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連載 箱庭の海 〜かわうえ・きよしの海からのメッセージ〜 |
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第11回 ちぬのカブセ釣り(第二話) |
2005年11月 第55号 |
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昭和24年漁業制度改革で新しく漁業協同組合が誕生。海面使用の拡大が図られた翌年から、かき筏の設置が急速に伸びていった。それが漁礁となって、ちぬ一族は数とテリトリーを広げ、広島湾北部海域に確固たる名声を博する魚種に駆け昇った。
かき筏でのカブセ釣り船も数多く見られるようになり、プロもアマもその釣果に酔いしれたものであった。
それまでのカブセ釣りは、かき地蒔き時期の8月、金輪島や沿岸部でのボラ餌付釣りの終わりの9月中旬と、江田島湾たる磯での春ちぬ釣りくらいで、継続的に大きな釣果を期待できる条件に程遠いものであった。
丁度その頃、東レのナイロン系のテグス銀鱗が開発され、丈夫で扱いが簡便なためにそれを使用してのカブセ釣り人口が増え、難易度の高かった釣りもポピュラーなものに変わっていった。魚網も麻糸系からナイロン系に移行し漁獲量の飛躍的な伸びに拍車をかけた。
しかしその栄華も昭和40年をピークに急坂を転げ落ちるように夢幻と消え去り、48年から50年にかけては全盛期の10分の1、約10トンにまで落ち込んでいった。これは歴然たる証拠が存在する。昭和30年代の丹那前埋立てや、それに続く草津沖埋立てによって干潟や藻場を失い、親ちぬの産卵場や稚魚の育成場所がなくなったことが最大の原因。無秩序な乱獲と相俟って大自然の厳しいしっぺ返しとなったのである。
当時のちぬは広島ではまだ高級魚の一つで真鯛に劣らぬ人気魚、カレイやアイナメの後塵を浴びるようなものではなかった。
「2月、8月の鍋割ちぬ」
「産後の肥立ちにちぬ」
と諺に言われ、庶民にとっては垂涎の的でもあったが供給不足と割高であったため、店頭に並ぶことは殆どなかった。
それに加え、ナイロン系テグスや網による釣り人の急増、干潟と藻場の喪失。すべてが人為的な原因で遠からずちぬの姿がきえてしまうのでは、と憂慮する海からの声が伝わり漸く腰を上げた広島市は昭和57年、ちぬ種苗の本格的生産を開始。59年には50万尾の放流を継続的に行うようになった。その効果は顕著で、平成3年から12年まで100トンを超す漁獲量にまで回復することができた。
併し、不幸は予期せぬ所から訪れた。5月から6月にかけての排卵期に白石灯台付近の浅瀬に寄り集まった大量のちぬを一網打尽にして市場に持ち込み、ちぬ相場を一挙に下落させたゴチ網などの無秩序な操業により、かつてのちぬの名声は吹き飛んでしまい、高級魚から並魚、並魚から下級魚へとランク落ちし、価格も目を覆いたくなる程までに下落していった。
5月中旬から6月下旬にかけてのちぬの味も栄養価も最低で、かつては繁殖上からも捕獲消費することはなかった。仄聞するところでは学校給食に使った所もあるとのこと。消費者にそっぽを向かれるのもむべなるかなと言いたい。まことに残念、切歯扼腕の思いである。最近では、つい先程まで「ちぬ様」と奉っていた漁業者の中からも「負け犬に水」のような誹謗がちぬ消費促進会議でも起こり、名誉の失墜に一層拍車をかける基となっている。
曰く、採苗後抑制棚に移したかきの種や筏に通し替えて直の種を食う。アサリの稚貝を捕食する。ワカメの芽を食う。これらの食害を防ぐために放流は中止せよ!
これがプレッシャーとなり広島市はやむなく平成12年度から放流を1/2に縮小したのである。それにより漁獲量も70トン余りまで落ちたが、人気や価格の低迷は依然として続いている。まさにちぬ達の四面楚歌その嘆きが海の底から聴こえて来るような気がする。6歳の頃より慣れ親しんできた愛すべき魚の中の魚、ちぬ、大自然のままの夜明け待つしか名誉回復の手立てはないのであろうか・・・
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ここでちぬの生態について簡単に述べてみたい。一番の特徴は生長過程で性の転換をすることである。幼魚は全て雄で10センチを越えると精子が出来、15〜25センチまでは機能的には以前雄であるが両性型で左右精巣の内側に卵巣を具えている。25〜30センチで性の分化が終わり、大多数は雌になる。
食性は甲殻類、軟体動物、棘皮動物、多毛類、魚介類、海藻、人工餌など多様で雑食性が極めて高い。
習性は学問的には夜行性とされている。産卵が夜に行われることや、夜釣りの対象魚として親しまれていることによるものだろう。夜のカブセ釣りが無いことや、突然の明かりに強く驚くことや、かき筏など住んでいる漁礁に灯りを入れたあくる日は殆ど釣果がないところをみると、夜昼のないオールマイティの生活行動ではないかと考えられる。また彼等は、タイ科の魚は言うに及ばず同海域の魚と比べ問題にならないくらい頭脳明晰で、且つ警戒心も強く逞しい。
ここまで「ちぬ」という学者さんやお役所さんのお気に召さない名で書いてきたが、正式名は何とも色気のない「クロダイ」で、恥ずかしい話だが昭和40年頃までは私自身もカブセ釣りの名手といわれながら、ちぬとはクロダイであることを知らなかったのだ。クロダイは馴染まない呼び名である。漁師でクロダイと呼ぶ者はまず無い。大抵はチかチンがどこかに付いている。何でや、と言いたいような大阪地方の「ババタレ、オオスケ」などちぬ族にとっては不愉快極まりないものでもクロダイよりはましである。これらの呼び名はその地方地域の伝統的な文化であり、後々まで残してもらいたい名称なのである。
タイ科クロダイ属には4種類いるという。周知の「ちぬ」。河口汽水域を好みカブセ釣りでも時々お目にかかる「きちぬ」。奄美大島〜沖縄諸島がエリアの「みなみクロダイ」さらに南西諸島の「なんようちぬ」の4種。生態のみならず食べる時の調理法や味まで殆ど同じなので殊更述べることはないが、「きちぬ」「なんようちぬ」は正式名が「・・クロダイ」でないのが不思議でならない。
初恋の魚、今も愛してやまないちぬの速やかな名誉回復を祈りたい。
最後に、古くから丹那に伝わっている素朴な「ちぬめし」紹介したい。
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