連載 桑原一司さんの自然みて歩き2
 桑原一司

 2007年 7月 第75号
湿地の巻

 夏がくーれば おもいだすー
 はるかな尾瀬 遠い空…


 湿地はいいねえ。見ているだけで、わくわくしてくる。どんな生きものがいるのだろう。

 湿地が好きで、いろいろな湿原を見てきた。思い出深いのは、中池見・池河内湿原(なかいけみ・いけのこうち)。福井県敦賀市にある湿地だ。福井に行った時のこと、友人のどこか案内しましょうかの言葉に、二つ返事で中池見と答えた。探しながら到着した中池見はなんでもない荒地であった。あちらこちらにボクレンで掘り起こした水溜りのような水路が走っている。でも、メダカが群れていて、覗き込むとザリガニが泥をけたてて隠れた。フナやドジョウが右往左往している。アカガエルとクサガメが水に飛び込んだ。何か懐かしい。こんなに生き物がいる小川は久し振りに見た。
 実はここは田園湿地。近畿地方のガス会社の用地になり、ガス基地を建設しようとして反対運動が起きたところで、日本の水田環境を守る活動の中心地として知られる。デンジソウ、ミズアオイ、ミズニラ、オオアカウキクサ、サンショウモなど、かつては田んぼの雑草であった絶滅危惧種がここに生き残っている。とにかく広い。奥の方には自然の湿原が残っている。さっそく二人で自然観察会。いるわ、いるわ、ガムシ、ルリボシヤンマ、ヨツバトンボ、クロゲンゴロウ、見たことがない昆虫や草花。
 
 湿地の理解はなかなか難しい。湿地は一般には無用の土地。でも埋め立てれば「使える」土地になる。中池見湿地に限らず、こうして我々は、数限りない湿地を失ってきた。生きもの好きは、「湿地くらい多様な生き物がいておもしろい所はないのに・・・」と、唇を噛む。でこぼこの荒地も、ガス会社の協力で湿地の回復が進んでいる。湿田と生きもの、日本の原風景が残せるか、中池見の挑戦が続く。

 中池見から4kmほど南に池河内という湿原がある。ここは西の尾瀬と呼ばれ、のどかな田園と湿原の風景が広がる。水をたたえた深い湿地の辺りにヤナギトラノオ、カキツバタMミツガシワ、コウホネ、サワオグルマなどの花が咲いていてとてもきれい。福井に行くことがあれば、ぜひ寄ってみて。お勧めの湿地です。
 岡山県旧哲西町の鯉が窪湿原は訪れた人もいるでしょう。何と言っても名前がいい。ロマンチックで人を引き付ける名前だね。私はずっと「恋ヶ窪」だと思っていた。鯉が窪かなり大きな湿地で、真ん中の鯉の形?をした大池を取り巻き大小の湿地が広がっている。リュウキンカ、トキソウ、ノハナショウブ、ハンカイソウ、サギソウ、シモツケソウ、オグラセンノウ、ミコシギク、ドクゼリ、ここではいくら花の名を挙げても構わない。というのは、地元の協会がこの湿原を管理しているからだ。入り口にはちゃんと門があり。百円の観察料をとっている。これもいい方法だ。すばらしい湿原があっても、いつも、公開していいのかどうかが問題になる。希少な動植物は盗掘採取に耐えられない。鯉が窪は、オグラセンノウ、ミコシギクなど氷河時代の遺存種が残る貴重な湿地だけれど、管理して公開保護をしている。

 鯉が窪から南東に5kmの所に野性味あふれる湿地がある。面坪湿地(おもつぼしっち)という。ここはどうも「底なし沼」だ、鯉が窪も昔は牛や人?が沈んだと聞くが、面坪湿地は見るからに微妙な水面をしている。泥地の上にイヌノヒゲやモウセンゴケが生えているが、一歩踏み込むとズブズブだと思う。広島県にはない湿地の怖さが感じられる湿地だ。でも、大丈夫。この湿地もちゃんと管理されていて木道や遊歩道が巡り、危ないところはきちんとした柵がある。ここは湿地公園なのだ。湿地は公園になる。湿地が無用の土地から公園になるには科学者の助けが必要だ。
 
