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生態系・
里山・里海
環KAN
学GAKU |
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−環KAN学GAKU− エネルギー その4 |
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三段峡と電源開発 の巻 |
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昔の新聞記事を読むのはとても勉強になる。学校の歴史の授業で習うのは、テスト用の、後の世になってからの呼び名だけ切り取った「かけら」でしかないが、新聞記事からは、そのときの生の空気とそれを伝えようとする者の「意図」がぷんぷん臭って来る。第二次大戦後の太田川の発電所建設を中心に、記事や資料をめくってみた。
発電所建設は昭和20年代後半から集中して行われている。そのきっかけは、朝鮮戦争による「特需」のよ
うだ。25年の朝鮮戦争勃発を境に、中国地方でもそれまで停滞していた工業生産が急激に増えている。朝鮮
戦争の少し前から、アメリカ―ソ連を極とした「冷たい戦争」の始まりとともに、占領軍の意向が、日本の経済力を弱体化させ民主化させることから反共産圏の防壁とするために経済拡大を促進するという方向に変わってきたことが、そもそもの始まりになるのだろう。昭和27年には「電源開発促進法」も公布されている。
こうした背景のもと、太田川流域でも「生産県構想」の発表や「芸北特定地域総合開発」の指定が行われ、これらの中で太田川の電源開発が重い位置付けをされたことが、いまに至る流域の運命を決定付けることになった。筆者は政治的なことはあまり好きではないのだが、「どういうふうにして太田川のいまが出来上がったか」を考えるには、どうしても避けて通ることのできない問題のようだ。日本が不当な支配を続けていたお隣の国で起こった戦争を、いまの広島の「栄」の「土台」にしていることは、ごまかしようのない事実だ。
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ところで、当時の記事で一番よく出てきたのが、樽床ダム建設の問題と、三段峡のことだった。樽床ダムというと、「聖湖」とも呼ばれるダム湖周辺には別荘地やキャンプ場があり、若い世代には「遊ぶところ」というイメージしかない。しかし、樽床ダムができる前は、現在の「湖底」にも集落があって、大地に溶け込
んだ暮らしが営々と続けられていた。
ここには大正(明治という説もあるらしい)以来電源開発のためのダム建設の計画があって、水没させられることになる樽床地区の方々は、「死に勝る苦痛を与える」、「基本的人権を全く無視される」として、一貫して反対の姿勢をとられてきた。
しかし、昭和20年代後半に入り、電力会社と行政が一体となった説得・切り崩しが強まり、測量が強行され(流血の惨事もあったという)、樽床地区の反対のまま県知事による事業認定が行われ、「既成事実」による地区の動揺を突いて電力会社は攻勢をかけた。結局三十年を超える闘いの後、昭和31年にダム建設が正式に決定したが、樽床の方々の苦しみはそれで終わったわけではなかった。 |
いま「聖湖」は観光地で、広島から多くの人々が、当時のことを知ってか知らずか遊びに行っている。自分たちが電気を使うために何百年にわたって育まれた地域社会を壊し、さらにその上に出来た湖で遊ぶ―なんか恐ろしくなってきた。環境への影響とか以前に、いまこの文章を打ち込むのにも使っている電気というものがどれだけの理不尽ともいえる犠牲を払って作られているのか、そしてそのことに普段全く無頓着でいられるとはどういうことなのか、ダムの問題とはそういうことではないだろうか。
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ちなみに環境への影響でいえば、樽床のすぐ下流は三段峡で、やはりダム・発電所の建設に際して、三段峡の美観が壊されるという反対意見が、地元だけでなく文化財保護委員会などからも出された。紆余曲折を経て、いまふうに言えば「環境に十分に配慮する」形で建設が行われたが、結果はこの記事の通りである。この問題は技術的な改良で「解決」されたことになっているが、一度壊れたものは元には戻らない。筆者は小学生の頃(今から三十年近く前)に三段峡に紅葉狩りに行って、「こがあなええ眺めもあるんか」と感激したものだが、横にいたお袋が、「三段峡も樽床ダムができてだめになったねえ」とつぶやいていたのをはっきり覚えている。
それにしても気持ち悪いのは、当時の新聞記事や資料からは、ダム建設に反対する樽床の方々に対して、「みんなのためだ、補償もたっぷりあるから我慢しろ」という論調が見え隠れしていて、ある資料では反対運動のことを「抵抗」と上から見下ろすような表現すら使われている。筆者らが疑うことなく受け入れている、なにげない日常の血となり肉となっている、戦後の「民主主義」とか、「復興」というものは何だったんだろうか、とても後ろ暗い気持ちになってきた。でもそんなことを言うと、どこかから、「あのころの貧しさ、苦労を知らん者に何が言えるか!」、という声が聞こえてきそうだが…。 (続く)
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水本 清隆 |
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引用文献:
中国新聞
昭和25年3月8日付朝刊
昭和29年年5月19日付朝刊
昭和32年9月19日付朝刊
昭和35年7月30日付朝刊
戸河内町史 通史編(下) 戸河内町 平成13年
八幡村史 芸北町役場 昭和51年
中国地方電気事業史 中国電力 昭和49年
通産省 工業統計50年 |
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