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「石を」巡る自然と文化の結びつき

国際海洋都市ミレートス

川・百話 第一話

水の道をたどる(1)

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【準備ニュース3号】

連載 川・百話 
第一話 「思い出」


 
小学生だった頃の私は、当時大阪市内に住んでいましたが、両親の故郷が共に広島県内であったので、夏休みには時々数日間泊りがけで遊びに来ていました。母の里は広島市平野町で、今の広電車庫の裏の辺りでした。家の表側に出れば通りの街路樹でニイニイ蝉が盛んに鳴いていました。家への裏側は石がけで、どの家にもそこに石段がついていて、降りるとそこは京橋川です。干潮の時はずっと砂地が広がって、あちこちでアサリを掘る姿が見られました。小さいカニなどはいつも家の中に入って来ていました。網と虫かごを持って表に出るか、スコップとバケツを持って裏に降りるか、どちらにしても水陸の生き物に触れられる楽しさがありました。でも、もう少し足をのばして橋の方まで行ってみると、そこにはたくさんの少年が集っています。高学年の子どもたちは競って橋の中央の欄干の上から川に跳び込むのです。頭から跳び込む者、、足から落ちる者、鼻をつまんで跳んでみんなの笑いを受ける者、と様々ですが、当時の私にはこれはとてもできない冒険だったので、越中ふんどしひとつのそれら少年達を英雄のように羨望の眼で見ていたものでした。

現在の広島の街でも蝉が鳴いていることはよくあるけれど、市民が川に直接触れることというのは絶えて無くなってしまいました。

 一方、父の故郷は江の川上流の可愛川沿いの農村で、ここでは専ら魚捕りに熱中しました。アユは小学生には歯がたたないので、餌釣りでハヤやスナスリ、ムギツクといった小魚を釣ったり、また、父に習ってツケ鉤もやりました。ツケ鉤というのはハエナワ漁の一種で、かなり大きなナマズ鉤やウナギ鉤にミミズをつけて、夕暮れ時に川に沈めておき、翌朝早く引き上げます。まだ薄暗い川岸で目印の縄の一端を見つけ、引き上げるときの胸の鼓動は数十年経った今でも忘れません。大きなウナギやナマズ、ギギュウが上がってきたときは、ひとりで歓声をあげていました。あの頃の川には、特に朝の川には特有の匂いがありました。

 魚の中には昼間は川底にいるが、夜になると井手から田んぼのほとりの溝にまで出てくるのがいて、それを突いて捕えるために肥松や車の古タイヤを燃やして照明にし、歩きまわる「夜掘り」と呼ぶ漁にも加えてもらいました。近所の子ら三、四人について歩くのですが、夜の井手や田んぼは昼間とは全くちがった神秘的な雰囲気をもっていて、闇の中で猫が走っても大変!!魚を見つけるワクワクと、膝のガクガクとが入り混じったスリル満点な遊びでした。

 その後、母の里は原爆でなくなり、父の里は戦後間もなく父が死んで、生活のために家とわずかな田畑は手放すこととなりました。さらにその跡もダム建設で水底に消えてしまい、すべての痕跡は思い出だけを残してなくなってしまいました。

 余談になりますが、このダム(土師ダム)は全県で過去、地元住民の反対運動がなくて建設されたダムが二ヵ所ある中の一ヶ所だったと聞きました。多くの貧しい村民にとっては、祖先の遺した土地を守ることよりも当面手に入る立ちのき料としての現金収入を得る方が優先した結果だったと、これは当時の遊び友達だった人から聞きました。その頃の私はすでに土師の土地を失っていたので、そのことについての賛否を云々する資格はなくなっていたのですけれど…。

幸田 光温(広島民俗学会・日本民具学会会員)

 
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