太田川
市民フォーラム


基調講演


プロローグ


第一部
・太田川と広島カキの将来

・アユ資源の復活を目指して

第二部
・ダム(発電など)の負担を減らし、アユの自然な遡上の回復を!

・流域圏の環境保全と共生のありかた

・太田川河川整備懇談会における検討状況(治水を中心として)

・太田川の水質と「鮎とカキがよろこび、泳ぎ遊べる太田川」

太田川再生プロジェクト検討委員会〜委員からの発言から〜

太田川再生市民フォーラム〜太田川の未来を語ろう〜(2008年 4月 別刷り)

基調講演 秋葉忠利 広島市長

●太田川再生!市民フォーラム 2008.4.6広島市まちづくり市民交流プラザ
 基調講演 わたしの太田川への想い 秋葉忠利(広島市長)

 今日は私の太田川についての「想い亅というか、そういうことをお話しようと思います。ここにお出での方々は皆、太田川について関心をお持ちの方々だろうと思いますし、川についての経験や知識は私よりも豊富にお持ちだと思いますので、具体的なデータとか学問的なことや実体験という面は、皆さんから教えていただく立場ですのでそれは割愛して、どういう経緯で私か太田川に関心を持っているのか、そんな所をお話させていただきたいと思います。



平和宣言と太田川の循環

 最初に、基本的、概念的なところでお話しさせていただきたいのですが、これが2000年の平和宣言の一部です。改めて読みますと「広島の目指す万人のふる里には、豊かな森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には、理性と良心、そして共感の船が行きかい、やがて希望と未来の海に到達します。」

 全然これとは関係ないのですが、「船が行き交い」という「行き交い」を英語でどう訳すかというと、これはPLY(プライ)というのです。「船が行き交い」というのが英語でもひとつの単語になっている。ということはどの文化でも川が人間の生活にとって本質的であった。単語一つをとってもそういうことが分かります。

 それで、平和宣言で述べようとしていることは、時の経過というか、被爆体験の流れ、被爆体験が基になってどういうことが起ころうとしているのか、そこに大事なことを言おうとしているわけですけれど、それを表現するのに「川」が適切な比喩の舞台になっているというところが、ある意味で「川」の本質的な意味を表しているのではないか、と思います。

 ここでは、その後のことですね、「希望と未来の海に到達」するんですけれど、蒸発して、雨が降って、森で集められて川にまた戻ってくるという、その循環が背後にあるわけですけれど、その循環については、平和宣言では全部について触れていませんけれど、そういった考えが平和宣言の基本にはにはあります。

 その循環に関して、もう一一つ… 人間社会の進化の中で、非常に重要な問いがあるのですが、「卵が先か、鶏が先か?」正解はどちらでしょうか? 鷄は卵から孵ったわけですから、その卵は鶏が産んだ、その前は…?でもどこかに最初があったはずですから、それはどっちが先立ったのか?という話です。ご存知の方、いらっしゃいますか?

 これも川に関係があるんですけれど、答えは… 循環が先にあるんです。「卵と鶏」という循環ですね。「循環」そのものが進化をしてきている。鷄=鳥ができる前は恐竜だったわけですが、恐竜も卵を産みますけど、「恐竜が先か、卵が先か」同じことなんですけど、そういうことで、「循環」が進化をしてきているということなんですが、ここでもやはり「川」の大事な側面である「循環」ということがやはり生物の進化、人間のあり方、そのものに非常に大事だということがお分かりいただけると思います。



太田川との出会いは「原爆の子」


 それから「太田川」についていえば、私の太田川との最初の出会いというのは、それがこの映像ですが、これは昭和28年の写真ですが、私かはじめて太田川を見たのは映画の中です。1952年(昭・27)にできた映画で、「原爆の子」という進藤兼人監督が作った映画ですが、その最初のシーンが元安橋か、相生橋から川に子供達が飛び込んでいる。それは、原爆前の広島の日常生活ということで、初めて太田川を見ました。

 その当時私は千葉に住んでいましたから、千葉は浅瀬の干潟が非常にきれいな所なんですけれども、遠浅の海なのでとても海に飛び込むことはできない。こういう景色あるというのは・・・飛び込める川があるというのは、子供にとっては天国みたいな所だと思いました。その天国が原爆によって一瞬の内に地獄になってしまうということでショックを受けましたけれど、私が平和宣言でモデルとして取り上げた太田川というのには、本質的な関連があった、少なくとも私の中では関連があったということを最初に申し上げておきたいと思います。


