「私の行っていた中学校は多摩川の河原に農園をもっていた。私か楽しみにしていたのは収穫のサツマイモを貰うときではなく、その河原にいる昆虫たちであったが、大抵は喜びより悲しみを味わわねばならなかった。その路上にはあるとき珍しい種類のヒゲコガネがたくさん発生していたこともあった。しかし私たちの行進はそのうえを否応なくおし進み、標本箱に飾ったらどんなにか立派であろうヒゲコガネも、みんなの靴の下でむざんに踏みつぶされた。私はつまずいたふりをして、一匹のヒゲコガネをすばやく拾いあげた。戦災にさえ会わなかったなら、私は今もそのときのヒゲコガネを眺めることができるのだろうに。」これは作家北杜夫の名著「どくとるマンボウ昆虫記」(1961)の。章「蜂の生活」からの抜粋です。1945年の東京大空襲によって、当時18歳だった北は、第二次世界大戦下におけるささやかな悦びの証であった昆虫たちの標本を含むコレクションをあっけなく焼失したのです。日々標本をつくり、その保管と活用に腐心する人生を送る私には、淡白な筆致であっても北のむなしさが痛いほどに伝わってきます。
さて、このヒゲコガネ、「昆虫シリーズ:第5集一として1987年に発行された60円切手のモデルになっているため、種名はともかく、美しく描かれたその特異な容姿を記憶している方々も多いのではないでしょうか。優美に湾曲した長い触角、濃い栗色の体色、そして前翅に不定形にちりばめられた美しい灰白色の鱗毛斑。シックでノーブルな風貌は、ツイードのジャケットを着込んだ紳士を連想させます。ただし、触角の先端7節がへら状に伸長するのはオスに限られます。大型個体では体長が40mmに達し、広島県内ではカブトムシに次ぐ大型のコガネムシです。コフキコガネやオオコフキコガネなどの近似種とは、本種のみが前翅に不定形な鱗毛斑をそなえる点で容易に区別することができます。
北杜夫が多摩川でヒゲコガネを拾ったように、本種が採集されるのは決まって大きな河川の河川敷や土手とその周辺です。生息地はヤナギの仲間や草本類が茂る河川敷に限られ、7〜8月に出現した成虫は薄暮から日没直後に盛んに飛翔し、明かりに集まります。自然環境下での幼虫の食物に関する報告例を私は知りませんが、本種と河川との強い結びつきからすると、幼虫は比較的柔らかな砂地あるいは砂質の土中に生息し、混入した腐植物や泥に含まれる有機物などを食べていると考えられます。国内では関東以西の本州、四国、九州に分布し、広島県内では太田川や三篠川などの数箇所の河川敷で生息が確認されています。しかし、いずれの地域でも生息地は限られ、さらに、河川改修や異常気象による大規模な河川の氾濫などによる生息地の消失や個体数の減少が確認されていて、各県のRDBの常連となっています。河川敷や河畔林は私たちだけのものではなく、ヒゲコガネを始めとする貴重な生物を育む”生き物の揺りかご”でもあることを、私たちはこれまで以上に意識しつつその維持・管理に当たるべきなのではないでしょうか。(写真・文坂本充)
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