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2008年11月 第91号 |
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自然の中で教育を
近年、小中学校においては「君が代」の強制に代表されるように、教育委員会から校長を通しての一方的な管理体制が強くなり、教師の中にはノイローゼ、うつ病が増え、自殺する人まで現れるようになった。一方家庭は、学校不信におちいり、塾、塾と母親は子どもを連れまわす。
しかし卜数年前ではあるが、ここに紹介するような「川ガキ、海っこ」といわれる子ども達がいたことも知っていただき、教育の根本的なあり方についてご一緒に考えてみたいと思う。
今回は市内のある中学校で発行されていた『図書館だより』の中から、太田川の川ガキを紹介しよう。(どうして図書館と川ガキが関係あるのかと思われるフシもあるかも知れないが、それをここで話していると、それだけで何ページにもなるから、ここでは省く。)
ただ一つ、筆者は市内三つの中学校で図書館指導に携わったが、図書館内、学校内だけでの教育ではなく、常に教師が家庭や地域に入って行くことの必要さを主張し、そうした記事を通信に出してきた。今回はその中の一つ、「釣りキチシリーズ」をご紹介する。
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その1 松長君の釣り日記
二年生の松長洋文君は釣りキチ五人家族の次男。家族の中でも一番熱中度が高いようだ。彼は「釣り日記」を書いている。簡単なメモだが、記録し続けていることは貴重な財産。ここでその一部を掲載させてもらう。紙面の都合で部分的に抜き書きとしている。
8月17日
佐竹君と父とで湯木の川に行き、父があな釣りでウナギを釣った。体長45センチ。その後、石の裏にサンショウウオを見つけ、腰がぬけそうになった。そいつはなんと1メートルもあって、おうど色に黒い模様がついていて、体重は十キロくらいありそう。佐竹君と一緒に思い切り力んで持ち上げ、ひいふう言いながら浅い所へ持っていって遊んだ。とてもおとなしいやつで、大分遊んでから流れに乗せて元の所へ返してやった。
この後、不思議な魚を釣った。オヤニラミ!17センチ。この魚は日本でかなり少なくなっており、熱帯魚店に持って行くと思わぬ値段で買ってくれる。
8月18日
今日も湯来の川に行き、父はアナ釣り、ぼくはアユをひっかけた。ぼくみたいな子どもがアユ竿を持ったら、近くでアユを釣っていた人が白い目で見た。ぼくは少し腹がたった。コロガシでアユを掛けると、周りの人がじっとぼくの方を見たので、「へっ、ざまみろ」と心の中で思った。
父が2ひき、ぼくが4ひき釣った。
8月19日
夕方から母と姉とぼくとで宇賀ダムヘ行った。ぼくはルアーでやったが駄目。姉は21センチのイダを釣った。
宇賀ダムでこの夏に釣った魚は、ギギ、アマゴ、オイカワ、ド囗バヤ、ハヤ、イダ、オヤニラミ
9月23日
朝から友達と三人でバンダイ池に行く。てんびんおもりをつけて、ミミズの餌で、池の中心に投げた。1〜2分して竿につけた鈴が鳴っだので竿を振って、リールを巻いた。充分な手応えがあったので、なんだろうと思った。水面にチヌのような魚体が見えた。それはブルーギルだった。ぼくは生まれて初めて見た魚だった。その後でぼくと友達とがブラックバスを1ぴきづつ釣った。三時頃に家に帰って水槽に入れた。
−以下途中略−
(1992)
1月2日
朝から徳島の薬王寺へ皆で参りに行った帰り、牟岐の海でサヨリ100くらい、ゴンズイ2尾、キス2尾を釣った。
1月3日
那賀川の支流にオイカワを釣りに行く。途中、釣具店が開いてなく、しようがないので海で使ったエビと、酒カスで釣った。イダ4尾、オイカワ2尾。
1月2日
昼から、岡野君、藤森君と三人で弥栄ダムヘバスを釣りに行った。岡野君が1尾釣った。
1月15日
今日は成人の日。兄は成人式に行った。ぼくは父と二人で三段峡、加計、湯来の川を釣り歩く。釣果は、イダ6尾、ハヤ9尾、アマゴ4尾。(エサはベニサシ)
