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【準備ニュース8号】

芸北神楽と太田川


 広島県は神楽どころとして全国に知られている。特に太田川上流域は神楽の盛んな所で、凡そ150を越す神楽団があり「芸北神楽」と呼ばれ人々に親しまれている。


 この芸北神楽が誕生する以前、太田川上流域には広島の先駆的神楽が行なわれていた。

 たとえば、加計には岩戸神楽があった。正徳五年(1715)にこの岩戸神楽を京都で演じたところ大反響だったらしい。加計・長尾社では宝暦四年(1754)に湯立神楽(広島県無形文化財指定)を奉納している。

 筒賀・大歳社では寛延四年(1751)に神楽を演じていた。また加計・筒賀と同じ神楽は戸河内でも行なわれていた。太田川上流域はまさに広島の神楽センターだったのである。

 神楽は御神楽・一夜神楽・小神楽と呼ばれ村々の神社の祭礼に奉納されていた。まず湯立をしてから神々を勧請し、八ツ花や荒平舞など種々の神楽を楽しんだ。悪霊・邪霊が人々の暮らしを脅かさないよう、王子舞や将軍舞などで舞い納めていた。

 加計・堀八神社にはその頃使用していた神楽衣装や神楽面が保存されている。太田川上流域には神楽を中心にした「神楽文化」が花開いていたのである。

 明治初年頃から、太田川上流域一帯に石見地方(島根県邑智郡石見町)の神楽が入ってきた。この神楽は「旧舞」と呼ばれ根を下ろしていった。

 第二次大戦後に、この旧舞から八調子の「新舞」が誕生した。昭和40年頃から旧舞・新舞は村々から飛び出し、都会の人々にも親しまれるようになった。これらの神楽は「芸北神楽」と呼ばれ全国に知れわたっていったのである。この芸北神楽誕生・発展の基礎となったのが太田川上流域にあった神楽文化であった。
 


 
「天の岩戸」
 
「塵倫」


 芸北神楽誕生・発展の基礎となった神楽文化がどうして太田川上流域一帯に繁栄したのだろうか。太田川と密接な関係があると思われる。オリエント地方の話を引用する。


 エジプト文明やメソポタミア文明は、ナイル川やチグリス・ユーフラテス川の恵みによって誕生・発展した文明である。文化や文明は川とともに生まれ栄えるものだ。

 1975年に、シリアのテル・マルディークから炎上した古代都市遺跡が姿を現わした。古代エブラ王国である。このエブラ王国はオロンテス川の恵みによって生まれ栄えた文明であることが、発見された17,000枚におよぶ粘土板文書から明らかとなった。

 オロンテス川はレバノン山脈から発しシリア西部を北流して、トルコのアンタオキアを経て地中海に流入している。この川の上流域はレバノン杉や落葉ナラの鬱蒼と茂る森に蔽われていた。そのためオロンテス川は豊かな清流であったようだ。この清流オロンテス川の恵みによってエブラ王国は文化の華を咲かせたのである。

 エブラ王国は清流オロンテス川によって誕生・繁栄した。それと同じように、太田川上流域の神楽文化も太田川の恵みによって誕生・繁栄したに違いない。

 この神楽文化が生まれ栄えた頃、太田川は流量豊富で周辺には広葉樹の深い森が広がっていたのだろう。今日人々によって親しまれている芸北神楽は、太田川と深いつながりがあるのである。芸北神楽が人々にいつまでも親しまれるためにも、太田川はきれいな川であって欲しいものである。
 

三村 泰臣(広島工業大学:哲学)
 
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