|
|
|
|
生態系・里山・里海
環KAN学GAKU |
|
|
●生態系・里山・里海 −太田川再生− −環KAN学GAKU− エネルギー その1 |
|
太田川本流はパイプの中の巻
|
|
|
「太田川の本流はおまえ、川じゃのうてパイプの中よ。可部より上の川には、よいよ水はないんで。」
広島旧市内で育った私には、子供の頃山県郡の方から引っ越してきた近所のおじさんの言葉の意味が分からなかった。時々柳瀬や飯室に泳ぎに行っても、都会の子供のひ弱な体には恐ろしいほどの強い流れだった。
安芸灘の島々など百数十万の人に水を配ってもなお、デルタの六つの川に水を湛える太田川。平成六年の、百年に一度といわれる渇水の時でも涸れることはなかった。この水豊かな川の中流に「水がない」とはどういうことか。 |
太田川橋下の放水口 |
|
「可部と八木の境の太田川橋に行ってみんさい。あの下から水がどうどう流れ出とるけえ。あれはみな上流のほうで発電用に取った水で。」
そういえば、もうだいぶ前のことだが、あの辺で川に入って遊んでいて、急に流れが変わるのでびっくりしたことがあるが、そのときは、何かの排水口ぐらいにしか思わなかった。
太田川の上流にダムがあることは知っていたが、ダムのすぐ下で発電をするものだと思っていた。だから、太田川橋の下に出ている大量の水と発電の関係など考えたこともなかった。 |
間の平発電所 |
|
ところが、数年前、古本屋で手に入れた太田川の本を読んでびっくりした。上流にある大きなダムから、パイプを通して出したり入れたりしながら、可部の太田川発電所まで何回も繰り返して発電しているというのだ。その本によれば、太田川橋の下は、発電に使われた水の終点ということになる。
そういえば、太田川沿いを列車や車で走っていると、近くにダムもないのに発電所がたびたびあらわれる。そして発電所の横には、決まって山の高いところから太いパイプがおりている。
なんとなく、太田川の水力発電の仕組みが分かってきたような気がしたが、それでも「太田川本流はパイプの中」という言葉は実感のあるものではなかった。
|
宇賀ダム堰堤のそばを通る
太いパイプ |
太田川の水力発電の凄まじさを垣間見たのは、去年、広島市安佐北区にある宇賀ダム周辺を見学したときだ。宇賀ダムは、太田川の支流高山川に建設されていて、上流の発電用のパイプを通ってきた水と高山川の水を蓄え、さらに下流の間の平、太田川発電所へ流す水の量を調節する場所だという。宇賀ダムの堰堤のすぐ横には、津伏の取水堰で取った水が流れる太いパイプが走っている。
ダムの堰堤と送水管(ヒューム管) の取り合わせも壮観だが、何より驚かされたのは、宇賀ダムの下流の高山川がほとんど干上がったようになっていることだった。普段は農業用に別に水路を設けて少量の水を放流している以外は高山川には水を流していないというのだ。もはや川とは呼べない高山川を見て、長年胸にひっかかっていたおじさんの言葉の意味をようやく理解できた気がした。
少し古い資料だが、太田川の水力発電の歴史を書いた「中国地方電気事業史」という本(昭和49年)
によると、一番上流から下流の太田川発電所まで、現在ある発電所の水の利用率はのきなみ68パーセント以上になっている。つまり、川に集まってきた水の三分の二以上を発電用に取水していることになる。見方を変えて、上流のダムから太田川橋の下までの間で、発電用に全く使われていない区間を高さの差で表すと(未利用落差)、わずか1.3メートルしかないという。
そうすると、筆者のような若い世代が見てきた「太田川」って一体なんなのだろう。あの優しいせせらぎは偽者で、「本当の太田川」とは、むしろ「豪流」とでもいうべき、もっと荒々しいものなのかもしれない。しかしこの事実は、河口の広島市民にとっては、現実には電気を一番多く使う立場にいながら、アユ釣りかなんかで日頃中流や上流に行かない限り、想像もできない話なのではないだろうか。
|
|
川に水がなくなったらどうなるのだろう? |
|
|
|
少し落ち着いて考えてみると、川というものは、何万年にわたる水と地球との対話によって、ゆっくりゆっくり現在の姿を作ってきたことに思い当たる。
そして、目に見えている川の流れは、地面の下の水の動きとも一体になって影響しあいながら動いているはずだし、川を取り巻く生き物や人の暮らしも本来その水の動きと一体になって営まれてきたはずだと思う。
そんな「場」で、人間の都合でいきなり川からほとんどの水を奪ったら何がおこるのだろうか。太田川の恵みを受けながら、電気もたくさん使いながら生活しているのだから、そのことについて詳しく知りたいと思うようになった。(続く)
|
水がなくて草原になっている高山川 |
水本 清隆
参考文献:中国地方電気事業史 1974年、中国電力 |
|
|
|
|