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連載 「水とはなあに?」
〜生命と環境の関わりで考える〜 B
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馬場 浩太 (広島修道大学名誉教授)
2007年 3月 第71号 |
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水はポストモダンな存在
「山はプレモダン(前近代)だが、海はポストモダン(脱近代)なのだ」。これはある哲学者が青い海の真ん中から見て思ったと書いている言葉です。山は毅然とそこに立っている主体であるのに対して、海はいつも動いており、実体がなく、全てが関係している。この波とあの波が別個に存在しているのではなく、あるのはただただ「関係」のみ、というわけです。
これを読んだとき私は、なるほどそうか、うまく言うものだといたく感心したことでした。たしかに水は前回までに見てきましたように、水の分子H2Oの集団がつながったり切れたりしながら、あらゆる物や熱を溶かし含んで運び、地球上のすべてのものの間を循環して流れているという存在です。
前回は水の分子H2OとH2Oをつないでいる特色である水素結合を中心に、主に水分子の集団自体の中での分子同士の関係性を考えました。
今回は続いて水の持つ特色の一つである表面張力や界面活性の話題を取り上げて水と他の物質との関係性の問題にも目を向けます。さらに、毛管現象の意義から、植物が光合成において吸い上げる水の果たしている役割についてまで考えることにしましょう。
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水は表面張力が大きい −水分子が凝集する関係−
蓮の葉の上に溜まった水玉や稲の葉先できらりと光る露など日常ありとあらゆる場面で、私たちは水が玉になっているのを目にしており、水が玉になるのは表面張力のためだということは良く知られているでしょう。
水に限らず液体の中の分子同士の間には、お互いに引きつけ合う力が働いていてそれによって液体として凝集しています。液体の内部にある分子はその周りを同じ分子に囲まれていて、どの方向から受ける引力も同じという対称性があり力がつりあって安定しています。
しかし、液体の表面というのは、水ならば水という物質の集まりが他の物質(たとえば空気、ガラス、その他)と接している境界面のことで、表面にある分子については内部の分子とは違って対称性が少なく、境界面の内側に向かおうとする力が残ります。その表面の分子が内側に集まって表面の面積を小さくしようとする力を表面張力と呼んでいます。
水の表面張力(空気との境界面、20℃)の大きさは72.8dyn/cmですが、エタノールは22.3、ベンゼンは28.9、酢酸は27.7(いずれもdyn/cm)という具合で、水の表面張力が他の液体(常温で液体の金属水銀は別として)に比べてとびぬけて大きいことは水の特質の一つです。(dyn/cmという単位の説明は誌面の都合で省略します)。
このように水の表面張力が大きいのは、水の分子H2OとH2O同士をお互いに引きつけ合って凝集させている力が、他の物質一般の分子間力よりずっと強い水素結合の力であることによっていると考えられるでしょう。この水の表面張力が大きいことは後で触れる毛管現象にも直接関係しています。
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界面活性=ぬれる と はじく −水と物質のふれあい関係−
水を他の物体の表面に乗せたとき、水と物とのふれあいの関係性は、蓮の葉面のようにはじいて水玉が転がる場合や、ガラス面などのように薄く拡がる場合、または、木の板や紙・布のように滲み込む場合など、物質により水との関係性は極めて多様です。
ぬれるというのは、乗せた水の縁での盛り上がりの角度が極めて小さく、水が物の表面全体に広がって接触することです。完全にはじくという場合には水が球に近い形になって物の面と水との接触が生じないことですが、二つの違いはどうして出てくるかというのは、物の側の性質の違いと水自体の性質と両方の関係性の問題です。
まず第一に、水が物の表面とふれあって結びつく活性の元は、水の分子H2Oの形が「く」の字型をなしていて、水の分子のHの側に+、Oの側に−の極性を持っていることです。
したがって物の側の分子の中に、水のHまたはOと結びつくことができる−極と+極の分極構造を持っているならば親水性であり、逆にCH3など非極性の構造のみであれば疎水性ないし撥水性だということになります。もちろんこれはやや単純化した言い方ですが基本的にはこれで良いでしょう。
水は殆ど全てのものを溶かすと言われるように自然界の大部分は親水性の物質ですが、「水と油のように」という溶けあわないもの同士の例えがあるように、油・脂は疎水性の物質の代表です。
