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「石を」巡る自然と文化の結びつき

国際海洋都市ミレートス

川・百話 第一話

水の道をたどる(1)

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【準備ニュース3号】

「石」を巡る自然と文化の結び付き

太田川流域の自然
 
 広鳥県西部の広大な流域を持つ太田川は、中生代から新生代にかけ隆起した中国山地の脊陵部を分水嶺として、今から2万年前には西古瀬戸内川と呼ばれる長大な河川として太平洋へ流れ出ていた。

 当時は広鳥湾も伊予灘も周防灘も平野であって、豊後水道が下流地域として土佐沖に河口を形成していた。

 それから約1万年を経て海進が現在の海岸線近くに達した。海底から引き上げられるナウマン象の化石は、西古瀬戸内川の主流の古太田川流域の王者としての風貌を偲ばせる。

 地質構造から見ると佐田岬半島の南北で、東西に貫通する中央横造線にて西南日本帯の外帯と内常に分かれる。内帯を代表する地質として火成岩類が主流となり、脊陵地域から吉備高原一帯には高田流紋岩類が、瀬戸内海に至る丘陵地域や内海島嶼地域には広島花崗岩類が広く分布している。一部には古生層が見られるものの、豊富な鉄分を含む地質と弱酸性の水質は流域の基本ともなった。
 
誇れる石の文化圏

 一般的に火成岩の特性として、節理と呼ばれる「石目」が正しく走る。これはマグマや熔岩の流れに因るもので、露頭した岩盤が風化すると石目が生じ、植物の根が侵入するとさらに発達する。古瀬戸内川の存在した時代には、流域には鬱蒼とした森林が存在していた。数万年の間に形成された石目は、断層や火山等の活動による地震でさらに拡大していった。
 樹木を切り倒し根株を除去すると、極自然に石材が得られる訳で、斜面の上方から挺子等で捏ねると、大小様々な石材が下方に崩れ落ちる。石切場を俗称で「丁場」と言い、好きな大きさに丁を合わせて切り出せるのである。厄介な巨岩には石目に箭穴を掘り箭 木製の楔を入れたり、回りに雑木を積み重ねて焚き付けたりし割り出した。
 山奥の山村から島影をなす漁村まで、集落の背後の地山は悉く禿山にされ、古墳時代以降石材採掘を目的に開発された。古瀬戸内川の流域では、殊の外「石の文化圏」は誇り高い。
 
太田川流域の石垣

 地山や河原や磯場で採取された「野石」や、丁場で採掘された「樵石」も共に「割前石工=石採工」により搬出される。石材の搬出には木馬や修羅や石船等が利用され、築造現場の「石場」まで人海戦術により搬送される。

 その後は石場に積み上げた石材を集結した「築前石工=積石工・石積工」により、棟梁の采配に従い大小様々な石材は次第に石垣となって行く。野石の面を合わせて法面を作るのが「野面積み」で、太田川流域での河原石をきちんと積み上げた「とんこ積み」はその代表である。

 野丸や五郎太の別称としてとんこ石は、流紋岩や花崗岩の丸石は青石や白石の法面を彩る。樵石の面を合わせて法面を作る方法として、予め石を叩いて成型し「目地」を合わす「打込接ぎ」と、石材の接合部の「相場」をきちんと合わす「切込接ぎ」がある。これらには玄能や鑿等の工具類が必要となり、鍛冶の技術も石工の嗜みである。太田川流域ではタタラ製鉄と石工社会が面白く一致する。
 
山県流の石垣工法

 中世以来山県郡で勢力を張った吉川一族は、本来は駿河国=静岡県吉河荘の出身で、急流の安倍川のもたらした石材を上手く利用していた。鎌倉幕府により大朝荘に入部したものの、太田川流域にはことさら興味を示した。中でも「吉川積み」とも呼ばれる石組みは、豊平町の吉川元春屋敷跡や千代田町の万徳院跡を代表として、支流の三篠川や西宗川等にその遺構が見られる。竪石を等間隔に置き長石を並べ牛蒡石で止める、独自の石垣工法を見事に完成させた。

 その後「穴太積み」と呼ばれる城郭築地の工法が入り、元来横に並べる「布積み」であった物を、角石を落とし込む「谷積み」に替えた。戸河内町の上殿地区にはそれらの工法を伝える石工集団が存在し、山県流の石組と称賛され山県者と絶賛される石工たちは、広島城下の建設や錦帯橋の橋脚工事も手掛け、遠く耶馬溪の開発や西日本各地にその名を轟かせた。正に太田川は「石」を巡る自然と文化が結び付いている。
 
佐々木 卓也 石垣を讚える会 代表世話人:呉工業高等専門学校講師
 
飯室 浄国寺築地

寛文年間(江戸初期)

穴太積み石垣
 
 加計町木坂地区 蛇口(排水口)石組み

 
昭和初年

 
穴太崩(谷積み)
 
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