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学習発表会(3)

川・百話 第三話

水の道をたどる(3)

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【準備ニュース5号】

大きいことはいいことか?

 
渡さん「人間の都合だけでですね、川やら山やら痛めつけんようにせにゃあいけんのじゃあないか、川のほとりに生れて、川を職業にして今日まで生きてきた私はつくづくそう思います。川というものはどういうものか(ものであるべきか)、都市に住んでおられる方も、理解して欲しいと思います。

 太田川の水は、広島市民・県民の飲み水になっています。かつては、今その太田川の水を頂いている各地にも、その土地土地の水の取り方、確保の仕方がありました。私らのところ(野冠)はまだ市の水じゃあありませんし、深川筋ではその筋で、というふうに。伏流水を取ったり、地下水を取ったりして、可部の方でもやりよったんです、ちゃちな施設だったかもしれませんが、地元の水を取る方法があった。それを、水道局いうのは、大きいことはいいことだと思うのかしれませんが、全部一つにしてしまった。昔の簡易水道や井戸をつぶしていった()。これは考えにゃあいかんことだと思います。何年か前のシアン騒動のようなのが起きたら、全部が止まらにゃあいけんようになる。しかし悲しいことに水道局は独立採算になって、水があればそれをどこへでも線を延ばそうとしていますが、これは考え直すべきじゃないか、と思います。」
 

() 仮事務局で調べた限り、太田川を水源とする広域水道の範囲内で、昭和48年度から平成8年度の間に、既存あるいは開発された水源(上水道・簡易水道・専用水道)で廃止、休止、あるいは削減された水源の能力は、約6万4千トン/日にのぼる(「広島県の水道の現況」から調査)。これは、家庭用水でいえば、およそ30万人分に相当する。


フリートーク(抜粋) 渡さんのお話の後、例会参加者により、活発なフリートークが展開された。


 「僕は太田川の下流でアユ釣りをしていますが、ここ数年冷水病という病気が出たりして、まともなアユが全くおらんというか、どこかが傷ついたり病気になったりしている。」

 「自然に、昔のように自然に孵化して海で育って遡上する魚は冷水病とかほとんどないんです。自然遡上がどうしてなくなったか、というのは難しい面もありますが、普通秋になって水温が20度ぐらいになって、日照時間が秋のそれになると、産卵時期になるわけです。アユの産地によって産卵時期は多少違うんですが、琵琶湖産は9月の15日頃から産卵を始めて、昔からの太田川のアユは10月の終わり、11月のはじめ頃から産卵するんですね。今ごろは、産卵時期が異常に早いんですよ。どうしてかというと、太田川の大部分の水を、発電用にトンネルの中を通しているわけです。トンネルの中の水は、川の水温より3度から4度低いんです。日照時間が短くなってきて、川の水温が下がってくると、アユは産卵時期が近いから、下流へ下ろうという状態になります。それで、アユが太田川発電所のあたりまで下がってくると、発電所の放水口のところから急に水温が下がり、冷たくなります。放水口で水温が低い水が大量に放水されるから。そうすると、アユはいっぺんに産卵時期が来たと勘違いする。日本全国でも太田川ほど産卵時期の早いのはないんですよ。人工アユを作りたいところはよそから太田川のアユを獲りにくるぐらいです。」

 「アユにあの独特の匂いがしなくなった。」

 「それは、餌が悪くなったことと関係あると思います。昔は石の苔が黄色いような、ちょっと茶色がかったような色でしたが、今ごろはヘドロのような色をしていますからね。何でこうなったか、というと、川が汚れてきた、家庭排水があるし、田んぼなんかの肥料が昔と違います。昔の肥料は山の草とかそういうものをやりよったんですが、今ごろは金肥(化学肥料)を大量にやるわけです。そうすると、苔も昔とは全く違うのができるんです。今ごろは川のほとりに生えているヨシが、肥えをやって作ったんか、というほどいい色をしている。色が真っ直ぐの緑のいい色をしている。昔は枯れやしないか、というような色をしていた。それだけ川へ栄養分が流れる、それがアユの香りをなくしていることと共通の問題だと思います。」

