連載 桑原一司さんの自然みて歩き 6
 桑原一司

 2007年11月 第79号
きのこ狩りの巻


 急に秋が來て、キノコの話題がテレビにのぼった。私の中にもキノコの虫が起きて、ビールを飲みながらキノコの図鑑を見ている。ウズ、ウズ、もう次の休日のことを考えている。忙しくても、このウズ、ウズだけでは納まりそうもない。

 広島でキノコといえばマツタケだが、広島ではマツタケは取らせてもらえない。それはいいのだがマツタケの季節には山で遊べないのが困る。山のほとりを歩いていると、それだけで、人がつけてきて、楽しくな〜い。確かに、マツタケ泥棒と自然観察とは目的が違うのに、行動はよく似ている。

 県境をまたげば事情は変わる。どことは言えないが、気持ちのいい人たちの国がある。そこでは、山で出会うと「マツタケは取れましたか」と声をかけてくる。「ぜんぜん」と応えると、「あそこの尾根に、よう生えとりますで、」と教えてくれる。でも、もう10年もここで遊ばせてもらっているがマツタケは取ったことがない。確かにここは「しろ」だと思うのに、1本も取らせてもらえない。だけど気持ちがいいではないか。自由に、秋の野山を歩けるのがいい。秋の野山がマツタケにしか見えないのはもったいない話だ。



 食べられるキノコはマツタケだけではない。毎年、これだけは食べたいキノコがある。それはハツタケ。ボソボソしていてとびきりおいしいキノコでもないが、煮付けにすると甘味やこくがあって、結禍美味しい。山に入らなくても取れるのがいい。道路端の小松が生えたのり面を探してみよう。よく見ると、薄茶の地色に茶色の年輪模様がある、脚の短いキノコが松葉に隠れて見つかるはずだ。ハツタケは実に気のいいキノコだ。ちょっとひだを傷つけると、緑白色に変色して「ぼくはハツタケだよ。安心して食べなよ。」と言ってくれる。

 ハタケシメジも美味しいキノコだ。自宅の裏庭や公園の樹木の下など、こんな所に、と思う場所に数本ずつ株になっていつの間にか生えている。畑の土のような地味な灰褐色の傘の中央付近に、なんとなく透明感があるハタケシメジと分かる模様がある。最近、マーケットでもハタケシメジの商品を見る。栽培は難しいとの記事を見たことがあるが成功したようだ。

 秋の山で遊ばせてもらえたお陰で、私もいくつかのキノコを自分で取って食べられるようになった。ウラベニホテイシメジ、クリフウセンタケ、ヌメリササタケ、あたりは安心して食べられる特徴かっかめた。ウラベニホテイシメジは毒タケのクサウラベニタケといつも並んで生えている。よく似ているので、傘の色具合や、つまんだ時の硬さなどを慎重に調べてから、特徴がはっきりしているものだけを取る。私なりの決め手は茹でた時にウラベニホテイシメジなら傘の色が灰色になることだ。

 クリフウセンタケは抜群に美味しいキノコだ。黄金色の傘に白い柄のあるきれいなキノコで、特徴は傘裏のひだが非常に緻密なことだ。いつも同じ所に生えるので、基本的にそこに生えているものだけを食べる。

 ヌメリササタケは柄のやや上部にほんのりと青紫の印がある。これらはコナラーアカマツ林の贈り物だ。


 私は、初めてのキノコを食べる時には、4年くらいの時間をかける。そして100%大丈夫と思ったら、少し食べてみる。大丈夫だったら次の日に家族にも勧める。だから、自分で判断して食べるキノコは、特徴がはっきりしているか、近縁の種に毒キノコがない安全なものばかりだ。ナラタケ、クリタケなどは怖くて、一人では食べられない。ちょうどいい具合に、同じ団地の中に、キノコの大先生か住んでおられる。自信がないキノコは先生に見てもらう。すると先生は食べられるものと食べないほうがいいものとを峻別してくださる。私は、キノコ狩りの季節だけに訪問するというちゃっかりした弟子だ。そろそろ挑戦してみようかと思っているキノコは、オウギタケとハナビラニカワタケだ。

