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生態系・
里山・里海
環KAN
学GAKU |
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−環KAN学GAKU− エネルギー その5 |
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トンネルを通る水には生命を育むことはできないの巻 |
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太田川は筆者たちの世代が生まれる少し前に、いや遡れば戦前から、流域社会にさまざまな形の「犠牲」を強いながら、全国でも稀な「完全かつ一貫した」形で電源開発された(立岩ダム、王泊ダムやいくつかの発電所は、戦前・戦時中に建設されている)。前回まで、発電所が建設されていく過程でおこったことをちょっとだけ調べてみたが、「完全一貫電源開発」の完成は、人間もその一員である流域の生態系(エコシステム)にどんな影響を与えているのだろうか。
日頃川と一番付き合いが深いのは、川漁をする方々だろう。そこで、太田川漁業協同組合におうかがいして、水力発電に関連し、太田川ではどんなことが起こったか、過去の業務報告書を読ませていただいた。それから、できるだけ川筋を歩いてみて、地元の方々や釣り人さんにインタビューさせていただいた。
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三段峡の
水を取る
柴木川
第一発電所 |
川の水が減るといろんなことが起こる
誰もが口をそろえて最初におっしゃるのが、堰の存在でアユやウナギ、サツキマスといった川と海を往ったり来たりする魚が天然では繁殖することができなくなったことだ。サツキマスなんかは、戦前は国内有数の漁獲量を誇った時代もあるらしいが、今は見る影もない。レジャーフィッシングや川漁ではあまり重要視されない魚についても、移動の大きい種類はこの何十年間かで極端に減ったという。
では川を流れる水の量が減ることで何が起こったのだろう―。川漁に大きな被害をもたらしたのが、夏場に水温が異常に上がりやすくなったことだ。異常高水温により、アユに病気が出たり、ひどいときは大量に斃死したりすることもあった。特に昭和53年の猛暑での被害は大きく、アユ数万尾が死んだとみられ、7月23日付の中国新聞朝刊広島版ではトップ記事にもなっている。夏の暑い年には、斃死にまで至らなくても、高水温のため病気が発生するという被害が繰り返されている。
魚病の発生や斃死は目に見えて分かる被害だが、流量の減少は、川のそばでずっと生活していないと感じることのできない、「微妙な」影響を与えている。たとえば、発電所が出来てから、川筋では昼と夜の温度差、季節による温度差が大きくなったという。河口のデルタの上でも、川の近くでは夏は涼しく、冬は極端な冷え込みがないように、水の存在は気温の変化を和らげてくれる。霧も発生しにくくなり、こうした(微)気象の変化が、周囲の樹木などに悪い影響を与えているとおっしゃる方もあった。
それから、太田川漁協の業務報告書に数年に一度は出てくるのが、大雨の後、異常な濁流が長期にわたって続くことによる被害である。昭和60年度の業務報告書によれば、7月に二週間以上にわたり濁流が続き、漁協では電力会社に抗議を申し入れている。これは上流に発電用のダムがあり、ダムにいったん濁った水を溜めてから放流することが関係している。地元の方々へのインタビューによれば、普段のちょっとした雨でも、川が「不自然な」濁り方をすると、多くの方が違和感を覚えておられる。
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建設から
60年を超える
立岩ダム |
発電は人間がやることだから、事故やトラブルもつきものだ。昭和57年度の業務報告書によれば、6月に太田川発電所の事故による異常放水で、漁協関係者の負傷事故がおこっている。昭和47年の集中豪雨のとき、立岩ダムより下流で出水による被害が出て、それがダムの操作が原因ではないか、と問題になったことはよく知られている。ダムに近い地域では、ダムが老朽化していることに対して強い不安(ダム崩壊への恐怖感)を抱いている方もいらっしゃる。ダムや発電所の存在は、そこに住まう方々に物質的な影響だけでなく、大きな精神的苦痛も与えている。
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これまでの「改善」は小手先の域を出ていない
太田川漁協では事態を憂慮し、昭和57年には沿岸住民七千名あまりの署名を集めて、河川維持用水の確保について建設省(現国土交通省)、広島県、広島市、中国電力に陳情書を提出されている。陳情書には、河川流量が少ないことによる弊害として、
1.水質が悪化し、夏期に遊泳できない、
2.灌漑用水、生活雑用水に不便になった、
3.水位の大きな変動や、異常放水がしばしば発生する、
4.霧が少なくなり、気候緩和の役割を果たさなくなった、
5.魚の種類、量が減り、川漁が衰退した、
6.夏季に水温が異常に高くなり、魚病が発生し、大量斃死したこともあり、ある種の藻類の発生によって、水が臭くなることもある、
7.堰堤が存在するために、魚の回遊ができない、
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の七点が指摘されている(昭和62年度業務報告書)。
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小さな支流にも
取水堰が
―左に見えるのが魚道 |
