犬島で現代アート体験  2008年11月 第91号


 顔に似つかわしくはないのだが、最近、現代アートと仲良くしている。先月、岡山市の沖合に浮かぶ小島「犬島」に出掛けた。良質な石を産出し続け、明治、大正の約10年間は銅の製錬所として数千人が住んだ産業の島。公害の歴史を知る島でもある。今は約60人が暮らす。製錬所の遺構や空き家を生かしたアートの島に変貌を遂げつつあった。

 JR西大寺駅からバスで約40分の宝伝港では、子どもたちが小さなふぐ釣りに興じていた。「釣れたらどうするん?」「分からん」。僕も日がな釣りして過ごしたいなと思った。海の方に目をやると、製錬所の煙突がにょきにょきと突き出ているのが見える。犬島には船で10分足らずだ。

 犬島港の脇には、犬島アートプロジェクトのビジターハウスが建つ。焼杉の壁の黒色がおしやれ。主に土日曜に開催している少人数予約制の製錬所ツアーはここからスタートする。午前11時の回には20人ほどが参加した。若いカップルも多いのが印象的だ。


 敷地の中にある黒っぽい煉瓦は「からみ煉瓦」と言うらしい。からみとは、銅の溶鉱炉で分離される副産物の鉱滓のことで、鉄分とガラス分か多い。じっと見つめていると吸い込まれそうな不思議な色合いだ。

 経済産業省の近代化産業遺産に認定されている製錬所。アート部分は撮影不可だが、朽ちかけた煙突などはカメラに収めることができた。

 製錬所は、銅の大暴落で大正8年に、わずか10年ほどで創業停止を余儀なくされたという。有毒の煙を出していた数々の煙突は、風化が進んで島の景色に溶け込んでいる。勢いよく煙を出した時間よりも、朽ちてきた時間の方が長いのだ。

 敷地内にあった火力発電所はまるで教会のよう。豪華な造りの建物から出る煙は、近代化へ猛進する日本のシンボルのように見られたのだろうか。

 現代アートと融合している部分に入る。建造後まもなく精錬所の閉鎖が決まりほとんど使われなかったという煙突は、シンボルとしてアートに取り入れられるとともに、内外の温度差などを利用した空調としての役割を果たしている。なんだか難しいようだが、計算をし尽くしてエコな設計になっているのが楽しい。

 直接太陽光を入れて室内が温まらないように、多数の鏡を配置して採光している。薄暗い中で目的地を求めるように歩く人が居てこそのアート。一人で歩くのとカップルで歩くのとは感じ方が違うのだろうなあ。

 煙突が空気を吸い込む音もやはり作品の一部。光や音などの自然をアートの世界に取り込んで、島の遺構や残材と共鳴させている。正直なところ、取っつきにくいイメージがあった現代アートだが、禁じ手なしに五感に訴えかける積極性に、不覚にも(?)感じ入ってしまった。

 「島民トーク」と題した講演会にも参加してみた。島在住の郷土史家の在本佳子さんは、日本の各地に「嫁いで」いる犬島の石への思い入れたっぷりに島の紹介をしてくれた。

 明治時代には37軒もの石屋さんがあったという。大坂城の本丸桜門内に存在感を示す36畳の巨石「蛸石」は犬島産の花崗岩。岡山城やさまざまな神社にも使われてきた。水分を吸いにくく風化が進まないことで重宝されたのだそうだ。明治時代の大阪築港の際にも、犬島の石が多く使われ、島の形はみるみる変わっていったという。讃岐桃太郎伝説に出てくる霊石「犬石」の足元の岩盤さえも削るほどだったらしい。

 近年でも、彫刻家イサム・ノグチ氏が設計した札幌市のモエレ沼公園の巨大石段に使われるなど存在感を示す。今は石屋さんは1軒だけになっている。ただ、島を巡ると石を切り取った跡によく出くわす。むき出しの岩盤は、見方によっては痛々しくもあるが、むしろ産業の島の歴史を誇っているようにも見える。

 島をぶらぶら歩いていると、犬島なのに猫によく出会う。在本さんにも3回ほど出会った。小さな島なのだ。だが、歴史を振り返る上で、いろんなヒントを提示してくれる島なのである。歴史を知る手段として、アートという形も悪くないなと思った。

 
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