 その昔の太田川、そして今の太田川を大雑把に比べてみると、左側に使い方が書いてありますけど、「飲み水」「農業用水」「漁業用水」「市民が親しむ水」「船による上下の交流=舟運」「輸送手段としての川」。そういう風にわけられます。この中で飲み水は利用人口が圧倒的に増えています。

 先年水道管が破裂して呉市、江田島市で水が利用できなくなったということがありましたが、いまでは広島だけでなく呉や島の方まで、太田川の水が使われている、利用人口が増えました。それから工業用水として使われるようになったのは比較的近年のことです。農業用水は今も使われていますが、それから水力発電、これは中国電力の発電力のうちの約8%ということですけれど、それでもずいぶんの多量の水を使っています。

 「漁業用水」、これは質、量共に大変大きな問題が生じています。それから市民が親しむ水ということですけれど、江戸時代に作られた「雁木」が今も残っていて、正確な数は300以上ですね、最近の数字は少し増えたようですが、これは「雁木組」その他の皆さんからお話があるかと思いますが、江戸時代にはすべての雁木が使われていたはずですが、現在では余り使われていなくなっているということで、それも私たちが水辺から遠のいている一つの象徴になっていると思います。

 それから「船」も同じですが、「アユ」も堰ができて、なかなか交流ができない。ダムができるともっと大きな阻害になるわけですが、大雑把に考えるとこういうことになります、

 「太田川の再生」というのは、こういった様々な変化をどういう風に、「川のあるべき姿」最初に言った、「自然の循環」の中にどう取り戻すのか?ということが主題になってくるのだと思います。

治水と災害対策も考えて…

 とはいえ、もう一つ「治水」ですね。「台風や大水」それも関連しますが、そういうことを含めて、安全にかつ、私たちの本来の目的である「川と親しみ、川と生きる、そして川を中心にした文化を作っていく」というために、どうこれを変えていったらいいのか、というところが主題になる、それを議論していただくために「太田川再生プロジェクト検討委員会」を開いて皆さんの知恵をお借りしたいということで、3月末に最終の委員会が行われました。そこで得られた結論、それも残念なことに、広島市は太田川について全ての権限をもっているわけではありません。

太田川抜きに広島の活性化はない

 一級河川ですから、国が管理をすることになっています。そういう管轄権が違うんですけれど、しかし、市として太田川について発言しなくてはいけないというのは、太田川流域のデルタ地域内では、河畔から250 m以内ぐらいに住んでいる人の割合が人口の3分の1ぐらいですね。ですから生活と密接な存在であるということ、それから「治水」の視点もありますし、さらには「水の都、広島」ということを考えると、太田川抜きに広島の活性化を考えることはできない。そういった立場から、広島市が中心になって、太田川を再生させる必要がある。権限はないけれども私たちの声で川を変えていこうということが中心的な考え方です。

昔の太田川のどこを復活させるか?

 そのために大雑把に太田川について振り返ってみたいと思います。
 広島市の河川ですが、先ず3つの河川水系があるというところから…ひとつが太田川水系、八幡川水系、瀬之川水系があると、これはその中で太田川水系が重要であるということをしめした地図です。
 その太田川ですが、デルタの中に6本の川があります。ここで昔はよかったという写真がてにはいったのでここでご紹介します。

 昔のままにもどすのがいいのか、昔のよかった川のどこを復活させればいいのか、というあたりを前向きに考えていただきたい。全部は言いませんけれど、皆さん、お考えになってください。それで、下に書いてある「グチにならないように」グチではなくて建設的な提案をするために振り返ってみたいと思います。



子供達が泳げる太田川

 これは先ほど見ていただいた元安橋からの子供の飛び込みです。これは復活したいですね。

 子供だけでなくて、大人たちも夏には川で泳げる、橋から飛び込んで泳げる川を是非復活したいとおもいます、

 それからこれは太田川上流の絶景、公文書館がもっている写真です。帆立船ですよね、何隻も浮かんでいますし、これは筏を組んで川くだりをしているところだと思います。森で伐った木を筏に組んで川くだりをしている写真です。これをみると、よくいわれる広島には凪があって風がないから風を使うのはむずかしい、という話ですが、これをみると帆船があるわけですから、風はあったわけですよね。日常的に使われていたわけですから、そういったことも見直す必要があるかもしれないと思います。