1月22日
学校が終わって、岡野君と佐竹君と三人で寒バヤを釣りに行った。釣果はゼロ。あまりの寒さにハヤも動かなかった。ニュースでは大寒の日と言っていた。ぼくと岡野君とはウエーターをはいて、腰まで入って釣っていたので、道行く人や車がじろじろ見ていた。
2月6日
海釣りだ!。朝7時頃、荒木のおじちゃんの所へ行き、阿多々島ヘモーターボートで行った。初めは、海は深いし、落ちそうだし怖かったが、島に着いてすぐ投げ釣りを始めたら、タイ、アイナメ、カサゴ、カレイ、アナゴなどが釣れた。昼食後、投げ釣りの仕掛けが切れたので、サビキ仕掛けにモエビをつけてカキイカダの中へ入れた。少したってリール巻くとすごい引き!。ぼくはカキに掛って切れるなと思い、思いきりリール巻くと、なんと、上がってきたのは黒鯛!。釣り上げた時、びっくらこいてフラボノガムを飲み込んでしまった。体長35センチ。
帰りはボートの一番揺れる所に乗った。そのせいか次の日は勉強していても船に乗っているように揺れていた。
4月1日
前の日、岡野君の家に泊まり、朝3時に起き、芸北の八幡川に行った。入れ掛りだ!岡野君と二人合わせてアマゴを90釣った。少しかわいそうだった。家に帰り、受け持ちの先生の家に少し持って行った。
−−中略−―
6月1日
アユ解禁。学校から帰って佐竹君と宮本君と三人でアユ釣りに行った。この二人は初めてのアユ釣り。まずコロガシで1尾引つかけて、友釣りをした。小さいアユが3尾釣れたが、宮本君にあげた。
6月3日
深瀬で釣った。おれは12尾、父は2尾だった。アユを売った。7尾で1100円。
途中をかなり省略しましたが、こんな具合に日記はまだまだ続きます。1月に9回行っている中には雪の降る中での釣りや、川の中に腰まで漬かって釣り、通りがかりの人があきれて見ていたという記述もありましたが、その敢闘精神はたいへんなものです。また、各ページに仕掛けや魚のイラストもたくさんあって、なかなか楽しいものです。4月からは2年生になって、その熱も益々あかって、6月の釣行回数は13回で76尾、7月の回数は14回で180尾を釣っています。
さて、こんな彼の家庭の様子について次に聞いてみましよう。まずはお母さん。
お母さんはPTA文集の中に松長一家のことを書いておられましたが、その続きがまだありました。
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我が家の釣り熱中度 松長百合子さんの話し
うちの主人は昔から魚釣り大好き人間だった。長男が次に好きになり、いつも一緒に出かけていたが、今は次男がそれを上回って釣り好きとなった。私達一家は釣りキチ家族としか言いようのない家族だと思っている。
子供のおかげで魚に無知だった私も、彼等の話しや魚の本で少し知識がついてきた。彼の部屋には手作りの仕掛けがずらりと並んでいる。レースのカーテンには無数の蚊がとまっているのかと思えば、仕掛け鉤がいっぱいひっかけてあって、一瞬驚くやら、あきれるやら。6月中旬になると彼のアユ釣りは益々燃えてくる。学校から帰るのが5時過ぎで、それから私は(車で)彼を川に送り込む。7時過ぎる頃まで釣っているので、夕食の準備を済ませて迎えに行くのが毎日の日課になってしまった。6月も終わりに近づくと、釣る魚の数も毎日25尾前後になってあ。このままいけば、きっと主人を追い越すだろうな。
主人に「もうそろそろ釣りの方は子供に越されるかも知れないね」と言えば、主人はけろりとして、「まだまだ。俺のは年季が大っているからな」と答える。
さてそこで、年季の入っているお父さんに登場してもらって、一問一答のかたちで話してもらいました。
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自然の大切さをもっと子供達に体験させたい 松長 等さんに聞く・・
Q 釣りの経験年数はどれくらいですか
A 8歳頃から始めたので、38年か
Q 誰から習いましたか
A 祖父。以後は釣りをしている人の道具や、釣り方を見て覚えた。
Q 釣りの対象魚は何ですか
A アマゴ、アユ
Q 道具や仕掛け餌などで自分流のものは?
