連載 海 中 展 望
川上 清 

1.えちぜんくらげ
 2007年 6月 第74号

 
◆◆ギリシャ神話の怪物××

 メドゥーサが遂に「箱庭の海」にも姿を見せた。

 メドゥーサ(Medusa)〜ギリシャ神話の怪物ゴルゴン三姉妹の一人で、髪はへび。いのししの牙と黄金の翼を持ち、その醜悪な面相は見る人を石に化す魔力を持つと言われている。後に英雄ペルセウスに首を刎ねられて殺される。その「蛇髪の女」とも呼ばれる異相異体は言いえて妙、まさに「えちぜんくらげ」そのものである。

 平成17年10月に入って広島湾内で9件の目撃情報が寄せられていたが、観音マリーナ近くで傘の径50pクラス1匹が捕獲され、さらに宮島裏から似島沖にかけて数体の目撃者も現れた。その後、広島市農林水産振興センターの調査船が同じ大きさの個体の水中撮影に成功し、「えちぜんくらげ」であることが確認された。

 これら目撃情報や捕獲はわずかでも、その何倍もの個体数が流入しているものと考えられ、漁業被害にも移行してゆくことが心配されている。下関の水産大学上野教授は「瀬戸内海の西から東に流れる海流で、東シナ海にいるものが瀬戸内海の奥に来たのだろう」と推測されているが、その経路は二通りあるのではないかと考えられている。

 一.黄海や東シナ海に浮遊していたものが風波や潮流に乗って玄界灘まで流れより、早鞆の瀬戸をくぐり抜けて周防灘を西進、広島湾にまで入り込んできた。

 二.九州の西から南沖を迂回して豊後水道に入り、速吸瀬戸から柳井市沖、周防大島を通り過ぎ、広島湾流に乗ってお目見えと相成った。

 どちらにしても8月末から9月にかけて、小野田市沖や周防大島沖で漁業者による複数の目撃情報が寄せられているのを合わせてみると、その両方の可能性があるものと思われる。彼女らが広島湾北部海域「箱庭の海」にはっきりと姿を見せたことで、「えちぜんくらげ来る」と一躍脚光を浴びることになったが、過去にも、昭和13年前後、昭和33年、平成7年、12年、15年、そして17年と、最近の10年で急に頻度が増えてかなり問題化してきている。

 或いは、サイレントエイリアンとして何年も前から漂着していたのかもしれないのだが。

▼▼メドゥーサ嬢の来歴÷÷

 それではまずメドゥーサ嬢の正式名から紹介しよう。

 「無脊椎動物、刺胞動物門、鉢虫綱、根口クラゲ目、ビゼンクラゲ科、エチゼンクラゲ属」で、言い終わるまでに何度も舌を噛みそうになる固い長名である。
 学名は Stomoiphus Nomura
 英語で Nomura’s jellyfish

 漢字でクラゲは水母、海月と書くが、中国ではどんぴしゃりの「越前水母」又は「一種名叫越前海?的巨型水母」と至極丁寧。簡単に「海?(ハイチョオ)」とも呼ぶらしい。

 メイン形体の傘は半球状でゼラチン質は厚くてかなり固く、淡褐色で翼部は濃色。成長すると直径1メートルを超え150キロから200キロにまでなるという。半透明の多くの小触手と刺胞を持ち弱毒を持っているが、刺されてもちりちりと軽く痛むぐらいらしい。

 ふるさとは渤海湾、黄海から東シナ海沿岸の一部や長江河口域であるが、生態や生活史については専門的にも未だ解明されていないと言われている。

 食性は動物食とされ、プランクトン、魚卵や稚魚、牡蠣など貝類の卵などを飽食するので、同じ食性の鰯類などの天敵とも考えられている。近年になっての大発生は、中国沿岸部の富栄養化、海水温の上昇、乱獲や食性サイクルの狂いから生じる魚介類の減少で、過剰になったプランクトン、海岸線の改修工事などによりポリプ(モンスタークラゲの図表参照)の付着面積と生存率の増大、などが原因とされているが、これらの素因は中国経済の急成長とうらはらな環境保全対策や、アセスメントの不備にあると明言できるのではないか。