   もちろん、広島県にも立派な湿地がある。我らが八幡湿原。長者原湿原、尾崎沼湿原、木束原湿原などと四季折々に私たちを楽しませてくれる素晴らしい湿地がある。シロネやマアザミの間をぬってチロチロと流れ行く湿原の水は柴木川となり、太田川となって私たちの暮らしを支える。ここは太田川の源流なのだ。

 でも最近、心配なことがある。湿地がだんだん小さくなっている。奥尾崎沼の木道を歩いても、20年前にはずっと奥まで続いていたアギナシ、マアザミ、タムラソウ、ビッチュウフウロウの草むらが今は見渡せる範囲にしかない。木束原に行っても湿地らしい深い泥地や開けた水面が見えず、クマやテンが走り回る原野の景観だ。

 湿地の縮小と乾燥化については、私が言うまでもなく白川さんたちや地元に皆さんが調査し、警告を発し、回復への努力を続けている。「かきつばたの会」、ご苦労様。時折届く児玉さんから贈られたかきつばたの会のタオルは宝物だ。
 
 湿地探しは面白い。湿地の旗印はハンノキだ。ドングリの木に似ていて、ガサガサとした黒っぽい幹を持ち、ちょっとグニャとした立ち姿の、ハンノキを見つければそこは湿地だ。ハンカイソウの黄色い花が見えて初めて湿地に気付くこともある。よく見ると、アケボノソウ、コオニユリ、ノハナショウブ、ユウスゲ、レンゲツツジなど湿地仲間が生えている。

 湿地は八幡湿原や赤名湿原のような有名なものばかりではなく、もっと身近にいくらでもある。山の谷間、山の斜面、田のほとり、ため池の奥、河岸段丘の崖など、水が染み出ているところは全部湿地だ。田植えの後の田んぼは最大の湿地とも言える。

 中国山地の中山間部には、山の峠の付近に小さな湧水湿地が拡がっていることがある。峠の左右にある山の地圧によって地下の水が染み出るらしい。そんな湿地の中には、ハッチョウトンボやオオコオイムシやカスミサンショウウオが棲んでいる。また、ミミカキグサ、ムラサキミミカキグサ、モウセンゴケなど、湧水湿地には食虫植物がよく見られる。湧水湿地と食虫植物、それは貧栄養つながりだ。山の地中から染み出る水には栄養が少ない。だから、虫でも捕って食べようかというわけだ。何時も水に満たされていて貧栄養、そういう湧水湿地には特殊化した植物しか生きられない。そういう場所はごく限られるので、みんな希少植物だ。

 サギソウも中国山地の湿地を代表する植物だ。でも、サギソウが群生するような湿地は、今はほとんど見られない。ある山の中でサギソウが群生する大きな湿地を見つけたが、今は黙秘している。公開して守るべきか、非公開で守るべきか。難しい判断だ。公開するには守る人たちの集団が必要。しかし、山の中の目の届かない所を守るのは難しい。

 湿地地図にも載らないような小さな湿地を見つけては、時々行っては楽しんでいる。いわばマイ・湿地。湿地は周辺の環境を映す鏡、どんどん変わっていく。北広島町のふつうの山に、30年も付き合っている小さなマイ・湿地がいくつかある。A湿地は、水源の植林伐採でみるみる乾き、さらにその後、道路の拡幅でいつの間にか3分の2が埋められた。B湿地は、湿田の奥にサワギキョウやタムラソウが隠れて咲く湿地だったが、土地の持ち主が排水用の溝を掘った。さて、どうなることか。C湿地は伐採で乾燥が進み、ミミカキグサがなくなった。でも、たった一株のノハナショウブは毎年花を咲かせてくれている。残念で仕方のないこともあれば、また会えたねと喜びを分かち合う日もある。マイ・湿地は同じ時代を一緒に生きている友人のようなものだ。


 
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