事象を捉える
我々の周りはめまぐるしく変化する。人間社会も、白然も、それに対応する人々の行動も。それらの状況を把握し、自分自身の行動を決める。文章にしてみると簡単なようなことだが、実践は意外と難しい。環境問題への対応も同様である。
前号では「ガソリン税の暫定税率」の話題を少し取り上げてみた。暫定税率維持が環境問題と関係があるとの議論に対して根拠がよくわからないと一蹴した。あれから少し調べてみると、どうやら国立環境研究所の報告をもとにした発言のようだ。揮発油税の暫定税率維持は環境対策につながる」というあの発言も一応「科学」的な手法から得られた予測らしい。我々はその情報をもとに政治家の発言を検証せねばならないわけだが、期限の3月末はあともう少し。ちょっと時間が足りないような・…
さて、前回に続いて「環境問題」の判断基準について議論したいと思う。前号の話を忘れた!という方のために少しだけ復習しておこう。簡単にまとめれば、「ある事象を理解するには『科学』がこれまでに培ってきたノウハウをうまく体系化してやればよいのではないか」という提案だった。具体的には@情報を得る、A情報をいろんな角度から覗いて体系化、あるいは法則を導き出す、Bその体系化したものを検証する、C表現する、というようなことをすればよいというものだった。ただし、すべてのことを個人でしていたのではきりがないので、自分の手元に入った情報を「検証」する部分について考えてみてはどうかということだった。その検証基準をこの連載では「科学の素」ということにしたい。
科学の素とはなんだっただろうか。その一例を再度示しておきたい。
「定量・定性」
「分析・総合」
「線形・非線形」
「確率・決定」
「保存・非保存」
「理論・実験」
「フロー・ストック」
いくつか並べてみたが、これを見てなにか気づくことはないだろうか。ぼ〜っつとみてみると…ひとつの項目はふたつの単語から成っているいることにお気づきだろうか。つまり、ひとつの項目に対して自分の持っている情報がどちらの単語を表現しているのかということを考えてみることによって、検証が進んでいくということになる。ただし、おそらく後述することになるとは思うが、これが結構難しい。私は仕事で大学4年生や大学院生の指導をすることがあるが、彼らのこれらの理解に四苦八苦しているようだ。当の私も、彼らと同じ頃にはまだ理解ができていなかったことでもある。これら科学の素をひとつひとつ説明してみたいが、そんなことをしてしまうと、「これは大学の教科書か!」とつっこまれそうな気がする。そこでこれからは実際の事象を挙げながら進めていきたいと思う。
「循環する」を理解する
「科学の素」が理解しにくいとはいえ、我々は「科学の素」のような概念をもとにした言葉を頻繁に使っている。その代表的なものが「循環型社会」の「循環」である。輪廻転生という言葉があるように、意外と「循環」という概念は日本人に身についている。残念ながら宗教が取り上げるところの輪廻、例えば「魂」の往き来については私には検証できない(もしかしたら「社会科学」の分野では輪廻転生議論があったりするかも)。循環の例でいちばんわかりやすいのは「水」かもしれない。雨が地表に降ってくる、それが地表を流れ束になると川となる、川を下ると海にたどり着き、海の水が蒸発して、大気へ…。実際には、途中で生物に使われたり、我々が産業に利用したり、移動途中で蒸発することもあるだろうから、水の循環も意外と複雑である。しかし、おおよそ理解できるだろう。
循環というのは図1が示すように、あるところからあるところに物質が転送され、それが連続している様を示す。科学者は事象の連続を細部に区切って理解しようとする。循環の鎖の一部を拡大したのが図2である。この図は「科学の素」でいうところの「フ囗ー・ストック」に相当する。フ囗ー(FLOW)とは、あるところからあるところへ移動する量であり、図2が示すところのAやBということになる。また、ストック(STOCK)とは、ある空間に蓄積される量であり、図2のCの部分を示す。もし、Aから入ってくるモノよりBから出て行くモノのほうが小さければ、Cにモノがたまっていくことになる。そうすると図1の連続性が失われ「循環」が維持されないかもしれない。このようにモノの出入りを細部に分割して理解することが重要であることはわかっていただけるだろうか。
もう少し、複雑に考えてみよう。自然の中というのは、図2のように一方向から入ってきて一方向から出て行くというようなことは意外と少ない。実際には図3が示すように複数から入ってきて複数から出て行くような形態が多いのだ。こうなると循環は「リング」ではなく、網の目のような「循環」を考えなければならない。頭が痛くなりそうだ。しかし、この概念って結構重要だ。別号に取り上げる温暖化問題で悪役となっている「二酸化炭素」の循環がこれにあたる。
「フロー・ストック」。これを考える上でやっかいなことがもうひとつある。それは科学の素の一項日に含まれており、それを満たさなければ「フロー・ストック」の議論はできないというものだ。その一項目とは「保存・非保存」である。
中学校かあるいは高校か、そんな年頃に「質量保存の法則」つて習った記憶はないだろうか。ある物質が化学反応を起こすとその物質は変化してしまうが、その構成物質の量は変わらない。例えば、水(H2O)を電気分解すると酸素(O)と水素(H)になる。物質は一見変わったようにみえるが、もともと水は酸素と水素で構成されたものであるので、それがばらばらになっただけである。このような変化が「フロー・ストック」システムのなかに含まれていたら難しい。図2のAから水が入る。しかし、Cを通過するするうちに分解してBからは酸素と水素が出て行く。このような構造では一見するとCに水が溜まり、酸素と水素がなくなっていくように見えるが、水と酸素・水素のバランスが一定であればストックの中身は維持される。
水で考えるとわかりやすいが、自然の中ではもっとわかりにくい形なっている。Aからは「オキアミ」という生物で入っていき、Bからは「クジラ」という形ででていく。一見A・B・Cの中身がばらばらなような気がするが、例えば生物を構成する代表的な物質である炭素というものを基準とすると、それぞれのバランスが連動しているかもしれない。
このような例でわかるのは、どのようなモノがどのように流れているか、それを理解できる構成成分にまで分解して見ていく姿勢が必要だということだ。
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