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井出三千男さんのお話から

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編集後記

準備ニュース 1
【準備ニュース2号】

井出三千男さんのお話から

 井手さんのお話を、仮事務局の独断と偏見で要約してみました(文責は全て編集局にあります)。井手さん有難うございました(スライドも快く使わせて頂きました)。

 
太田川は地形的に変化に富んだ、とてもコンパクトな川である


 太田川本流は、冠山に源を発すると、可部まで東に進むが、可部からは南に転じて、河口へ注ぐ。
 流程は百キロ強もあるのに、源流部から河口部へ直線を引くと、約三十キロしかない。
 その中に、標高千三百メートルからゼロメートルまで、一般的な植物でいえば、亜熱帯から寒帯までの植物が包括されている。
 日本の一級河川の中で、一日の行程で、河口から標高千三百メートルまで行って来れる河川はほとんどない。

 また、太田川流域は、大きな断層帯を七つ持っており、それは大きい支流に沿っている。そのため、日本でも有数の「いい景観」、景色の素晴らしい地域になっている。
 

太田川流域では古代から人の手が入り、地形の改変も激しかつた


 中国山地は古代から「たたら生産」が盛んで、ほとんどの森に原生林はない。
 砂鉄を取るための鉄穴流しなどのために山を切り崩し、その後に平地が出来て、その後に田んぼ(今でいう棚田)が生まれた。

 そのことが下流にも大量の土砂を流して、広島のデルタは四百年程前から加速的に陸地化した。
 昔は川が交通路だつたので、浅野藩はお祭りといっしょにして広島町民に川ざらいをさせた(この様子を絵図にしたものが、今のフラワーフェスティバルのアイディアのもとになったらしい)。

 

太田川本流の水源(冠山山麓) 
 太田川本流の水源(冠山山麓)
丁川流域の風景 
 丁川流域の風景

 井手 三千男さん撮影
 
●流域に暮らした先人達の知恵

 戦前まで私達の先輩は流域の自然を巧みに利用して、古代から営々と治水や都市作りを行ってきた。
 しかし、戦後、世界に追い付け追い越せで、それらの技術は忘れ去られ、刹那的に壊されてきたが、流域には所々にその遺産が残っている。
 
坪野[加計町] の用水路 
坪野[加計町] の用水路
廃水を浄化する池 
 廃水を浄化する池
廃水を浄化する池 
 坪野の「水はね」

 画面右よりの、テトラポツドの上に見える石積みが「水はね」)


 井手 三千男さん撮影

 農村地帯の用水路としては非常に珍しく、潅漑用ではなく、炊事洗濯を行ったり雑廃水を流す場所として作られた。
 用水路は池につながっていて、その池は現在でいう水道局の沈殿池と同じ造り(石や砂、炭の重層樺造)をしている。用水路には水草が生え、鯉が泳いで水質の浄化に一役買つてきた。

 洪水のときに水の流速を弱めるために、石を積んで作られた。洪水が水跳ねに当たつた後の流れの変化(渦が起こること)なども計算して、巧みに造られている。
 現在は、川の流量が減って(発電用の水路に水を取るから)役に立たない。最近少しずつ崩れ始めている。

 広島城下では、河岸が上流域や海からの物資輸送の到着地であつたため、そのための施設があつた。
 また、一般の住宅も川に下りて洗濯したり、あるいは船で出かけることができるように工夫され、それらの遺産は本川や京橋川にわずかに残されている。
 今コンセプトとして語られるリバーフロントとか多自然工法、アンダーパスといったものは当時は現実に存在していた。

  川筋にある雁木や階段など潮の干満に関わらず作業しやすいように、細部にわたつて非常に巧みに造られていたが、それも戦後忘れられてしまった。
 最近は古川の河川改修にもみられるように、少しずつではあるが、土着の自然を生かした工法が、取り入れられつつぁる。
 それらは結局、何の事はない、祖先たちの知恵をそのまま踏襲する形になつている(その他、加計の吉水園や旧産業奨励館のことなどにも触れられましたが、紙面の関係上割愛させて項きます)。

 

●未来の太田川へ

 私達は戦後三十年で古代からこの土地に培われた技術を忘れ去り、刹那的に全く違った方法を取り始めた。
 その結果、たとえば森林などひどく荒廃し、回復するには百年はかかる(四万十川で五百年)といわれている。
 では、私達は何からスタートしたらいいだろうか。

 私達現代人には、「蛇口の向こうがみえない」と言われる。
 えらそうなことを考える前に、まず蛇口の向こうで見えないものを見ることから始めるべきではないか。
 見えないものを見に行き、川や自然、先人の遺産が教えてくれるものを、自分の栄養分としていろんな視点で吸収することから始めたらどうだろうか。

 たとえば、日本とドイツを比べてみると、交通対策を例にとっても、ドイツでは交通教育を非常に重視する。
 ドイツの都市では、未だに戦後復興できていない街が少なくない。
 そこでは、三百年、いや千年もつ都市作りを目指して、古代からの都市作りを踏襲して少しずつ事を進めている。
 川作り、森作りも同じではないか。
 イギリスやドイツでも十七世紀に森が荒廃して、そこから三百年かかってやっと今が出来た。
 日本でも少なくとも百年ぐらいのスパンでものを考えないと、物事は起こつてこないんじやないか。

 

 
 その第一歩として、

 私たちは、

 幼稚園から始めるような、

 もっともっと謙虚な気持ちを

 持つべきではなかろうか。
 
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