 これについて広島大学の長沼毅助教授は、「中国沿岸部の海の体質が変化したことが要因と考えています。海の生態系は、植物プランクトンを動物プランクトンや小魚が食べ・・・という食物連鎖によって保たれています。この植物プランクトンに善玉の珪藻と、赤潮やカキ、ホタテ中毒を起こす悪玉の渦鞭毛藻(ウズベンモウソウ)があります。善玉が多いと「魚の豊かな海」になり、悪玉がはびこると「クラゲの海」になるという説があります。それは悪玉を餌にするのがクラゲだからです。善玉の珪藻は山砂や川砂に含まれているケイ素(シリコン)を必要としますが、ダムなどで砂が海に入りにくくなって珪藻がげることもクラゲ大量発生の一因とも考えられています。中国や韓国でもスーパーダムが建設され、海に砂が入りにくくなっています。クラゲの大量発生は、体質の変わり始めた海からの鋭敏なメッセージだと思います。」

 と、まことに簡素で素人にも分かりやすい説明をされている。

 将来かなりのメドゥーサ嬢が広島湾に侵入しポリプの着床が続くとしたら、太田川から山砂や川砂が来なくなった「箱庭の海」は格好の無性生殖の場となり、カキ養殖や漁業全般に大きな悪影響を及ぼすことになるのではないかと憂慮している。


◆さすらいの旅◆

 中国エリアで発生した大多数は朝鮮半島に沿って南下、対馬海流に乗って日本海に入り山陰沖、福井(えちぜん)、能登半島、新潟と北上、津軽海峡から太平洋に抜け、親潮に乗って南下、房総半島にまで達する。その寿命一年と言われる割には、日本海沿岸の各地、太平洋沿岸の岩手、青森、北海道の噴火湾などに、10月初めから終わり頃にかけて超大型のものがかなり大量に目撃されているのを見ると、或いは少数派の寿命二年説も考えられるのではないかと思う。

 まさに「モンスターエイリアン」である。

 一方傍流となって瀬戸内海に迷い込んだ組とは別に、あの狭い有明海にもぐり込んだ一員が最近大問題になっているのである。

 佐賀県水産振興センターによると、傘の径が5,60pのものを5月から7月に目撃したとの情報が漁業者から続いて寄せられ柳川市沖では80pで30キロ級のものが漁網にかかっていたのをはじめ、諫早市、島原市付近の海岸に打ち上げられたとの情報も引き続きもたらされている。

 広島大学の上教授によると、「黄海方面から流れてきたくらげの最前列が対馬西方で確認されたのが7月21日、有明海での目撃はそれより1ヶ月も早く、有明海生まれの個体としか考えられない。これらは昨年入ってきた個体が産卵、受精してできたポリプからこの春生まれた可能性がある。有明海は中国の発生場所とよく似た泥海で、その上広い干潟がある為に繁殖に適している。」とも指摘している。

 何としたことか、わが「箱庭の海」も益々危なくなってくるではないか・・・

 この怪物の襲来による漁業減や漁具破損の被害は、17年9月から12月にかけ一千件にも及び、網に入った巨大な個体を取り除くための人件費、鮮度低下による漁価の低落などなど、被害金額の算定が難しいとされるほど多大なものとなっている。
 こうした事態に広島大学の長沼助教授は、「くらげの寿命は約1年、弱ってくると自己分解するとともに微生物がとりつき、分解酵素をつかってくらげを溶かすことで被害を軽減する取り組みが、別のくらげで実用化されています。当面、これをえちぜんくらげに実用化すればよい。自然界で起きていることを加速させるだけなので無害です。」と・・。

 また、上教授は、「えちぜんくらげの大発生や大量外遊への抜本的な対策は容易ではない。研究者も予算も少ない。“くらげのサイエンス”を充実させることが必要だ。」とも言われている。

 漁業関係者の筆者は最敬礼して、ただただお願いしますとしか言えないのが残念でならない。

 平成18年11月29日、広島大学練習船「豊潮丸」が竣工進水した。

 上教授、長沼助教授の更なる御研鑽とその確立を期待してやまない。
 
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。