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 このコーナーでは、読者の皆さんからのレポート、投稿をご紹介させて頂きます。
 お忙しい中、原稿を送って下さった早田妙子さん、石井出かず子さん、大越俊治さん、有難うございました。皆さまの投稿、お待ちしています。
 
<「川遊び」の感想> <吉和川のいまむかし> <太田川の河畔より>
 

「川遊びの」感想 府中町 大越 俊治


 太田川の新鮮な鮎が頂けるというごく単純な理由で家族と供に「川遊び」に参加させてもらいました。車窓から眺めるのどかな太田川上流の景色に心和ませながら可部線小河内駅に到着しました。初対面の参加者の方々の柔和な表情に接し、楽しい一日になりそうと胸を膨らませました。

 一方、今日は「太田川新聞」(仮称)を発行する準備会主宰の例会の一環だから何か堅苦しい話に耳を傾けなくてはならないのではと少し身構えていました。

 案に相違して、「川遊び」を全面的に支援して下さった地元の渡さんがさりげなくそしてポイントを突いた太田川の歴史を説明された。その爽やかな人柄に触れ一抹の不安はなくなりました。河原でテントを張り、鮎を炭で焼き、思い思いに川に戯れ期待どうりのキャンプ気分を満喫しました。

 これだけなら楽しい「川遊び」の一日を過ごしただけだったと思います。一段落ついたところで参加者の自己紹介が有り太田川を愛しておられる方の生の声を聞き、初めて「太田川新聞」(仮称)を発行する意義を理解し感じるものが有りました。

 県民280万人の内180万人が太田川の水に恩恵を受けていること。流域近くに建設するゴルフ場が自然系を破壊し、農薬を太田川に注ぎ込み水を汚染することに危機感を抱き反対住民運動で建設阻止したこと。

 生活が豊かになるにつれて家庭及び流域工場から出る廃水、廃液によって益々傷ついている太田川の現状。電力会社の上流での取水により水嵩が激減し、魚の生態系が狂った経緯等。

 この憂慮すべき現状を少しでも県民に理解してもらい改善したい切実なる思いに心を打たれました。如何に自分が無関心、無知、自己本位であったか自分を見つめるいい機会になりました。

 話は変わりますが、思うところがあって自然に対して優しい生き方とは如何なるものかを考えるようになっています。現代の安直な便利なもの、心地良いものに頼ることが果たして自分にとって本当にいいことなのか、自然を傷つけていないか思いをめぐらせています。

 古来から日本人は高温多湿の風土で育まれてきました。ジリジリする夏は思い切って汗をかくことが自然ではないかと思い今年の夏は一切クーラーに頼らないことに挑戦しました。まれにみる猛暑に根を上げ誘惑に負けそうになりましたが、何とかクーラーなしで夏を乗り切りました。

 昼間に汗を充分かいているから夕なぎが思った程苦にならず、ビールがより一層おいしく飲めた余禄も味わうことができました。何より夏を肌で感じることができました。無駄に電力を消費せず地球温暖化防止で微力ながら自然に優しいことをしたのではと思っています。

 今回の「川遊び」で得た貴重な教訓に触発され、「太田川新聞」(仮称)発行準備ニュースに興味が湧き楽しく読ませて頂いています。まず毎月の準備会例会に参加させて頂き自然に対して優しい生き方について考えてみたいと思います。
 


聞き書き  吉和川のいまむかし 吉和村 田中原の宮本 幸間さん(七十八才)のお話
聞き取り 早田 妙子さん
 
 昔は川の水が多かったです。深さが 5メートル程ありました(7〜8メートルあるところもありました)。淵(水を深くたたえてよどんでいる所)が少なくなったような気がします。

 昔は「ごうのせ橋」や「えんこう橋」の所にもありましたが、護岸工事(農業用二面水路、排水用三面水路)により、淵が壊され、今では、淵らしい淵は駄荷の「ワヤ(?)」のところと、それより下流に数ヶ所しかありません。

 それと、昔は淵のほとりに「カケ(?)」が多かったです。水の量は今では昔の三分の一から四分の一しかありません。源の冠山や十方山など、吉和の裏山の木を切った(切って針葉樹を植えた)ので、水が少なくなったと思います。

 川の生き物は、昔はイダやウナギはもっともっといました。「たち貝」という貝の大きいのがいて、焼いて食べたものですが、今はいません。ヒラメ(ヤマメ?)もたくさんいましたが、水量、エサ(石についているコケ)の関係で少なくなりました。

 魚がいるかどうかは川の臭いで分かります。ヒラメのいる川と、いない川は分かれています。水の色が青緑色の川にはヒラメはいません。川の石がきれいな所の方がヒラメ、ハヤ、イダなど魚がいます。

 魚が石を「洗う」(石についているエサを食べる事)からです。石に砂がついている所は、魚は少ないです。

 昔は川には砂の付いた石はありませんでした。護岸工事で砂が川にふえて、その砂の中に混っている虫(?)が石に付いて、「コケ」をつきにくくして、エサがなくなり、魚が減ったんだと思います。 川の水の色は昔も今も変わっていません。きれいな水だと思います。
 


太田川の河畔より  (1) ―ふぐ騒動― 石井出かず子さん


 太田川本流の本川の河口から寺町裏へと、とら河豚の大群が川巾一杯に遡上してきたのは1965年頃の初秋であった。夕方4時半頃からの騒動であった。

 その頃横川町の商店街で、小さな店を自営していた私は、「ふぐじゃあ」「とらふぐの大群が寺町の河岸に一杯じゃあ」・・・男たちの銅鑼声に表へ跳びだすと、掬い網とバケツを提げた男たちが、韋駄天走りに寺町裏の河岸へ向っているのが見えた。

 近くの天満川に架る横川橋には、見物の女子供や河豚取りの人たちで、車の通れる余地のないほどの人出であった。不思議なことに左岸の基町側と、太田川が右へ分流した天満川の寺町岸の角まで、見えない一線を画したように、この線あたりから上流へは上ろうとはしない河豚たちである。

 川の中では、30センチもあろうかと思う河豚が押しあいへしあいで、川は満杯である。バケツには3匹も入れるとはみでて土手の草むらでばたついているのもいる。

 何しろ魚屋が一匹800円で買ってくれるということで、バケツを持って魚屋へ走り、バケツを空にすると走って帰る人や、幾つもバケツを並べて子供に番をさせている人、見物と河豚を相手にする人たちとでごった返す河岸は、祭りの熱気のような賑わいであった。

 しかし、2・3時間もすると河豚の姿は徐々に少なくなり、河岸にいた人たちもバケツを下げて家路へ足を向けて立ち去っていった。さしもの賑わいも何時もの静けさに還り、あたりは薄暗くなっていった。

 翌日の早朝寺町の河岸へ行くと人影もなく、川面に河豚の姿も見えず、太田川はゆるやかに河口に向って流れている何時もの太田川である。昨夕のふぐ騒動は幻だったのだろうか?。

 覚えている方は教えて下さい。基町側はまだバラックの建物が河岸ぎりぎりにずらっと建っているので、河豚をとっている人たちを見なかった気もしますが、自分の足元ばかり見ていたので、気がつかなかったのかも知れません。

 

 
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