●若者放談(8)

 妖怪と科学 (その1) 藤井直紀 2006年 6月 第62号


◎私は猿候?

 
子供が何かしでかして親に怒られるとき、たまに「あんたはうちの子じゃない」なんてことを言ってしまったりする。我が家も例外ではなく、そんな親の台詞を何度か聞いた。「じゃあ、どこの子ねぇ?」と尋ねてみると、たいてい返ってきた答えは「あんたぁは、猿候川の橋の下で拾ぉてきたんじゃ」。んっ?なに?僕は河童(正確には河童の一種というべきだろうか。地方によって姿・形・伝承は異なるので)なの?って思ったものだ。

 「あんたは妖怪だ!」と言われているようなもので、普通の人なら嫌な気がするのだろうが、当の本人(私)は、それほど嫌がらなかった。というよりむしろ喜んでいた…ような気がする。というのも、当時は「ゲゲゲの鬼太郎」がマイブームだったせいだろう。

「ゲゲゲの鬼太郎」は皆さんも御存知の通り、水木しげる原作の漫画&アニメである。私は漫画よりアニメの方で親しみがある。テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は「サザエさん」ほど継続して放映されたわけではないが、これまで4シリーズが1960年代から1990年代にかけて、間隔をあけながら放映されており、さらに再放送もあったので、広い世代に知られている。そのような背景からすると国民的アニメ番組とも言える。私が幼少の頃にもTSS(テレビ新広島、フジテレビ系列)の午後4時代アニメ枠で、再々放映されていた。学校から帰って来るとそれを観ながら宿題をすませる癖がついていた(ながら勉強なので、学習効果は薄いのだろう、子供の私がそんなことを考えているはずがない…)。

 このアニメによって「妖怪」はそれほど怖いものとは思っていなかった。中にはあくどい奴もいるのだが、たいてい”詰め”が甘くお間抜けで、最終的には鬼太郎にやられてしまうので、結局恐ろしいとは感じない。むしろ好意的に感じたりするのである。それだから「おまえは妖怪だ!」と言われても、鬼太郎と仲間だと思えば嫌な気も起らない。変な子である。
 
◎妖怪に会ったことがない!

 
ところで、肝心の”妖怪”だが、実のところ私は出会った記憶がない。あえて会った(感じた)といえば、「となりのトトロ」に出てくる、まっくろくろすけ(すすわたり)ぐらいだろうか。お化け屋敷のような我が家でかくれんぼをし、納戸に隠れると…あたりは真っ暗で奥の方でごそごそ……。!!!。ネズミかゴキブリじゃあないの?といわれるとどうしょうもないが、その時は得体のしれないものと感じたものだ。それくらいで、面とあった記憶がない。

 じゃあ、どこに妖怪はいるのだろうか。ちなみに学校で話題となる「トイレの花子さん」、小学校ではそんな噂が流れるものだが、これ(彼女?)は”妖怪”ではなく、おそらく“幽霊”だ。それじゃあ、妖怪とは何なのか?
 

◎妖怪とは何?


 私は会ったことはない、だけれど昔の人は出会ったなんてことをよく言う。その差は何なのか。感性の問題なのかそれとも環境、或いは時代…。いろいろ考えた末、出した答えは「妖怪=ある自然現象の表現」ではないか、ということだ。

 私は「若者放談2」で1970年代から80年代の「宇品」でも多少は自然があったと述べた。しかし、昔の人のように囲まれていたわけでもなく、自然と接することも、危険を感じることもおそらく彼らに比べると少ないと言える。妖怪が自然現象あるいは自然そのものだとすると会わないのも合点がいく。

 おお、これは新しい考えだ…と思っていたが、つい先日、正木晃さんという宗教学者が執筆した「お化けと森の宗教学〜となりのトトロといっしょに学ぼう」(春秋社、2002年)にかなり的を射たことが書いてあるのを見つけてしまった…(がっかり)
(つづく)
 
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