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毛管現象=界面活性+表面張力
−水を細部に行き渡らせる−
水葬やコップの中で水面が内壁に当るところでは水面とガラスなどの壁面が直角にはならず、水と壁面に沿ってせり上がっています。細い管を立てた場合にはこれが顕著で、周りの水位よりも高く管内に水が上がり、毛管現象といいます(図8a)。管だけでなく狭い隙間の2枚の面でも同様です。
これは水滴を水平なガラス面に乗せたときに水が広がって濡れるのと同じ水の親和性=表面活性と、水の表面張力=凝集力とのかね合いによっています。どこまで上がるかは管の径に反比例して細いほど高く上がります。図8では右側に比較のため示している水銀(b)はガラス管壁との付着力より凝集力が格段に大きいため、はじき合い管内の面が下がっています。
自然界の大部分のものは水との親和性が良く、水は岩の割れ目の隙間にも奥深く入り、深い地下水から土壌の細かい隙間に水が吸い上げられたり、毛管現象の作用は地表のあらゆるところに水を染み渡らせています。そして細かい根から吸い上げられた水が何十mもの高い樹上まで導管の中を流れて葉の先まで行き渡るのは劇的とさえ感じられます。
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植物の光合成と水
−なぜ大量の水が必要か−
私たち動物の命の流れをつくり維持するに必要なエネルギー源を植物が合成してエネルギーを蓄積した炭水化物等に依存していますが、その出発点となるブドウ糖C6H12O6(炭水化物)の合成を、植物は環境中から二酸化炭素CO2と水H2Oを取り入れ、緑の葉に太陽光のエネルギーを吸収することで自立的に行っており、これを光合成と呼んでいます。(図9)
この光合成が行われる過程で大量の水が使われていることについては最近ようやく認識されてきていますが、なぜ水が大量に必要なのかという理由については、エントロピーに着目すれば明快になることなのですが、専門家の書いた本にすら未だによく理解されていないような記述が見受けられます。
水が大量に必要だという条件は、そもそも原始の地球で生命が発生し、葉緑素をもった単細胞の藍藻類が光合成の営みを始めたのは太陽光の届く浅い海水中であったということと重なります。
やがて陸上に進出した植物は体の構造を進化させ、地中の根から吸い上げた水は光合成に関わった末に葉の表面から蒸散しています。植物が一日に失う水の量は重量当たりで哺乳動物の100倍だということです。また、穀物を1トン作るためには水は100トン必要だとされています。
図9の下の方に化学反応の式が書いてあるのをちょっとご覧ください。左辺は材料となる6分子の二酸化炭素CO2と12分子の水H2Oです。これに太陽光のエネルギーが加わることで反応が進み、結果として右辺のブドウ糖C6H12O61分子がつくられ、酸素O2の6分子と水H2O6分子が出るということを表しています。ここで反応式の字面では同じH2Oでも、左辺の水は液体で右辺の水は気体であるという違いに注意しておくことは重要です。
また、この式だけからはわかりませんが、実際に植物の葉の光合成でブドウ糖が1分子作られることに伴って蒸散する水H2Oは、6分子だけではなく、水分子の数百個の蒸散が必要だと計算されています。
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図10に山型の曲線が示されているのは太陽の光の波長による強さの分布(スペクトル)ですが、この中で植物の葉の葉緑素クロロフィルが吸収して光合成に利用できる波長の範囲は斜線でハッチされた、赤橙色と青紫色にあたる部分だけです。(波長700-400nm(ナノメートル)の範囲が人間の眼の可視光=赤橙黄緑青藍菫)
光合成の反応全体は複雑な多段階の反応ですから、最終的にブドウ糖の形で貯えられるのは吸収された光のエネルギーの一部でしかありません。複雑な精密工業製品の製造工程の中で大量に廃棄物が出るように、大半のエネルギーが反応の過程で熱になります。
また、光合成に関わらない波長の光の中から熱になるものもあり、結局全体として体温を上げることになりますから、葉から大量の水を蒸散させているのは葉の体温が上がり過ぎないように熱を放出するためです。
水分子の凝縮力が強く、液体の水から分子同士の引力を振り切って気化するために要するエネルギー・気化熱が大きいことで、効率的に放熱・冷却をしています。
森林で光合成と蒸散作用が殆ど同時に進行する、という事実は林学で知られていることです。光合成に伴う蒸散がもたらすローカルな大気中の水循環や冷却効果はもっと積極的に認識されて良いのではないでしょうか。
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