<目次>
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回

 連載 海から陸を眺めれば −森里海連環学事始め− 上野 正博

第2回 河口は大事なフィルター
2006年 2月 第58号


 2003年「阪神18年ぶりの優勝!」で5000人以上のファンが飛び込んだ道頓堀。昼間見ればとんでもなく汚いドブ川ですね。では、どうして道頓堀はドブ川なのでしょう。大阪の街の真ん中を流れている排水路やから当たり前?もちろんそうなのですが、それだけではありません。

 実は、有機物による汚れの指標である生物学的酸素消費量で見ると、現在の道頓堀川はほぼ3mg/g程度、アユやサケが暮らす清流の水準に近いのです。でも、見た目はドブ川、なぜこんなことがおこるのでしょう。

 阪神ファンが飛び込んだ戎橋の上から川面を眺めると、ときどき川が逆向きに流れていることに気がつきます。戎橋は海からおよそ5キロ、でも川底の標高は0mかそれ以下なので、上げ潮の時は海水が遡って逆に流れるのです。河口近くのこういうところを感潮域といいます。

 道頓堀だけでなく河口の近くではドブ臭くて嫌なにおいのする川が多いですね。西舞鶴を流れる高野川では西舞鶴駅近くのほんの100mばかりの間で川の濁り方が、がらっと変わります。河口近くで感潮域になったとたん、急に濁ってしまうのです。
 

 一見きれいに見える川の水をビーカーに汲み、そこにきれいな海水を注ぐと、あ〜ら不思議。白く濁ってやがてビーカーの底には沈殿ができます。凝集反応とか綿状沈殿と呼ばれるこういう現象がなぜ起こるのか、まだよく分かっていないのですが、川の水に含まれる目に見えない微小な物質が海水に含まれるイオンと化学反応を起こして凝集し大きな粒を作って沈殿するという説が一番有力です。

 感潮域では潮の満ち干きによって時には逆流するくらい川の流れが遅くなります。このために流下してきた物質は滞留し高濃度になります。この滞留した物質が凝集反応して大きな粒になるために、水は濁りドブ川になってしまうのです。大きな粒は重くて沈みやすいので、川底に沈殿しヘドロとなります。

 でも、滞留と凝集そして沈殿の相乗効果で、川から海に流れ込む物質をヘドロに変えてストップ。川底にたまったヘドロから発生する硫化水素やメタンガスが臭いの素なので、ドブ臭さはフィルターがよく働いている証拠なのです。どのくらいの物質が感潮域で沈殿させられるかは、物質の性質や川の地形で色々ですが、条件が良ければ9割以上という報告もあります。

 感潮域の川底に溜まったヘドロは大雨で水かさが増えた時に流されて里海に排出されます。洪水は厄介者ですが、川の底に溜まった汚れを海に洗い流す大事な役目を果たしているのです。
 
 
 上流にダムができた途端に川がすごく汚くなったって話がよくありますね。ダムや用水堰の抱える問題はたくさんあるのですが、その一つが掃流効果と呼ばれる川底を洗い流す能力が低下することです。ダムや用水堰ができると川の最大流速や流量は目に見えて減少します。まぁ、流量調整やら用水取水が目的なので、当たり前。

 流れがショボクなれば掃流効果が低下するのもこれまた当然で、その影響は川全体に及びます。特に、感潮域では海の水と川の水がせめぎ合っているので、川の流量が減れば川の水はますます滞留し溜まったヘドロが洗い流される機会はグンと小さくなります。

 それどころか、地形によっては感潮域がどんどん上流に遡ることもあります。つまり、ヘドロが沈殿する範囲が広がるのです。ダムの影響ではありませんが、私がいる舞鶴市は由良川って川の河口から20キロ上流のところから水道源水をとっています。由良川の感潮域は、普段は河口から十数キロ。でも、渇水期には水道源水の取水口付近まで遡るので、この期間は川を横断する膨張膜が幾重にも張られます。
 
 実は、この春から、この由良川感潮域の研究に本格的に取り組みます。一昨年の台風23号の洪水でバスが水没して一躍有名になった由良川は、感潮域が長いことでも日本有数なのです。でも、その感潮域の環境と生物はほとんど調べられていません。そこでというわけなのですが、実働部隊は私と二人の留学生。英語が大の苦手な私はちょっと不安です。
 
 さて、河口域で沈殿しなかった物質は植物プランクトンに利用され水に溶けている形から粒子状に変化(プランクトンになるってことです)、死骸は里海の海底に沈みます。こうして河口域と里海の2段階にフィルターがあるおかげで、外海はきれいなのです。

 でも、たくさんの汚れが降り積もる里海の海底は大変。ある程度の量までなら海底に暮らすナマコなんかの格好の餌になるのですが、それも程度問題。海底に貯まった有機物を微生物が分解するときに酸素を消費するため、海水が上下に混ざりにくい夏に海底近くの酸素が無くなってしまうのです。
 

 舞鶴市は人口9万人、日本海側の地方都市としては大きな方です。でも、峠を挟んだ城下町だった西舞鶴と軍港だった(今でもすが)東舞鶴の2つの市街地を無理矢理くっつけた街。余談ですが、東舞鶴には呉で暮らす方が多いので、広島方言の影響がかなりあるそうで、亡くなった原さんが喜んでいました。呉の地酒の千福なんかが普通に酒屋に並んでいます。

 その東舞鶴は人口5万人足らずですが、入り組んだ湾奥にあることもあって地先の東舞鶴湾は毎年、夏になると繰り返し貧酸素水に海底が覆われます。水深4、5メートルくらいまでの浅場は、少し風が吹くとかき混ぜられて海面から酸素が補給されるので、まだマシ。長期間に渡って貧酸素水に覆われるそれより深いところは生物がまったくいない死の海になってしまいます。

 
 かつて、河口域には広大な干潟や水深数メートルの浅場が広がっていました。こういうところには、たくさんの微生物が繁殖し川から流れ込んでくる汚れをせっせと分解していました。さらに、分解された窒素やリンを栄養にして微細藻類や海藻が繁殖し、それを食べるアサリやナマコなどがたくさんいたのです。

 このアサリやナマコを漁獲すれば、陸から海に流れ込んだ汚れをまた陸に戻せるのでめでたしめでたし…だったのですが、開発の名の下に浅場や干潟は埋立てられたり掘られたり、かつての河口域が持っていた海の浄化能力は大きくダウンしています。

 東舞鶴湾でも四半世紀前くらいまでは、年間100トン以上のアサリやナマコが捕れたのですが、いまは10トンいくかいかないか。この間にフェリー埠頭の建設で浅場を半分くらい埋め立て、残った浅場のさらに半分を航路浚渫で掘ったので浅場の面積は4分の1。
一方で下水処理が進み、東舞鶴湾もそこに流れ込む川も水質が格段に良くなっているのです。下水処理を一生懸命に進めていても海はちっともきれいにならないっていうのは、いま、行政にとっても研究者にとっても大問題なので、別の機会に詳しく考えてみましょう。


 でも、こういうことを大胆につなげ合わせて推理すると、こんなことがいえそうな気がします。

 かつての川は河口のフィルターで溜まった汚れを、適当に起こる洪水が押し流し、その汚れの多くは河口域で浄化されていた。いまは、たまにしかない洪水の時に大量に溜まった汚れが一気に流れ出し、浅場が少なくなった里海の海底に降り注ぐ。降り注ぐ汚れが多すぎるので、海底は貧酸素の死の海になる。どんなものでしょう?
 
 
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