとても面白い本があります。まずはこの本から始めましょう。

イワシやアジはたくさんいますけどマグロは少ししかいませんね。このように生息密度は体の大きさに反比例します。いろんな哺乳類を平均すると、体の大きさを体重(キログラム)で表した時には、平方キロメートルあたりの生息密度は(体重のマイナス0.9乗)の55倍くらいになるのだそうです。
人類の平均体重を60キロとすると、この式から計算される人口密度は平方キロメートル当たり1.4人。ふつう大型の哺乳類はだいたい環境収容力に近い状態で暮らしているらしいので、ここらが自然状態での地球上における人類の環境収容力と考えてもケタ違いに外れていることは少ないでしょう。

 人類の大きさの哺乳類が自然に暮らしていける人口密度は1.4人、それに地球上で普通に人類が暮らすことのできる土地の面積をかけるとおよそ2億人。これはだいたい紀元元年の頃の人口なのだそうです。すでにローマ帝国の時代ですから地域によっては文明がかなり進んでいたはず、でも、まだ人がほとんど暮らしていない地域もあったようですから、世界平均だとこんなものでしょう。現在、世界の人口密度は47人、日本は340人ですから、当時に比べると、世界でおよそ30倍、日本人は250倍もたくさんいるわけです。

 ところで、現在の人口密度にふさわしい体重を逆算してみると、世界の方は1キロですから小さなウサギくらい、日本の方は100グラムあまりなのでモグラくらいの大きさの動物の生育密度ってことになります。因みに広島市の人口は113万人、可住地面積が280平方キロなので人口密度は4000人。体重を逆算するとわずか10グラムで、ハツカネズミくらい!かつて、日本人の住まいはウサギ小屋と蔑まされていましたが、実は、人類一人あたりの専有面積で見ると、世界平均でウサギなみ。日本の都市住民はハツカネズミなみって次第です。
 
◎江戸時代は「農の時代」

 「それを人類は文明の力で克服し、ここまで発展してきたんじゃないか」って反論が聞こえてきそうですね。確かに。そこで、次の推定です。図Aは日本の人口の推移、平安時代の終わりに700万人くらいだったのが江戸時代の始まる頃には1200万人くらいに増えます。500年間で500万人のぞうかですからゆっくりしたモノです。ところが江戸時代が始まってから100年余りで急増し3000万人を越えます。でも。ここから明治の初めまでの150年間、ほとんど変化しないのです。生態学的には、そのときの条件で決まる環境収容力にかなり近いところで安定して推移しているように見えます。


 江戸時代は鎖国なんかして文明が停滞していたからと、学校で教わった方が多いのではないでしょうか。でも、最近では江戸時代を「農の時代」として捉え直そうという方が増えています。


 江戸時代後半の日本の人口密度はおよそ80人、現在のヨーロッパ(32人)や北米(21人)を遥かにしのぐ人口密度を支える事の出来る農業技術を機械も農薬もなしに確立していたのです。しかも、鎖国をしているのですからほぼ完全な循環型農業です。
江戸時代の農業が、小作農や貧農に過酷な労働を強いていたって側面は確かにあるのですが、循環型社会で到達しうる頂点にかなり近づいていたと考える方がよいように思います。
 そんな風に考えると江戸時代の3000万人台って人口は、循環型社会における日本の環境収容力にかなり近いでしょう。明治に入り人口は再び増加を始め、昭和の初めには6000万人を越えますが、その間、日清・日露と戦争を続け、7000万人を越えた昭和10年代に太平洋戦争に突入。つまり、明治の文明開化で工業化と貿易が始まり循環型社会が綻び、国土の広さに比べて過剰になった人口を何とかする為に侵略戦争を繰り返したって見方も出来そうです。
 

◎もうこれ以上増やせない漁獲量


 図Cは1960年から2000年までの世界の漁獲量の推移です。まず注目していただきたいのは白まるで示した底魚類。ヒラメ・カレイ・タラなどの底魚類の漁獲量は、70年代半ばに年間2000万トンを越えたところで頭打ち。これに対して、黒丸のイワシやサバなどの浮き魚類は順調に伸びていましたが、こちらも80年代後半に4000万トンを越えたところで頭打ち。世界中の海から獲れる漁獲量はこの20年くらい。まるで増えていません。地球の表面積の7割以上は海。その広大な海に暮らす魚介類を人類は既に20年前から目一杯利用しているってわけです。
 
 
 世界の人口は現在65億人。発展途上国では爆発的に増加し続けていて今世紀後半には100億人に達すると予想されています。一方で、新たに開発される農地面積はほぼ頭打ち、一人当たりの農地面積は既に減り始めています。現在でも、飢餓に苦しむ人々がたくさんいるのに食糧問題がさらに深刻になるのは必至です。「海は広いんや新しい漁場の開発で何とかなるさ」なんて楽観的な人もいます。でも、残念ながらほとんど望みはありません。
 

 日本の食料自給率は、御承知のように世界でもダントツの最下位。私が子供の頃には100%を越えていた水産物も、平成16年には自給率55%。飼料用などの非食用も含めると45%しかありません。現在は発展途上国との圧倒的な経済格差を利用して世界中から買い漁ることが出来ます。

 でも、中国やインドのめざましい経済発展とそれに後押しされた食料輸入量の急増を見れば、こんなことがいつまでも出来る訳はありません。

 食料などの資源を確保する為に、現在の日本人は日本の国土のおよそ5倍以上の面積を使って暮らしているといわれます。人類すべてが日本人と同じように暮らすには、地球が2、3個は必要って試算もあります。地球上の人類だってかなり無茶苦茶に多いのですが、その中でも日本人の蔓延りようはかなりひどいものと云われても仕方がないのです。

 どうでしょう。これでもなんとか人口を減らさないようにするべきだと思われますか。子孫が食糧確保に苦しむくらいないら、年金とか保険が少々減ってもいいじゃないですか。地球上の限られた資源を世界中の人達と共有していくためには、少々貧乏になってもいいじゃないですか。江戸時代の3000万人っていうのはまぁ無理としても、目標を6000万人くらいにおいて、どうすれば無理なくその人口に減らすことが出来るかを考えるべき時代ではないでしょうか。

 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。