 これも同じですが、ここに砂洲がありますけれど、左の方にあるのが、やはり材木ですね。前と同じです。

 それから 投げ網による鮎漁、アユも昔はこういった形で採っていましたけれど、最近漁獲量は大変少なくなっているということです。


 それから、太田川のこれは近くなってからのことですけれど昭和47年と60年の太田川。


 大体おなじあたりですけれど見ていただきたいと思います。それでだんだん護岸が整備されてきている様子がこれでお分かりいただけるかと思います、最初は自然の形だったわけですが、整備されて自然というよりはコンクリートが中心の護岸になってきていることがよくわかります。

 そして、これは下流の方ですが、昭和35年ですから、1960年ですね。高度成長期が始まる前ですけれど、この時代、懐かしくご覧になっている方もいると思いますが、雑然としてはいますが、大変具体的なナマのタモ活か感じられる写真だと思います。

 それで、先はどの写真、飛び込んでいる太田川というのを見ていただきたいのですが、こういった川を是非復活したい、これが「太田川再生委員会」のひとつの目標だったわけですし、今広島市で市民の皆さんと頑張っている「水の都構想広島」の目標でもあります。

大腸菌とヘド囗対策

 泳げる、泳げないということで一つ考えておきたいのは、泳げない理由は何かといいますと、いろいろな基準があるんですけれど大腸菌だけが問題です。ほかの基準値は皆クリヤーしているんですけど、大腸菌だけ遊泳上の幇準をこえています。原因ははっきりと分かっていない、いろいろな人に聞いているんですが、海が問題だという方もいらっしゃいます。汚れが海から上がってくると、そうすると海の水質を良くしなくちゃならない。それから川の方も問題がある、川にもヘドロがある。今底貿改善ということを太田川河川事務所とその他が協力してやっていますがヘドロを浚うことも必要だと思います。

川さらえを市民の行事に!

 ひとつ私かず一っと提案していてなかなか実現しないのは、道路とか公園というのは1年に一度市民の皆さんの協力をいただいて、大掃除を5月から6月に開いています。そうすると、一日で1tぐらいのゴミが拾えるのですけれど、昔は市民総出で川さらいというのをしていたんだそうです、川のゴミを拾う、これは河岸だけでなく実際に川の中に入って、汚いヘドロもさらうということをしていたんだそうですけど、これを是非復活したいですよね。そのことで市民の皆さんの川への関心も高まるでしょうし、川もきれいになる。いろいろな知恵も出てくると思います。
 こういったことが実現できないか、ということを今、考えています、

「泳ぐ」には安心安全の街づくりが必要

 泳げる川というのは今、大腸菌だけを問題にしていますけれど、それ以外に色んなことが必要です。特に泳げるという場合に、観光で、外から来る人にも泳いでいただきたいわけですから、先ず他所から来た人が、知らない町に来て裸になって泳ぐわけですから、それができる環境というものを整えなくてはならない。そのためには、広島に来て、川を見て泳ぎたくなるような雰囲気が必要ですよね。それから安心感、安全であることがとても大事です。昔の話で、洋服を脱いで川に飛び込んで上がったら盗まれていたというような、落語の世界によくあることですが。でもそういう心配をしているんじや泳いでもらえない。

 安心というのは洋服だけじゃなくて、町の人達が温かい目として、というかそれが当たり前のこととして、受け入れられる町。それから全く危険を感じないということ。

 今、殺伐とした事件が日本中で報じられますけれど、そんなことを心配しながら、泳ぎに行こうという話しになりませんから、町全体がそういった、ビジターが泳ぎたいと思う。

 そして泳いで、ああ楽しんでよかった、もう一度来たい。そういった町ができること、町になるということがとても大事で、泳げる川というのは、単に大腸菌の銛だけ出なくて、勿論大腸菌も人事で、泳いで2〜3日たったらお腹が痛くなるというんじゃ困りますから、

 これも大事ですけれど、やはり「泳げる」ということは、広島を訪れてくださる方、あるいは広島市民がお互いに安心して、安全な町であるということ、それが瞬時に伝わるということが、大事だと思います。そういう町を追っていこうというのが、「泳げる川亅復活の意味です。