A その川の水量、大きさ、環境により釣り方、餌や道具を変える。私の場合、比較的川の小さく近くに田んぼ、畑がある場合はミミズが良く、おもりはできるだけ小さくする。道糸も短くして竿を短くしたり伸ばしたりしながら釣ると良い。餌は太田川上流、水内川等ではチョロ(瀬虫)が一番良く、泡立っているポイントにいかに上手に打ち込むかにより釣果は大きく変わる。もちろん音を立てないこと。太陽を背にすることのないよう。服装は黒っぽいのが良い。
Q 今迄の誇るべき釣果は?
A 釣果は特に考えていない。その日のおかずくらい釣れれば満足している。1日に30尾も釣れば十分。
私か釣り上げたアユで一番人きかったのは30センチで、高瀬堰の下でコロガシで上げた。旧日浦郵便局の前で45センチのカワマスもコロガシで上げた。いずれも51年頃だった。
Q 釣行での思い出は
A 渓流釣りは山の緑が美しく、空気も水も透き通っていて、せせらぎの音、カジカの鳴き声も心を落ち着かせてくれる。何といっても、うぐいすの声を聞きながら釣りができる。これはこたえられないですよ。
野うさぎの赤ちゃんに出会えたことも心温まる思い出だが、沢を登っている時に、手をかけようとした岩の上にマムシがいた時は、思わず川に落ちてしまいました。
ある雨の日に、田んぼの間を流れている川でアマゴを釣っていた。大きく竿を振っ餌をポイントに打ち込もうとした時、空中でその餌にツバメが飛びついてバタバタした時は驚いた。トンボが釣れることはよくあるが、こんな経験は初めてだった。
Q 今、問題に感じていることがありますか
A 私は徳島県の那賀川の上流で生まれ育った。その水の美しさ、魚種の豊富なことはどこの川にも負けないと思っていたが小学校4年生の時にダムが長安にでき、川はなくなった。思い出もこれで終わってしまった。
子供の頃は一年じゅう川で遊んだし、生活の場だった。ヤマメ、アユ、ウナギなどを釣って春を感じ、夏を楽しんだ。私達の場合は生きていくために魚を釣った。だから自然を誰もが大切にした。しかし今は違う。レジャー化して、欲しくもない魚を大量に殺しているだけである。小さい魚とか、その川の主のような大物は釣っても放流する気持ちが欲しい。
Q その他に平素考えている事がありますか
A 自然の大切さをもっともっと子供達に体験させなければならない。
川岸に捨てられている自転車、冷蔵庫、大量のゴミを取り除いて、美しい自然をとりもどしたい。もうこれ以上自然破壊をやめてほしい。
松長さんの言葉はだんだん熱を帯びて来ました。松長一家の釣りキチの底にはこうした自然に対する思いがこもってぃることが強く感じられました。お母さんの日課が塾通いではなく、川までの送迎だったことなど、実におおらかな家庭です。
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岡野君の場合
洋文君が敬愛し、時々釣行を共にしているのが一級先輩の岡野伸行君です。次号にはその熱中度を紹介しますが、彼がつりに熱中するようになったのは、父親の影響もありますが、小学校の担任教師からの影響が最も強かったようです。当時の学校には釣りキチ教師がいた。図書館便りではそんな教師へのインタビューもあります。 (幸田) |
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