このような地元の方々や市民グループなどの粘り強い努力によって、電力会社による夏季の放水量が増やされ、ダムによる異常な濁流の発生に対しても、対策が立てられるようになった。また、平成四年には、太田川は「魚がのぼりやすい川づくり推進モデル河川」に指定され、堰には魚道が取り付けられ(発電用以外の取水堰についても)、広島湾から山県郡戸河内町まで魚の遡上が可能になった。
しかし、実際に川筋で多くの方々にお話をおうかがいした限り、これらの対策は、残念ながら決して「小手先」の域を出ていない、という気がしてならない。もちろん、ちょっとずつでも川に水が戻ることはとてもすばらしいことだと思うし、実際に改善された問題も少なくないという。でも、本質的には「一番取水がひどかったころより少しよくなった程度」なのではないだろうか。「魚がのぼりやすい川づくり」という言葉の意味は、「人間のせいでほとんど全く魚がのぼれなくなった川を工事して、ちょっとだけのぼりやすくする」ということではないだろうか。今の魚道は、アユやサツキマスといった、釣りや川漁に重要な種類には通りやすくても、それ以外の種にとっては必ずしも遡上しやすい構造ではない、という指摘もある。「エコシステム」とはそれを構成するすべての種類がそろって初めてバランスがとれるものではないだろうか。
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発電用導水路 |
また、維持流量が少ないから、発電量を減らして放水量を増やすのではなく、それを温井ダム建設の一目的に「吸収」し、そのために、山を削って一集落を水底に沈める感覚は、筆者にはちょっと理解できない。本末転倒ではないだろうか。
海の向うでは、ダムを撤去して生きた川を取り戻すことが現実に進められているが、この国のように平野が少なく、人口密度が高いところでそれをどう実現するか、そのために知恵と頭脳を結集することこそが、本当の「恢復」のために必要なことではないだろうか。
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恢復の世紀へ―問題は複雑だ
戦前から太田川の電源開発に直面してこられたある古老によれば、戦前の電源開発は軍都広島のための地域住民に有無を言わせぬものだった。戦後は軍国主義ではなくなったが、こんどは国や県を挙げての施策(「生産県構想」など)として、反論できる雰囲気にはなく、発電所建設によっておこる地域の不都合に対しては、全て「補償」によって解決し、決して計画そのものを縮小の方向で変更しようというものではなかったという。そしてそれは、結局「経済都市」広島市拡大のためでしかなかったのではないか、と行政や電力会社、さらに下流の広島市民に対して不信感をあらわにして語られた。
「戸河内町史」によれば、たとえば戸河内町横川地区は、三段峡の水を取る柴木川第一発電所からわずか数キロメートルしか離れてないにも関わらず、多年にわたり自家発電を強いられ、目と鼻の先の大規模発電の恩恵に浴することができなかった。昭和20年代後半の「芸北特定地域総合開発」の指定にしても、昭和30年代になると地元では、「総合開発といっても結局は電源開発ではないか」という声が聞かれていたという。
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巨大な
発電用調整池
―宇賀ダム湖
左に導水管から
水が流れ
込んでいる |
「取り戻せるものだったらかつて太田川を取り戻したい。ライフスタイルの見直しも含めて、より電気を使わないことも含めて、戻せるところまで戻したい。
これは、太田川の上流から下流まで、全域に暮らす全ての住民の共通のテーマになるべきではないでしょうか。特に電気の消費は下流の広島に集中しているのだから、広島という都市のあり方から考えていかなければならないのではないですか。」中流域でインタビューさせていただいているときの、ある方の発言だ。
そのためにまず、何をしなければならないのだろう。電気を大量に使わなければ大きな発電所はいらなくなるから、単純に考えると、やはりこの「太田川水圏」ができるだけ電気を使わない社会になるよう考え、実践していくのが「はじめの一歩」ではないだろうか。
「緑のダム」で利水や治水の面からみてもコンクリートダムが不要になるという研究成果もあるし、電気さえ使わにゃあ、ダムもいらんようになるで。と、ここまで考えて、頭が止まってしまった。
まてよ、ふだんスイッチを入れりゃあ電気は使い放題じゃが、実際どんくらい電気を使うとるんか、よう考えたら何も知らんのじゃないか?それにわしらが使っとる電気のうち、水力発電が占めとる割合はたいしたことないんじゃないか?太田川での夏の放水量が増えたのも、裏を返せば、ほかの方法で充分発電できるようになったけえじゃないんか?確か昔学校で火主水従いう言葉をきいたことがあるで。いまはコンピューターの時代じゃし、いろんな発電方法を組み合わせてやっとるんじゃないか?ほかの発電方法にもいろいろ問題があるんじゃないか?電気の問題を水力の範囲だけで考えるわけにはいかんのじゃないか?
…ということで、次回からは、私たち「太田川市民」と、水力以外の発電との関係について調べてみようと思う。(実は太田川には、土師ダムから江の川の水を取って発電する可部発電所や、「電気を使って電気を造る」―揚水発電所という不思議な発電所があって、それらのことも調べてみたいいのですが、もうちょっと後にします。) (続く)
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水本 清隆 |
〔引用文献〕
中国地方電気事業史 昭和49年、中国電力
業務報告書 昭和46年度?平成12年度 太田川漁業協同組合
太田川史 平成5年 建設省太田川工事事務所
戸河内町史 通史編(下) 平成13年 戸河内町
太田川新聞(仮称)発行準備ニュース第8号 平成12年 太田川新聞(仮称)を発行する準備会 |
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