水量の確保

 それで、次に「利水」「治水」「防災」。それについて数枚写真をご覧いただきたいと思います。これが「津伏堰」ですが、太田川で一番古い堰で、左の柵は中国電力の取水施設だそうです。これは数値を確認していないんですが、私かどこかで聞いたのでは、太田川の水の大体80%は、発電のために迂回する、あるいは水道水として別の所に持っていかれて太田川には戻らない、という形で実際には水量の20%ぐらいしか太田川には流れていない。(津伏堰での発電のための取水は正しくは70%:註「環・太田川」編集部)
 その水量というのは非常に重要な問題だと思います。

昔の知恵を活かした川の整備を

 それが平時ですが、一度災害が起きると今度は、水流、水量がとんでもないことを引き起こす、これは一昨年の豪雨災害後の太田川ですが、湯来町ですね。農村環境改善センターの前「水内川」で橋が崩壊しています。こうした事故が簡単に起こってしまう。

 これはもっと大変なんですが、左側の道路が途中で陥没しているんですが、これはよく見ると道路を造っている場所がわるいとしか言いようがないですよね。川の流れは蛇行して道路が落ちた所まで実は川なのです。

 川の上に道路を造った、それは落ちるのが当然だと思うのですが、こういったところの教訓は、やはり道を作るんだから、川は我慢してくれという論理はなりたたないわけですから、川の力を尊重して、それにみあった道路を造る、道路が造れない所は橋をかける、など常識的な対応が必要だということ。

 それから、防災上の観点から言うとドイツ式の日本の古い河川法によってコンクリートで固めて治水をするという思想が入ってきてから、100数年経っています。

 それ以前の何百年、何千年という間は、それ以外の昔の人達の知恵によって、防災対策をやっていたわけですから、その知恵が消える前、まだ少しは残っていますから、そういった昔の知恵を活かした治水対策というのを、やはり私たちの立場から、提案をしていく必要があるんだろうと思います。

 これは国土交通省は自分たちから発案してやろうということにはなりませんから、河川法が変わって、3面張りのコンクリートで川を固めればそれで治水はできるんだという思想から少しは離れましたけれど、しかし国土交通省の考え方はそれほど変わっているわけではありません。その中で、やはり川を愛し、川と共に生活をする私たちの立場からの提案を、建設的な提案をしていくというのは我々が力を入れなくてはいけない所だと思います。

シジミとカキを「ザ・広島ブランド」に

 それから、漁業をみてみましょう。これは太田川シジミです。今度広島市の「ザ・ひろしまブランド」の中に選ばれましたけれど、大変良質のおいしいシジミで、これも昔からやはり太田川の恵みの一つだと思っていますし、これを大事にしたいと思っています。

 これに関連して、シジミ掘り、これは内水面漁協の皆さんの発案で、これは視覚障害の皆さんにシジミ採りを楽しんでいただこうということで、年に一度こういう企画があるんだそうですけれど、これも全市民的に楽しみたい。もっと市民と川との距離を縮めるために漁協の皆さんと話し合いながら、川と市民の間をもっと縮めていく努力ができればと思っています。


 それから、これは一粒カキですね。一粒づつ丁寧にカキを育てるということで味もいいことで評判になって、これも是非そのうちに「ザ・ひろしまブランド」でお手伝いができればと思らていますけれど、これもやはり非常に重要な、まあこれは海ですけど、川の水が流れていって、海に行って栄養分を運んでそれでカキが育つわけですから…。それともう一つ、漁協の皆さんにうかがったところでは、種ガキが今育たなくなっている。それは太田川の水量に大きく影響を受けているんだということです。そういったことも改善をしなくてはいけない問題だと思います。

 これが、昭和元年ごろの矢野のカキの養殖場。まさに養殖ですけれどこの頃には種ガキから全部広島で作っていたということです。


 これは元宇品西海岸、昭和42年ですね。今は釣りぐらいしかできないということなんですが、私は一寸前に宇品で泳ぎました。

 釣りも大事ですし、泳ぐことも大事なんですが、川を楽しむ、川で楽しむ、川と楽しむ、そういうライフスタイルを造っていくために、「水の都ひろしま」ということでいろいろな計画を立てて、一つ、一つ今、実行に移しています。そういう意味では、太田川を中心にした「水の都ひろしま」というイメージがだんだん大きくなってきていると思います。