 世の中には、命知らずの「勇気ある人」がいて「困る」。コガネタケを取ってきた時のことだ。コガネタケは傘にきな粉をまぶしたような粉をまとっているので、毒々しくて余程通じた人以外には食べない。ある時、コガネタケとおぼしきキノコが取れたので友人たちに見せたら、食べてみるかということになった。99%は自信があったが、あと1%の確信がない。仕方がないので、初めに私か試食してみてからということにした。ところが、炊事塲に行くと、もう天ぷらにして揚げながら食べている人がいるのには驚いた。もっと驚いたのは、とてつもなく美味しかったことだ。シャキシャキした歯ざわり、こくのある味、イカの天ぷらのようだった。しかしこのコガネタケも最近出た『日本の毒キノコ』という図鑑に、中毒例があるとして載っている。

 ショックだったのはスギヒラタケだ。このキノコは、スギの倒木などに生える匙状の真っ白いキノコで、他に間違えるものがない安全なキノコということで、よく皆で食べることがあった。とくにクリームシチューにすると美味しかった。ところが、2、3年前から毒キノコになってしまった。東北地方などでこのキノコを食べた人が幾人も死んでいることが分かったのだ。一番安全なキノコだと思って食べていたキノコが突然毒キノコに指定されてしまった。それがショックだったと同時に、もう食べられなくなったことがショックだった。スギ林のどこにでもあり、簡単に取れて、美味しいキノコだったのに。

 こんなふうに、キノコを食べることとキノコにあたることとは紙一重のところがある。胃が痛くなる思いをしてまで、命がけで食べてみることもないと思ったりもするが、なぜかキノコは私を魅了する。それは、自然の探究なのだろうか、単にいやしんぼなだけなのであろうか。山のほとりに生えているキノコを見ても、その多くの名前が分からない。食べられるキノコを覚えることより、分類の基本を勉強することのほうが、ほんとうは大切なのだと思う。

 最後に安佐動物公園のマツタケ山の話をしよう。安佐動物公園のある安佐町は昔からマツタケの産地として有名な所だ。昭和40年代のことだ。安佐動物公園を建設するときには、マツタケを踏みながら道路や駐車場を造ったそうだ。昭和16年に動物公園がオープンした。私か動物公園に就職したのはその3年後だった。初めて動物公園のマツタケ山に入ったときのことをよく覚えている。山のほとりの藪を抜けると、そこは明るい松林だった。直径60cm前後のアカマツが林立していて、その周りに小道が巡っていた。そこがマツタケの「しろ」だった。でもマツタケは生えてなかった。捜し歩いて、くたびれて腰を下ろしてついた手に当だったのが小さなマツタケだった。ラッキーーその後マツタケは時たま見つけることはあったが、それよりも、赤、白、黄、紫のいろいろなキノコが生えているキノコ山であったことが印象深い。それから数年たつと、マツタケは全く取れなくなった。マツタケは柴を刈ったり落ち葉掻きをして山の手入れをしないと生えなくなるのだそうだ。さらに10年ほどして松枯病が侵人して、立派なアカマツ林が無残に枯れて白骨林の山になった。今はその白骨林も崩れ落ちて、コナラやリョウブの問にヤブツバキやヒサカキが茂って暗く、林床にはマツの残骸に落ち葉が積もっている。そしてなによりも、キノコが極端に少なくなったことだ。かって出会ったジョウゲンジ、ヒラタケ、コウタケ、ニンギョウタケ、シャカシメジ、クロカワなど、マツ・雑木林のキノコ群落が完全に消えてしまった。外からは緑の山が戻ったかに見えるが、林の中は生き物の種類が少ない荒れた山である。

 キノコは環境の変化に敏感で、里山の変化をよく映している。

写真1 安佐動物公園愛好会のキノコ観察会。島根県邑南町にて
写真2 キノコ狩りの獲物。中央の大きなキノコが ウラベニホテイシメジ。
写真3 クリフウセンタケ(ニセアブラシメジ)。おいしいキノコだ。
写真4 美しいアカマツ林。北広島町


 
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