 「ここ2,3年特に川の様子がおかしいという人が多いんですが、生き物とか、水の出方とか、底の苔もそうですが。」

 「さっきいわれた冷水病の問題や、今年は去年の災害の特別復旧で河川工事をやっています。吉山川や西宗川の支流、大毛寺川あたりでもやっています。そういう工事のために栄養価のある泥を流していますから。」

 「私は市内の川しか見ていないんですが、今は桟橋に船を着けにくいです。干潮になると船が着かないんですよ、泥がこの2,3年前から堆積しているんです。今まではそんなことはなかったんですが。その泥を見たら腐ってますよ。」

 「あの、山陽道が出来てから特にひどいような気がしますね。山陽道を通すときにかなりの土が出ているわけでしょう。それがやっぱり太田川に流れる、それから、道路を凍結させないように、塩化カリみたいなものを道路にまくわけでしょう。そういうものが全部太田川に流れるわけで、見た目にはきれいなかも分かりませんが、決してきれいにはなっていないような気がします。」

 
「アユがだんだん縄張りを持たなくなった、といいますが。」

 「縄張りを持つだけの価値のあるところがないんですよ。一口に言ったらそういうことなんですよ。いい場所があってはじめて縄張りを持つんだと思います。ドブ川みたいなところに放しても死にはしないんですよ。ただし、絶対縄張りを持たんですよ。それだけの価値がないんです。」

 「餌は食べているんだと思うんですよ。日に日に大きくなっていますから.大きくなるということはやっぱり餌を食っているわけですし、その時点でテリトリーを持つのか、一緒に泳いで仲良く一緒に食べるのか、どうか、いうことなんでしょうがね。」

 「去年おととしなんか太田川におったことがないような大きなアユになっとるんがおるんですよ。で、瀬にこんのですよ、アユが。それで、ある程度淵のところでも、そこの苔でもアユが大きくなれるだけの栄養があるんじゃないか、と言われだしたわけです。だから昔の苔と違うわけです。」

 「それがいわゆる匂いがなくなったということになるわけでしょうね。」

 「それでもずっと奥の谷へ行かれたら分かると思いますが、そこの苔は黄色いような色で、茶色いような黒いような苔はついていないんですよ。昔の苔は、栄養が少ないんです。しかし、苔の香りがあるわけです。」

 「この辺りでは水内川のアユがええいうて聞きますね。ダムがないから、水がきれいだから、それで苔がいいからあそこのアユはうまいとか砂がないとかいいますが。」

 「そうですね。違いますね。」

 
「今の川の状態では、発電で水を取ってますが、あれをある程度本流に戻すと、川の状態が回復するのでしょうか。」

 「それは上流のきれいな水が流れてくるわけだから、変な苔が付くのが減るんじゃないんですか。」

 「川の方にその時の全体の流量の半分でもあったら違いますかね。」

 「そうですね、懸濁物といって、濁りのもとになっているものが、流れがゆるかったら河床に溜まってくるんですが、そういうのがなくなりますよね。」

 「今太田川で発電している電気の量は大体何世帯と言うかどのくらいなんでしょう。太田川の発電は、広島市ではどのくらいのウエイトを占めているんでしょう。」

 「総電力で言えば2割足らんのじゃあないですか。でも、火力、原子力は微調整が利かんのですよ。ですが水力は今ピークだというときに発電しようと思えばできるんです。止めることもできる。量としては小さくても、それなりの役割があると思います。」

 
「南原の奥にダムがありますが、あれは火力やら原子力やらの調整用ですよね。」

 「あれは原発を夜止められないからあるだけで、原発があるからいかんのです。揚水発電というのはすごく効率が悪くて、全くばかげています。水を上に上げる方がよっぽど電気がいるわけで、落とすときにできる電気はうんと少ない。要するに夜間原発を止められんから、原発を増やすためにあれをやる、今夜間電力が安いのは、原発のためにやっているんじゃないですか。ベースロードという、止められない電気の量をふやすために原発を増やす。今原発が安いなんていうのは日本だけです。税金をどんどん使うから安いんじゃないですか。」

