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井出三千男さんのお話から

フリートークから

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トピックス

編集後記

準備ニュース 1
【準備ニュース2号】

フリートークから
 
 準備例会では出席者の皆さんが、今の川を見て感じること、興味を持っていること、現在取り組んでいることなど、リアルタイムの実体験から自由に語り合います。流域からの生の声を紹介します。
 
●川の名前って何だ?

 「太田川」という呼び名は、特に広島の都市圏に暮らす人々には何の違和感もなく使われています。しかし実は、この呼び名は歴史の浅いもので、現在でも必ずしも流域で広く使われているわけではないようです。川の呼び方は、流域住民と川との関係性の変化と深く関わつているようです。
  

・「地名をたどったときに、太田川流域の人に目の前の川は何ですか、と聞くと、ただ川だというんですね。太田川という名前は出てこないんですね。太田川というのはやっぱり明治時代に出来た名前であつて、特に上流の加計から戸河内にかけて昔太田の庄と言ってまして、そこらの上流の名前がやがては下流を含むよぅになった。中流の古川は、慶長年間までは、あそこを太田川の本流が流れていた。それまでは佐東川といぅ名前がありましたが、その後慶長以降現在の東の方へ振れるようになって、それから太田川、本川というようになっていったんじゃないかと感じています。」(佐々木 卓也さん)
 

・「僕があちこちを聞き取りに行きまして川の話をするときに、太田川と言ったら絶対駄目なんですよ。相手が構えてしまう。彼らは、太田川に生きてきた人たちにとつては自分が生きてきたのは太田川じゃないわけです。あれは川内の方の川だ、あれは可部の方の川だ、という感じです。もう一つ、地図を持っていくと駄目なんですよ。地名が出てきたからそれどこですか、といって地図を見せると駄目なんです。その人たちは国土地理院の地図は受け付けないんです。江戸時代の地図、あれなんですよ。僕が思うに国土地理院のような地図は、人間的ないわゆる精神文化のものじゃないような気がします。」(幸田 光温さん)
 
・「調査に行くんだったら太田川と言ったら絶対駄目なんですよ。おまえのところの村の川じゃと言わなければならない。そこはどこですか、と言ったら、あそこの瀬があつて何とか言う石があって、石にまで名前がついているわけです、それがあるところのそこなんだ、と言う。それは絵図を持っていったら書いてあるんですよ。国土地理院の地図にはたとえばホームテレビのところの島の絵は描いてないんですよ。だけど現実にして彼らの目線には映っているわけです。」(井手 三千男さん)
 
太田川はこんな顔を持っている

 私達は「太田川」のことを、どの地方にもある大都市を流れる比較的大きな川、ぐらいにしか感じていません。しかし、この土地の自然は、この土地にしかない豊かな恵みをもたらしてくれているようです。

 「太田川を境にして、東と西で大豆の品種が変わります。太田川から岡山の高梁川にかけて品種が多い。五色の大豆がとれるのは地球上この地域だけです。

 他にも、観音・川内・温品にはそれぞれ品種が異なるほうれん草が存在します。

 歴史的にみると、日本書紀・古事記に、西から進んだ豪族が、太田川河口から東に進めなかったことを示唆する記述があります。太田川流域には古くから海洋民族が住みついていたのではないか。流域には和田という地名が多く、また、広島湾を中心として、神様にちなんだ島の名前が多いということが何かを物語っていると思います。」(佛圓 勝之進さん)
 

このままでいいのか太田川
 
ゴミの川太田川


 先日、「デポネット広島」の総会で、全国のデポジツト法制定運動を推し進めておられる妹川征男さんの講演がありました。妹川さんの活動の源には、地元の川(遠賀川)がゴミにひどく汚されている現実があります。講演では遠賀川の様子をスライドで見せて頂きましたが、編集子には太田川と大差ないように見えました。この例会にも、川や河原がゴミで埋め尽くされていることを心配して参加された方が少なくありません。私達にとって、最も差し迫った問題の一つのようです。
 

 
 「高瀬堰の近くで遊びますが、水の汚さに驚きます。また、河原の木にゴミが引つ掛かり、その重みで木が折れます。この状況を何とかできないでしょうか。」(武田 道雄さん)

