2月3日の寒空の下、白い煙が揺らめきながら立ち上り、だんだんと勢いを増していった。
三次市畠敷町の熊野神社の節分祭。イワシの頭などを焦がして鬼(邪気)を払う「焼嗅(やいかがし)」の光景だ。このような風習があるとは知っていたが、見るのは初めて。珍しいと思ったのがイワシの焦がし方だった。
講談社の日本語大辞典では「焼嗅」を「節分の厄払いの一つ。この夜、イワシの頭、髪の毛、ネギ、ニンニクなど、におうものを火であぶって串やヒイラギの枝に刺して戸口に挿し、悪臭によって疫病神を追い払おうというもの」と説明している。
熊野神社では、三脚に組んだ竹の上に草履を載せ、その上に松葉とイワシを置き、神職が炭火で火を付ける。そして煙で鬼を退散させるわけである。なぜ、草履の上?確かなことは分からないそうだが、神社の関係者によると「泥の付いた草履の上で焼くと臭いが強まる」とのこと。使い古した草履であることがミソ。足の裏の臭いとあいまって、鬼を追い払う効果も増大するのであろう。
さらにこの神社では、ヒイラギの枝に生のイワシの頭を刺したものも、拝殿や宝殿などの柱に付けていた。一年中置いておくのだが、そのうちガラスなどがつついて持っていくのだという。昔ながらの慣習を目にすると、僕の心根はともかく、気持ちが温かくなるから不思議だ。なんでも、子どものしつけには、日本の伝統行事を体験させることが大切と教える人も多いというが、分かるような気もする。節分祭にいた三歳ぐらいの女の子が、「臭〜い」と言って鬼よりも先に退散した様子は微笑ましかった。
だが今のご時世、年中行事をするのも大変なようだ。熊野神社では節分に数十匹のイワシを使うが、近年価格が高騰中で神社にも痛い出費。さらに、神職一家は節分前後から頭のないイワシを食べる日々が続くのだそうだが、小学生は早々に「もうイワシは嫌」と言ったとか・…
おまけに豆まきの大豆も、食料とバイオ燃料で争奪戦が繰り広げられているトウモロコシの余波で値段が上かっている。鬼も高値の大豆で追い払われるのは本望だろうが「できれば国産でお願いします」などと思っているのかもしれない。
節分の次の主な伝統行事と言えば、桃の節句だろうか。備北地方では、子どもが誕生したときの節句に、三次人形を贈る慣わしがある。男の子なら「天神」や「武者」もの、女の子なら「娘」もの。人形に、賢くあるいはたくましく、美しく育つてほしいという願いを込める習慣はやはり、感受性豊かな子どもに育てるのに奏功しそうだ。
三次市小田幸町の広島県立歴史民俗資料館で開かれている展示「三次人形とその仲間たち」には、県内各地の土人形が100点以上展示されている。現在の三次人形(十日市人形)につながる宮ノ峡(みやのかい)人形、庄原市の田原人形、府中市の上下人形、三原市の三原人形、福山市の常石人形といった現在は途絶えた人形にも、同じような思いが込められていたのだろう。似ているよで少しずつ違う個性が面白い。
田原人形はおぼっちゃんみたいで、宮ノ峡人形は目が細い。十日市人形は顔が卵形で、上下人形は面長。「天神」を見比べると、十日市人形はあぐらに組んだ白い足袋が見えているが、田原人形は正座をしていて足袋が見えないものが多く、上下人形はあぐらの足が十日市人形より前に突き出ている。学芸員さんには、明治以降の「傘持ち娘」の持っている傘は洋傘と、文明開化?で流行を追った変遷も教えていただいた。伝統行事に注目すると、今まで何の変哲のない物に見えていた人形が、生き生きと語り出すのである。
節句の日、家では人形とともに、モチ米で作るほとぎや灯籠菓子を飾る。かつては「でこ(人形の意味)さんあらし」と呼ばれ、子どもたちがいろんな家に人形を見にいって、お菓子をもらって帰る風習もあったようだ。こんなのも、子ども時代のいい思い出になっているんだろうな。
私の実家でも、桃の節句や端午の節句に祖父母から贈られた人形を飾ってはいたが、もう少し伝統行事と積極的にかかわっていたらなと、今になって思う。備北地域は、面白い伝統文化がたくさん残る。自分なりにそれらを発掘するのが楽しみになってきた。
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さて11月号で記したカメムシの大雪注意報。三次市中心部では12月末まで雪が降らず、外れたかなと思ったけど、1月に入ってからは雪の日が多く、やっぱり当たっていたんだと感心した。とはいえ、ドカ雪はないものの、こう毎朝、車に積もった雪を落とすのもしんどい。そろそろ降り止めにしてほしいと思うのであるが…。 |