 
「今から節電したら川へ水が戻る、という単純な話じゃないんだろうけど、節電は今の電気の使い方ではそんなに難しいことではないですよね。」

 「たとえば、24時間のコンビニがなんでいるか、とか、夜中でも何でも冷えた缶ジュースやビールが何でいるか、というような、ああいうことをやっているのは日本だけですからね。それに、本当の発電能力からしたら、まだ、原子力以外でも足りるんです。水力にしても、多少効率は落ちますが、小水力をたくさん作って小さい落差でやっていけば、川にとっても、生き物にとっても随分違うんじゃないですか。吉和村にもありますよね。」

 「今の太田川では、小さい支流も完全に堰き止めたような状態でヒューム管に流しているところがありますよね。小水力だとああいうことにはならないんですかね。」

 
「私が前に見た小水力は、和歌山県で、有機農業で地域作りをしていこう、というある取り組みだったんですが、それは今でもありますが、必要なときに水車を岸から吊って固定して、発電するんです。法律の問題で川に据えられないから、しかし水を利用するのは自由じゃないか、というんで、独特の方法を考えて、上から吊るして発電するようにしていました。」

 「水道のことですが、実際島嶼部の方は水では大変な苦労をしてこられたわけで、独自の水の確保の仕方があったんですが、ところが、大規模水道がいきだすと、それまでのやり方は、ほとんど廃れていきよるわけです。自分たちで作った飲料水用の小さな堰とかダムとか、全然掃除せんようになったり、そういうふうになっていったりして、何年か前のシアン騒動のときにああいうことになるわけでしょ、これが水道だけじゃなしに電気もそうですが、社会が全部そういうふうになっている。」

 「足らないところを補うんならいいと思うんです。」

 「水道局がやるからどんどん使うんで、もっと水の有り難さを・・・」

 「メ−ターを見て、月に何立米使う人はこれくらい、それ以上は上乗せするようなシステムがあればいいかもしれませんね。」

 「公共事業を山を守るために行うべきだ、というお話がありましたが、その通りだと思います。今の公共事業というのは破壊することばかりで、税金を導入して、ゼネコンとか土建屋が儲かるような格好ですが、そういう人たちが山を守る方に働いたらいいわけですよね。そっちに仕事を仕向ければ、税金を使えば、山の計り知れない機能が生かされると思うんですが、どうしてそうならないのか、どうしたらそういうふうにもっていけるのか。」

 「すぐ砂防堰堤をやるんですよ。そしてそれはすぐつまる。そうするとまた上へ作らにゃあいけん、際限が無いんです。山を手入れすればあの土砂が、あれほど崩れて流れんようになるんです。」

 「ある支流で聞いた話ですが、棚田にドハ工法の構造改善事業を入れたために、全く生態系が変わった。アユの味が落ちた、ということです。ドハ工法が果たしていいのかどうか。構造改善事業だと、水田の単作しかできなくなりますから、裏が作れませんから、田んぼが肥えすぎる、そっから富栄養化した水がどんどん流れる。」

 「日本の農業は、田んぼでもそうですが、家族で出来るような規模、方法でやってきてたんです。それを外国の大規模な機械でもってやるような考え方で、圃場整備やなんかをほとんどやってしまったわけですが・・・」

 「しかも3,40年ぐらい前から、いわゆる農業基本法に基づいて、化学肥料や農薬を多投した。いわゆる近代農法は、体のいい自然破壊ですからね。だから、どこへ行っても川で遊んどる子供がおらんですよ。」

 「さっき川のヨシのお話が出ましたが、あのヨシは珪酸をたくさん含んでいるんだそうです。それで、稲は珪酸鉄がないとできないんですが、熊野あたりではヨシを稲の珪酸鉄の補給のために使っていた。それで稲が出来ていた。それはおそらく熊野だけじゃないと思います。それが、旧呉工廠で軍艦を作るために溶鉱炉で鉄を取った灰を、つまり「産廃」を、珪酸鉄があるからといって普及させたわけですよ。産廃を上手いこと、化学肥料として買わせていくようになった。それが日本の農業と、軍需振興の裏返し、という気がしてならんのです。」

