<目次>
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回

 連載 海から陸を眺めれば −森里海連環学事始め− 上野 正博

第1回 海は大きなゴミ箱
2006年 1月 第57号


 2004年の写真家脇山功さん、2005年は丹那の元漁師川上清さんと続いた「海」シリーズ。今年は京都大学フィールド科学教育研究センター舞鶴水産実験所の上野正博さんに登場願うことになりました。
 最近は、環・太田川のホームページから入会される方もいらっしゃいますが、実はこのホームページを制作・管理されている方が上野先生。何の因果かと本人が仰る「環・太田川」とのつながりは故原哲之さん。徹底した現場主義の学問を目指す上野先生のお眼鏡に適った原さんとは子弟を越えたお付き合いだったと聞いています。
 海に関する豊富なエッセイに加えて、拝金、効率、業績主義がまかり通る大学教育の現状についてもお話が消えそうです。乞う期待! (編集部)
 


 「森は海の恋人」を合言葉に、最近たくさんの漁師さんが植林活動に取り組んでいます。「漁民の森づくり」と呼ばれるこの事業に取り組んだのは、平成16年度には都道府県事業として28県、水産庁事業として20県(重複を含む)ですから、海に面した都道府県のほとんどで漁師さんが山に木を植えていることになります。

 たしかに海の生物生産を支えているのは陸がもたらす豊富な栄養といろんな元素。氷が溶けて川の水がたくさん流れ込む北極圏や沿岸部は植物プランクトンがいっぱい。これに対して陸からの栄養補給が少ない南の海は青く透き通ってきれいだけど、生物はとても少ないのです。
 

 海はなんで塩辛い


 陸から海に運ばれるのは窒素やリンなどの栄養素だけではありません。海の塩辛さの元になるマグネシウムやナトリウムなど、海に溶けている元素のほとんどは長い年月をかけて陸から流れ込んできたものなのです。世界中の海に含まれているいろんな元素の総量を陸から毎年流れ込んでくる量で割ると、元素によって違うのですが、およそ2万年から3億年くらいかかって現在の海にある元素の量になる・・・ちょっと変ですね?

 地球科学の研究が始まった19世紀から、この手の試算は何度もされてきました。その結果は地球の海の始まりはせいぜい数億年前。でも、どう考えても水中で暮らしていた生物の化石は、6億年以上前の前カンブリア紀の地層からもいっぱい出てきます。
 
 なぜ海の塩辛さはあまり変わらないか

 最近の研究では短くても過去6億年、ひょっとすると30億年くらい前から、海に含まれる元素の濃度はほとんど変わっていないそうです。たくさん流れ込んだ元素はどこへ行ったのでしょう。実は、毎年、大量に流れ込む元素はほとんどが海底に堆積していきます。このために海に溶けている元素の量は変わらないのです。

 代表選手はカルシウムと炭酸ガス、陸から海に流れ込むカルシウムと大気から海に溶け込む炭酸ガスは、貝や珊瑚が炭酸カルシウムの形で貝殻や珊瑚礁を作るためにどんどん消費されます。死骸は海底に堆積していき、数十万年後に化石となるか、数千万年以上たって石灰岩となるかは色々ですが、海底が隆起するなどして再び地上に顔を出すまで海底に堆積されます。
 
大きなゴミ箱のお陰で
成り立つ陸上生態系


 陸から流れ込んできた余分なものを海が海底にしまってくれるおかげで、陸上生物の暮らしは成り立っています。窒素やリン、カルシウム、亜鉛、鉄…。どれをとっても生物が暮らしていく上でなくてはなりません。でも、どれかが多すぎてもダメ!!

 たとえば、カルシウムは骨を作るだけではなく細胞の間の情報伝達をになう大切な物質です。でも、体内の濃度が少し高くなると植物は光合成ができなくなくて育たないし、動物は意識不明になってしまいます。栄養はバランスが大事なのです。

 炭酸ガスも同様、40億年前に地球が誕生したことの大気は99%以上の炭酸ガスを含み、とうてい生物が生存できる状態ではなかったと考えられています。その炭酸ガスを海は溶かし込み、最初は化学反応で海中に生物が誕生してからはより効率の良い生物反応で海底にしまい込んだのです。30億年以上もかかって炭酸ガスを大気から海に取り込んだおかげで、陸上の生態系は花開くことができたわけ。

 雨が洗い流して川が海に運んだ陸上の余分な元素を、海底にしまってくれる海は地球上に暮らすすべての生き物にとって大きなゴミ箱のようなものです。石油の大量消費で成り立っている私たちの暮らしは、海底にしまってあるゴミ(石油は主には炭酸ガスを取り込んで増えたプランクトンの死骸からできています)を掘り起こしてばら撒いているようなものですから、いろんな環境問題が起こるのは、まぁ、当たり前。
 

 
 昨春亡くなった原哲之さんが、私の勤める京大舞鶴水産実験所に初めて姿を見せてからもう20年。どんどんつまらなくなる大学に失望した原さんが「もう、やめじゃ」と三重県で漁師になって10年…。若手教員だった私は、辞める勇気もないままにずるずると齢を重ね、ふと「定年まで後、何年」と指折り数える齢に。

 大学には原さんが忌み嫌っていたエセ業績主義の嵐が吹き荒れ、一昔前なら研究の中間報告にもならない論文が飛び交い、先頃、世界中をにぎわした韓国の某教授ほどではないにしろ、皆、肩で息しながら目を血走らせて業績を稼がないといけないご時世。

 水産実験所とか臨海実験所、陸の方では農場とか演習林、浮世離れしていた大学の中でもさらに僻地に(隔地施設っていいます)のほほんと暮らしていた私たちもその嵐には逆らえず、生き残りを図るべく統合。

 で、3年前の国立大学法人化に前後し、なんとかセンター(京大ではフィールド科学教育研究センター)が各地に誕生。半世紀以上に亘ってなんの接点もなかった、それもまぁおかしいのだけど、森の研究者と海の研究者を一緒にしてしまった。しかも、統合したからにはそれにふさわしい総合的な研究領域を開拓せよとの条件付き。

 かくして森里海連環学(大学によって名前は多少違いますが)の誕生って次第になったのです。こういう研究に大学が取り組み始めたことは良いことなんですが…。でも、悪いことには、森の研究者はほとんどが植物学者、海の研究者はほとんどが動物学者なんですよねぇ。どちらも生物学をやっていることに違いはないのですが、この違いは傍目に見るよりずっと大きくて、頓珍漢とか喧嘩腰の議論になることもしばしば。そのあたりはこの連載で機会があればご紹介しましょう。

 それ以上に海の研究者である私が驚いたのは、森に携わる人は、林業家も研究者も、ほとんど海のことを意識していないってこと。漁師にせよ研究者にせよ、海に携わっている人にとっては、川が流れ込んでいるかいないかとか、その川がどんな状態かって大問題なので、川の源を作り出す森にも無関心ではいられないのですが。

 この駄文の前半は、そういう森の研究者に海が森に及ぼす恩恵を考えてもらおうと何年か前に書いたものを少し手直ししたものです。これからしばらくの間、森里そして海の関わりをご紹介していきましょう。紹介していきましょう。
 
 参考HP:京都大学フィールド科学教育研究センター
 
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