 「高瀬堰付近では、一度大水が出ると上流から流れたゴミが木に引つ掛かり、そのゴミが海へ流れていきます。これが現在の状況を象徴しているのではないでしょうか。」 (丸木 越伸さん)

 「子供達を太田川であそばせようとしても、鮎釣りの針が落ちていて、危なくてあそばせることはできません。」(安佐北区の方)

 「お客さんが一度乗船されると、アンケートを取ると二度と乗りたくない、という人が多いです。なぜかというと、川が汚いから。市民が堤防で弁当を食べていますが、それを川へ捨てている人がいます。」(山口昇二さん、リバークルーズの船長さん)


 「戸河内に住んでいますが、奥にそんなに家があるように見えませんけど畑にかぶせる黒いビニールや、青いシートなどのゴミが河原に流れついているのを見かけます。」(吉本 武雄さん)

 「太田川の滝の絵を描いているんですが、滝がゴミ捨て場になっているようなひどいところもあります。」(三戸 博成さん)
 

山が荒れている
 
 井手さんのお話にも出て来ましたが、太田川流域でも森林の荒廃がひどく、その影響が川にも現れているようです。

 「吉和でも、山が変わつたのか、川の流れは平均して減りました。雨が降れば鉄砲水、降らなければ水がかれる、という極端な変化をします。(谷田 二三さん、吉和村)

 「これは太田川に限らないんですが、渓流釣りに行ってみると、去年の九号台風の影響か、淵がなくなって、砂が出てきて渓谷に入っても全部砂で埋まっている、という状態が多くみられます。」(原戸 祥次郎さん)
 

生き物がおかしい
 
 もうここ何年も、特に上流域で、熊などの野生生物が人里を荒らし、被害に遭われる方もいて、問題になっています。流域に暮らす生物にかつてなかつたような異変が起きているようです。例会に参加される方々も、身近なこととして、肌で感じておられるようです。

 
 「高額堰付近で、『転がし』という方法で鮎を釣っています。最近鮎に香りがしなくなりました。スイカの匂いがしない。最近の鮎は冷水病で、成長が悪く、友釣りしても追わない、といいます。放流の鮎だから、というのが大きいと思いますが、鮎の生態が変わつてきているのではないか、と思います。」(丸木 越伸さん)

 「吉和で言えば、中国縦貫道の建設の頃から、様子が変わってきました。人里に熊が出没し始めたのもこの頃です。縦貫道の工事の頃、金魚のような奇形の鮎が現れ、二三年続きました。縦貫道の建設から二十年ほど経ちますが、その間に自然も大きく変わりました。鮎にとつては、川床につく『コケ』が大事ですが、その様子が変わつてきたようです。また、冬に凍結防止剤を道路に撒きますが、それも川魚にはよくないようです。」(早田 光昭さん、吉和村)

活動しています

 例会参加者の方々は、一人一人は小さな力でも、少しでも豊かな流域の建設のお手伝いができれば、とそれぞれにさまざまな活動を続けておられます。思いを同じくする人たちが助け合って、大きなうねりになっていけばいいですね。自分たちの活動を紹介したい方はご連絡下さい。

 
●西中国山地に広葉樹を植えています

 「『森と水と土を考える会』で、西中国山地でトチやブナのどんぐりを拾って吉和村の畑で三・四年育て、それを植林して山に戻す、という試みをしています。現在、吉和村、戸河内町猪山に四ヵ所植林地があります。その中で、猪山地区の人々と交流するようになり、毎年夏に泊りがけで交流会を開いたり、地元の運動会に参加させてもらつたりしています。」(原戸 祥次郎さん)
 
太田川流域の木で家を建てています

 「山に元気がない、山が荒れている一方で広島という都市は拡大を続けている、この現実に対して職能として何か出来ないか、と考え、太田川の木で家を建てませんか、と都市民に呼びかけたら反響がありました。去年から二回ほど四十人位で山に入ったりしています。そして、そこの山で切った木を地元の製材所で粗びき製材・自然乾操までやってもらって、町側の工務店さんにそれを使ってもらう、という形でやっています。山側の協力も得られつつあります。川を通じて、山と都市を結ぶ仕組みが作れないか、それが結果的に川をきれいにするのではないか、と考えています。」(下田 卓夫さん、西原 淳央さん、太田川流域木材で家を作る会)
 
 
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