長い面構えにすらりと伸びた後脚、栗色の体色はどことなく馬を思わせます。かつてはどの家にもあった竈(かまど)付近によく出没したことから付けられた和名がカマドウマ。古く江戸の頃にはイトドと呼ばれ、近世以降はベンジョコオロギと俗称されるようになりました。昭和40年代に少年期を過ごした私にとっても、カマドウマは「便所の片隅でじっとしている虫」でした。しかし、住宅の密閉性が飛躍的に高まった今日、便所への侵入を阻まれたカマドウマはベンジョコオロギでなくなりつつあるようです。また、タニウサギとは高知県で今でも使われているカマドウマの異名(方言)ですが、何とも柔らかな語感を持った秀逸なネーミングだと感心しています。
カマドウマ類はバック目(直翅目)に属し、現在まで日本から74種、広島県から8種が発見されています。県内産のいずれの種も夜行性で、森林内や洞穴、家屋内などで見られます。雑食性で小動物の死体などを好んで食べます。地味な概観や軟弱で腐敗しやすい体質が災いし、昆虫愛好家の収集対象になりにくいことから、分類や生態の解明はあまり進んでいません。私の調査では、太田川水系を擁する地域には6種の分布が確認されていますが、今後の調査で新たな種が発見されないとも限りません。
マダラカマドウマは広島県最大種で、脚を展開した雌成虫は葉書大ほどにもなります。乳白色の地にはっきりとした大理石模様の黒色斑があることから、他の種類と容易に見分けることができ、分布は平地沿岸部〜ブナ帯と広範にわたります。2004年8月、私か臥竜山の山腹で採集した本種1ペアは通常個体の3分の2の大きさしかない小型個体でした。先年に記載されたばかりのサツママダラカマドウマを想起させるその外観に「広島亜種の発見か?」と興奮したものですが、4年を費やして採集した標本の分析結果から「広島亜種」は残念ながら夢と消えました。しかし、臥竜山での調査で私はある貴重な事実を知ることができました。
森にすむカマドウマ類の採集の基本は夜問の地上ルッキングですが、熊に怯えながら夜の登山道を徘徊して採集できたのはわずか3個体。発見当初は、とても個体数が少ないと思われていた本種ですが・・幸運にもライトの明かりがブナの樹幹に静止する本種を偶然に照らし出し、その後は洞があるブナをめぐって多くの個体を効率的に発見することができました。マダラカマドウマは洞をもつブナの大径木を生活の塲とする樹上生活者だったのです。里山林(雑木林)や人工林における本種の地上徘徊者としての生活の姿は本来のものではなく、大径木と洞を失った結果だと考えられます。
東区福田の夜の雑木林で、アベマキの高さ約3mの樹幹部に静止する本種の集団を目撃したことがあります。そのときは本種の木登り行動をとても特異なものとして感じたのですが、むしろ本来の生態を示すものだったというわけです。洞をもつブナとマダラカマドウマを今日まで保全し、その知られざる関係を教えてくれた臥屯の原生林に感謝!
(写真・文 坂本 充) |