毘沙門天の里見の岩「さらには案内の杭上」にて、立禅を組んだ。(写真参照 笑)
と書くとカッコよく聞こえるのだけど、ひらたく言えば、「馬鹿と猿は高いところが好き」なんてコトバを思い出しながら、ぼんやりと眼下に広がる広島市内を見下ろしていたに過ぎない。
その十分前には、思う相手を念じながら岩の間に小石を投げてとどまれば事が成就するという「縁結岩」の割れ目めがけて、何十という小石を投げてみたり、両手を広げて指先が届けば良いことがあるという「福石」に(数ヶ月で背が伸びるわけもないにも関わらず)性懲りもなくチャレンジしてみたりと、小学生だった頃とまったく変わらない馬鹿丸出しのはしゃぎ方であったことも記しておく。
ところで、本堂入口では、柄杓をもっだ小学生が、手水にたまった水を掬って口元に持って行こうとしているのに驚いた。
「そっちじゃなくて、流れてる方を掬って飲みんちゃい」
親に連れられて登ってきたようだが、山水を飲んだことがないのかなあ?どんなに綺麗に見えたところで、溜まった水は飲まないのが常識だと思ってたけれど。
もっともぼくの常識がみんなの常識であろうはずがなく、それは山水の件に限らず、太田川、ひいては環境全体に対してもそうだろう。そもそも、燃費の悪いクルマでハイオクガソリンを消費し続けてきたぼくなんて、本誌読者からしてみれば、「おいおい、おまえさんよお」と指弾されてしかるべきかもしれぬ(笑)
そういえば、数年前本業の関係で、小学生とその保護者に「太田川に対するイメージ調査」をしたことがあった。(アンケート企画も小学生がやったので、客観的資料にはなりにくいけど)
今日はそれを紹介するので、太田川について、皆さんの常識と比較をしていただきたい。(かなり量が多くなったので、15才以下、36六〜45才、66才以上の三世代についてのみ記載)
Qは「太田川に対して、どのようなイメージをもっていますか。」という、各種アンケートの最後にくっつけた自由記述欄です。
【15才以下】
大きく広い川。
少しきたない川。
魚もいて水もきれいなところ。
海にいる魚がいたりカキもいる川。
アユやアマゴがたくさんとれる川。
太田川をきれいにし。ゴミをすてたりしない。
太田川は大きくて、とちゅうでわかれているところがすごいと思う。
【36〜45才】
広島の心のふるさと。
排水が多くきたない。
豊かな水量、大きな川。
流れがゆるやか、河川敷が広い。
広島の代表的な川で市民の大切な水瓶。
上流はとてもきれいだが、下流は汚い。
三角州、アユで有名、水力発電。
流域の人口が多い割に、自然の豊かさが残る。
護岸が、釣り人が捨てたゴミ等で非常に汚い。
昔も今もあまり変わらない。河川敷は整備され、少し綺麗になった。
清流。下流のイメージは放水路。
広島の町が洪水にならなくなった。
河川敷が子供たちの遊び場として整備されている。ウォーキングに適している。
近隣の県が水不足で苦しむ中、広島だけが水不足に苦しまなくてすむのは、
太田川のおかげ
太田川の上流(加計)は、水も綺麗でヤマメやアマゴなどの魚も生息しており、
夏には蛍も見ることができるが、下流の三滝あたりでは、ヘド囗が堆積し、
水質も汚く残念。
【66才以上】
大きい、きれい、アユ。
水が多いときはとてもきれい。市の掃除のよい結果。
子ども時代によく遊んだ場所なので心に残る、唯一の自由に行動できる
楽しい思い出の場。
対岸の様子が変わった。護岸がコンクリートで自然の草木が少なくなった。
生物が安心して生息できる緑がほしい。
護岸工事が完了して整備されて美しいが、石垣の間からのぞく草花とか
小動物の姿がないのがとてもさびしく、なつかしい。
中流でも飯盒炊爨ができたほどきれいでおいしい水だったのが、今のよごれを
みると本当にさびしい。天満川、本川、猿侯川で水泳のできた頃がなつかしい。
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