 それが大きくなっている最大の理由は、ここにいらっしゃる皆さん、市民のみなさんが、とても積極的に動かしてくれている。行政=私たちも一生懸命おてつだいをしていますけれど、最終的には皆さんの気持ち、熱意で動いているということだと思います。

 そこの基本にあるのは、こういう伝統的に市民の皆さんは川や海を大事にして、それが生活の一部だったということです。

 これは、上のほうに養殖のノリの施設がありますけれど、潮干狩りですよね。

 出島の南端、これは昭和50年で、今から39年ぐらい前の写真ですけれど、当時はこういう情景、今は宮島まで行けば貝堀りはできるわけですが、なかなかむずかしくなってきました。

 これも、海ですけれど、海と川は一体だと考えるとこういったことも大事に何とか復活させられないかと考えています。


新しい水辺の活用「水の都ひろしま」構想の実現

 「水の都ひろしま」構想というのがあるんですが、現在対象にしているのは赤で囲った所ですが、広島のデル夕の全域が入っているという風に考えてください。ここを再生させて、文化の中心にしていこうということです。

 その目的ですが、これはお役所的な整理ですからあまり面白くないかもしれませんが、あたらしい水辺を活用した都市の楽しみ方というのを作っていきましょう、

 2つ目には、都市観光、これは広島を訪れる方々、観光のためでもいいですし、学会だとか、カーブの試合を見に来る、買い物にくるなどいろんな形で広島に来てくださる方、その方たちの広島にいったらあそこに寄ってみたい、ここを背景に写真を榻りたいというような所を作りたいということです。

 それと重なるのですが、魅力ある風景作りということを中心にいろいろなことをしています、

 その一つが水辺のオープンカフェ」です。独立店舗型で、京橋川の稲荷橋のすぐ近くでいらした方も多いと思いますが、暖かくなってきましたので、是非このオープンカフェを使ってみてください。予約をしないと入れないこともあるかもしれないのできをつけてください。

 これも京橋川のJALホテルの前の所ですが、これも大変快適ですから使ってみてください。

 新しく今年は、元安川の平和公園の反対側ですが、ここに独立店舗型の店舗をつくる予定です。これも大変楽しいものになると重います。

 それと様々な形での水辺を使っての市民活動を積極的にやっていただいています。

 広島市もお手伝いをしていますけど、「環境学習」「アシ船づくり」「水辺の愛称づくり」それぞれ大切なことなんですけれど、こういったものが積み重なって、私たちのDNAの中にだんだん入り込んでくるといったらいいんでしょうか、そういう形で、大変豊かな活動から新しい文化が生まれつつあるということを感じています。



 それから市民と行政の協働による水辺の活用でいろんなイベントをやっていますね。

 これは太田川放水路の己斐大橋の近くですが、「ジャブジャブ池」と作ったり、「カヌー教室亅「環境学習」といったこともこれからもっと活発に続けていきたいと思います。

 それから水上タクシー、「雁木タクシー」といっていますが、とても楽しいんですね。もっともっと利用者を増やして採算が成り立つようになればすばらしいと思っています。

 それから世界遺産航路、船で原爆ドームから宮島まで、直接船でいけるという、これも人気がでてきたようですから、さらに力を入れていければいいんじゃないかと思っています。

 これはおそらく冬だと思いますが、大腸菌が少ない冬に、寒中水泳をしている写真ですがこれを冬だけでなく、ぜひ一年中泳げる川にしていきたい、そのための大腸菌対策もやりたいと思いますが、子供達が泳げる、そしてカキ、アユも喜ぶ太田川作りということで皆さんと力を合わせて、新しい太田川を作って生きたいと思います。

 これは大変きれいな風景なんですが、ここに不法繋留の舶が並んでいるのが気になりますが、これも太田川河川事務所と一緒に対策を続けて生きたいと思います。


 あまりまとまりのない話になりましたが、私の太田川への思いの一端をご理解していただければ、ありがたいと思います。
 どうもご清聴有り難うございました。

(拍手)


 
「この基調講演収録の文責は全てNPO法人「環・太田川」編集部にあります。)
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。