廣嶋◇廣島◇広島◇ひろしま◇ヒロシマ◇HIROSHIMA

廣嶋◇廣島◇広島◇ひろしま◇ヒロシマ◇HIROSHIMA (幸田光温)

 ◎壱の巻 *豚の町* 2006年 1月 第57号


 のら猫とか、のら犬とかは普通だが、のら豚というのはまず聞かない。が、18世紀の廣島の町には数多くいた。伊勢の人で宮川春暉という儒医は1782年に京都を出発し、5年かかってほぼ全国を漫遊し、その地の印象を記録している。その中で広島でのびっくり記録を次のように書いている(口語読みに訳す)。

「安藝国廣嶋の城下は繁華・美麗で大坂より西に並ぶ地はない。その町に家猪(ぶた)が数多くいる。それは黒くて牛の小型くらいあり、肥え膨れて毛ははげかけ、綺麗ではない。京都などの町に犬がいるのと同じくらい家々、町々の軒下にいっぱいいる。これは他の地方にはないまことに珍しい風景だ。長崎にも少しはいるが、長崎の場合は見つけると捕まえて食べるので数が少ないのだろう。」

 次に、広島藩の編集になる『知新集』(1822編)にもこれに触れているので、その部分をやはり口語読みに書いておく。

「豚は府下の産物の一つで、昔は町々に多く、繁殖して遂には人家の食べ物も喰うようになったために、広瀬組の旧記によれば貞亨2年(1685)夏の頃から「豚狩り」を申し渡され、町中の豚を捕えた。その数は数百匹いたが、その中の1匹ずつを5つの組に残して、他は総て郡中に放った。しかしその後も残った豚が追々子を育てて増えてきた。そのようにして近年までは多くいたのであるが、何時とはなく減り今では絶えたようである。」

 以上の記録から要点をまとめると、

 1、いつ頃からか豚が増えてきた。
 2、1685年豚狩りを行う。
 3、残した5匹の豚が子を増やす(?)
 4、1782年、再び多くなっている。
 5、1822年には全くいなくなった。

 このような順序になる。5組に1匹ずつというのは当時の市中の町が現在の区のごとく広瀬組、中島組、白神組、中通組、新町組の5つに大別されていたことによる。1匹ずつ残した理由は不明である。

 当時の広島市中には奈良や宮島の鹿のように豚がいた訳だが、まずどうして広島に豚が増えたのかということ・・・最初にどこから来たのかは分からないが、人に殺されないから増えたことは宮川春暉が「長崎では人が捕えて食うので増えない」と言っていることでも少なくとも19世紀に入る頃までは町のあちこちで人目を引いたことを物語っている。勿論犬や猫も多くいた。1966年には犬猫が増えて人家に侵入し困るので放し飼いを禁じ「必ず繋いで飼うよう」命じる達しを出している。これらは当時の町に動物が増えるだけの食料の余裕があったという見方もできる。山村農村に天候不順で飢饉があった年には上流筋の農山村民の中には町に下って来て食べ物を乞う人も多かったようだ。

 時代はもっと後だが近世末の1859年、越後長岡藩の河井継之助が旅中に広島を通った時のことを日記帳にこう記録している。

「安芸の国は至って人多し。これは他の国と違いマビカザル故なりと言う。万一そのような事がしれると重罪となる由。これは善政である。」

 「マビカザル」は間引かないこと。つまり当時、子供が生まれた場合に生活苦で育てることが難しい庶民の間では「間引く」ということが普通に行われていたが、広島藩においてはそれが発覚したら重罪にされていた事。その制度は善政だと言っている。豚への対処も含めてこれらは浄土真宗の影響によるものかもしれない。


 豚の場合は別として、猪はやはり人の生活とは相容れず、時に市中に侵入してくると大騒ぎして退治した。1800年6月、比治山にいて作物を荒らしていた猪が7月には薬研堀に入って来て騒動となり、網を張って追い込んで漁師が斧で討ち取ったという記録がある(編年雑記より)。

 また同じ史料の1759年の項にはオオカミ退治のことがある。これは市中ではなく少し離れた古市(現在安佐南区)での事だが、

「3月中旬に古市村に狼が多く出た。その時、相撲取りで村の抱え力士となっている者が、わしが切り殺してやると言って一人で出掛けたが帰って来ない。そこで翌朝になって村の者が大勢で探しに行ってみると、その相撲取りは狼3匹を切り殺していたが、自分も喰われて果てていた」

 『編年雑記』というのは藩内の諸出来事を近習として眺めていた人物のメモだったと考えられている。当時は相撲興行が盛んで藩主も好み城下に相撲長屋を造って力士を住まわせていた時期もあった。それがなくなった後も力士は市中や周辺地域で抱えられて平常は仕事の手伝いなどをしながら相撲をとっていたのだろう。ともかく日本狼が城下近くの村にまで出没していたことは注目される。

 さて話は先の豚に戻るが、最初の豚狩りをした100年後には再びいっぱいいたのだが、どうして2〜30年くらいのうちにいなくなったのかがどうも気になる。また豚狩りをやって今度は完全に市外へ追放したのか?或いはまた長崎から来た人に、豚を喰ったら美味いぞとけしかけられて盛んに食べるようになったからか?・・
 
 
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