 「チッソなんかもそうですよね。軍需工場ですからね。」

 「僕は大豆を作っているんですけど、圃場整備をしたら大豆はできなくなる。圃場整備をすると、水はけが均一でなくなる、だから田んぼの3分の一しかできない。政府が何を考えているのか分からないんですが、棚田のことですが、太田川より西にはあまりなくて、せいぜい竹原までなんですが、棚田の石垣にちょっと穴があいてるんですよ。あれは奥にTの字型に入っているんです。というのは、あれをやると、田んぼが同じように乾く。太田川の場合特に粘土質だから、奥は水気があって、反対側はやけて、というふうになりがちです。だから同じような水はけになるように工夫していた。だから、一枚の水で何十枚も田が出来る。それが、太田川、廿日市にもちょっと見える。東は竹原の辺までようけある。安浦とか。」

 「九州にも筑後川の辺にありますよ。」

 興味深い話はつきなかったが、時間切れでここまで。ご出席の皆様、有難うございました。

 なお、文責は全て仮事務局にあります。また、細かい表現なども適当に変えてあります。

学習会を終えて

 
渡さんのお話で、キーワードというか、川や山の様子が決定的に変わってしまった転換点として、発電にせよ、水質汚染にせよ、「昭和30年代(1960年代)」という言葉が何度も出てきた。そして、昭和30年代以降は、半ば惰性的に、現在まで状況が進行してきた、という観がある。また、山の問題などは、当時に行ったことのツケが現在表面化してきているようである。

 編集子にとってショックだったのは、渡さんが実体験として生々しく語られる当時の環境の激変を、そのすさまじさを、共通の「痛み」として感じにくかったことである。編集子は昭和39年の生れで、つまり編集子にとっての「原風景」は昭和40年代、破壊後()の風景である。確かに小学校では水俣などの「四大公害」について学んだりもした。しかし、この土地を流れる川や山で起こったことについては、意識的にか、何も教わっていない。高度経済成長期の負の側面は遠いところの問題であり、自分たちの問題ではなかった。「三つ子の魂百まで」というが、ヘドロ臭い川の匂いが、極自然な川なのである。清流というものは「アウトドア」的に探して楽しむものであり、決して生活の一部ではない(現に編集子の知り合いには、澄んだ水の川は気持ち悪い、三面コンクリート張りでないとうっとうしい、という人もいる)。

 しかし、来たる世紀に求められる「回復」が、この、昭和30年代を中心として展開された「経済」のための破壊行為から具体的に見直し、そこでこの土地につけられた傷を癒すことから始めなくて可能だろうか。そして、この土地が、人間の生活と深く関わりながらも溌剌とした生命に満ち溢れていた時代を、体験、体感として得ていない世代に可能だろうか(この問題は、戦争体験の風化の問題にどこか似ているような気がする、若い世代が無関心だ、という批判も、体感の重要性から考えると一概には言えないと思う)。編集子は少々暗い気持ちにならざるを得なかった。既に約半世紀も前につけられた傷を癒さずに、「経済」という至上命題は崩さずに表面的に取り繕うのは、骨が折れているのにバンソウコウを貼るようなものではないかー。

 少なくともまず、この土地で何が行われてきたのか、できるだけ具体的に詳しく学び、実感できないまでも、想像力を働かせて「痛み」を感じる努力をし、そこから根本的に自分たちの生活を見直す勇気が必要なのだろう、と思った(とてもそんな勇気が自分にあるとは思えないけれども・・・)。そして、自分たちが、「昔には戻れないのだから・・・」という言葉を軽々に使ってはいけないような気がした。(原 哲之)
 


<渡さんのお話から目次>
 

川の流れについて
太田川の水はきれいか? 生き物について
山について
大きいことはいいことか? フリートークから
 
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