「揮発油税の暫定税率維持は環境対策につながる」
へえ〜、どのようなメカニズムで?つとつっこみたくなるのは、どうも私の癖のようだ。いま話題の暫定税率の議論が出来るほどの知識は、残念ながら私にない。しかし、本当に「環境対策になる」という根拠があるなら、それに対して検証する自信はある、いや、たぶん出来ると思う(なんと消極的な!)。もし、そんなことがちゃんと示されているならではあるが
ところで、自然の中で起きている現象や環境のためと称して行っていることの効果を検証するというのはどうやってやればいいだろうか。一般にはこれまで人間が培ってきた「科学」の知識を用いてということになるだろう。例えば、地球温暖化という問題に関してもIPCCという場を通して「科学」的に現象を検証しようとしている。
それではその「科学」つてなんだろうか。今回はそれを議論してみたい。
科学とは?
そんなことより、早く各論(温暖化問題やリサイクルなど)に入れよ!との声が聞こえてそうだ。しかし、この連載をするにあたってどうしても「科学」を抜きにして話をすることは出来ない。
「科学」つて聞くだけで引いてしまう人も居るかもしれない。子供の理科離れが問題になっているが、大人だって苦手な人は多い。それに環境保全活動のなどに顔を出してみると「科学が自然をダメにした」つていう人だっている。しかし、私が科学者の”ヒヨコ”なので、どうしても科学的知識を用いた方が、諸問題を検証しやすい。そこで、この連載でいうところの「科学」を定義しておきたい。
科学とは何か。そう問うと回答は十人十色だろう。以前、私は別に連載中の「若手放談」のなかで、「科学は様々な事象の翻訳語」というようなことを述べた(環・太田川第六二号、第六三号参照)。その意見は現在も変わっていない。これまで人間は自分の身の回りで起こる事象をなんらかの形で表現してきた。それは事象を起こしている相手を理解したいということもあっただろうし、ただ単純に自分の身を守るためだともいえるかもしれない。ともかく、その表現方法を模索してきたに違いない。そのなかで「科学」という表現方法が現れてきたのだろう。科学はその表現記号さえ理解できれば、誰でも使いこなせる。ただ多少、表現記号が難しい…ということはあるかもしれない。
それでは理解するための「科学」が発達したのに、なぜ環境問題が出てきたのか、そんな疑問が生じてくる。あくまでも私見であるが、これまで人問は都合のいいところだけを「翻訳」してきたからではないだろうか。人間にとって便利な事象が翻訳される、しかし自然の言葉には続きがあって、ある事象が起こると別の様々な事象が連鎖していたとする。翻訳した部分をうまく利用して活動する人間の周りには、当然連鎖事象が起こるだろう。現在はそのまっただ中に居るのではないだろうか。ただ、”自然”という本の文脈を読み取ることはかなり難しいようで、それに四苦八苦している。「地球温暖化」なんてまさにその象徴現象ともいえる。
翻訳が出来るまで
「科学は様々な事象の翻訳語」。ここではそういうことにしておきたい。それじやあ、科学を勉強しなければこの連載は理解できないのか?そんなつっこみが飛んできそうだ。いやいやそんな無茶なことをいうつもりはない。ただ、科学的な思考をするにはどうするればいいか、それを身につければ、「環境問題の事実やトリック」を理解出来てくるはずだ。ここではその手助けになるようなことを紹介しておきたい。
科学的思考をつけるには、まず科学がどのようなことに留意して翻訳をしているのかについて知ることが重要であろう。これをまねればかなりの視野が開けてくるはずだ。
事象から理解までのプロセスを図に示した。まず初めに行わなければならないのは、自然界の中から情報を抽出することだ。図で示した「眼」とは、もちろん観るということを含めた、触る、聞く、匂う、味を感じるといった五感を使うだけでなく、測ることも含む。いわゆる観察・観測と考えてよい。次に得られた情報を「吟味」することになる。図では「思考」と記載した。ここにはいくつかの基準がある。その基準はこれまで人間が科学を発展する上で築いたもので、欠かせないことだ。これらについてひとつひとつ検討することになる。それに加えて、他から得られた情報や他の事実をふまえて考え得た事象・法則がそれらしいかどうか検証する作業をするのである。それらが済むと今度は、それを解りやすく表現することが必要となる。自分だけが解っているだけでは意味がないからだ。その表現とは文章かもしれないし、ある種の数値かもしれない。或いは数式やグラフになることもあるだろう。
このようにして「理解」に繋かっていくわけだが、科学者や技術者の世界ではさらにやらなければならないことがある。それは他者による検証だ。例えば、学会や学術会議という塲で口頭発表やポスター発表をし、様々な方々からコメントをもらう。また、最終的には「論文」という形にする。その際には査読といって、専門家の幾人かの審査を受ける。それを通過すれば晴れて情報としての有効性を発揮する。
しかし、実際はこのような行程を経ず、世の中に出る情報もある。また、残念ではあるが情報が偽装されることすらある。偽装情報が見破れず世の中に出ることもあり得る。そうすると結局、情報を得た者自身が、その情報の信頼性を検証せねばならない。
冒頭で示した「揮発油税の暫定税率維持は環境対策につながる」という情報。私はそれを検証した出典を知らない。したがってその情報は今のところ信じかねるというわけだ。
科学の素
科学で検証する、それは大変な作業に思える。でも、こんな作業を普通に生活していて出来るだろうか。甚だ疑問である。そこで、もう少し焦点を絞ってみてみることにしよう。図の中に示してある行程のうち、重要なのは「思考」と書かれた部分といえる。この部分は先に述べたように、長い歴史の中で培ってきた基準というものがある。それらは、次のようなものだ。
「フローとストック」
「定量と定性」
「線形と非線形」
「確率と決定」
「保存と非保存」
「分析と綜合」
これ以外のもあるのだが、ここでは代表的なものを挙げてみた。なんのことやらと思う方もいらっしゃるだろう。しかし、これらの言葉は我々の生活の中に潜んでいる。例えば経営をしている人ならば「フローとストック」という言葉を使うことがあるだろう。このようにふと振り返ってみると、知らず知らずのうちに身につけているのだ。
しつこいようだが、再び暫定税率の議論に話を戻してみよう。「揮発油税の暫定税率維持は環境対策につながる」。このシナリオはおそらく次のようなものだろう(あくまでも予想だが)。
「暫定税率をやめるとガソリン代が安くなるので、みんなが車を使うようになる。そうすると二酸化炭素が排出されて温暖化が進行する。或いは京都議定書を守れなくなる」
おそらくこのシナリオにはクレームがつくことだろう。「環境問題はなぜウソがまかり通りのか?」の某著者なら次のようなストーリーを発表するかもしれない。
「税率が維持されれば、ガソリン代をけちってみんなどこにも行かない。どこかに行くお金は貯金する。この状況が続けばお金が貯まる。お金が貯まればパッと使いたくなる。旅行に行ったり大きなモノを買ったりする。そのときに二酸化炭素がパッと排出する(モノを買ってもそのモノを作るのに二酸化炭素を排出するので)。結局なにも変わらない。」
どちらのシナリオを信じるか、我々は判断しないといけないわけだが、さて何を検証すればよいだろうか。おそらく二酸化炭素(実際は炭素の方がよいだろう)を巡るフローとストック、定量的なデータ整理、そういった検証をすることになるだろう。
前述した「基準」をどのように使ったら検証できるか、次回はそのことについて説明してみたい。早く知りたい方は雪博士中谷宇吉郎の『科学の方法』を読んでみるとよい。
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