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●若者放談(12) |
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動物との関わり方 藤井直紀 |
2006年 10月 第66号 |
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9月末は「○○週間」が多い。生活上・公務上気になるのは「秋の交通安全週間」。この期間じゃなくても安全運転には心掛けてはいるが、警察が目を光らしているので他の日に比べると特に気にしてしまう。その交通安全週間にかぶるようにしてあるのが「動物愛護週間」だ。この動物愛護週間は「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)」によって定められており、9月20日から26日がそれにあたる。国や地方自治体、関係団体により各種啓蒙活動が行われる。
前号の鈴木さん執筆による若手放談にも提起されていたことであるが、皆さんは「動物愛護」という言葉をどのように捉えているだろうか?じっくり考えてみると意外と難しい。動物愛護管理法では「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、または苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」とある。初めの方に書いてあることは、言わば「動物虐待防止」ということで、なんとなく理解できる。後者、「その習性を考慮して適正に・・・」というのは意外に難しい気がする。
「動物愛護」を大辞林でひくと、次のように書いてある。「動物を人間と同一視しようとする理念に基づき、動物を大切にし、愛そうとする精神」。気になるのは「同一視」と書いてある部分である。動物の命を人間と隔たりなく大切にという意味で「同一視」というのであれば法律と一致することであるが、最近は習性まで同一視している観があるような気がしてならない。例えば「犬」。数万年前から人間と共同生活し、家畜化された生物ではあるが、最近は家事手伝いで必要という訳ではなく、ぬいぐるみや子供のように扱う人が多くなった。もちろん、人間と犬との関係は人それぞれであるとは思う。例えば、我が家では番犬、「犬は喜び庭駆け回る」というように外にいるものだという印象があるが、他の家では室内にいて、犬の天下であったりする。我が家の犬を見て、外に置くなんて可哀想だといわれることもある。どちらが「その習性を考慮して」いるのだが・・・その評価は難しい。
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前述の例は「犬」、つまりそばに寄り添っている生物なので細かな議論となってしまうが、他の生物だとまた違った展開となる。例えば「鯨」。日本では古来より、食糧や生活の道具を得るのに捕鯨を行っていたが、最近は調査捕鯨に限られている。調査捕鯨でさえ認められない可能性すらある。この捕鯨論争では、ある種の鯨個体数が減ってきたので保全のためにという意見もあるのだが、人間に近い、或いは同等の知能のある生物を殺すなんて可哀想だという意見もある。ここで問題となるのは「可哀想だ」という評価法だ。可哀想と言ってしまえば、牛だって鶏だって飼ってみれば可愛いもので、それを殺すなんて・・・ってことになってしまう。
「可哀想」なんて評価が妥当じゃないといった考え方になってしまうのも、私の頭の中に常日頃「生物学」「生態学」「動物行動学」なんて学問があるからかもしれない。生態学や動物行動学では「食う・食われる・共生・寄生」など生存競争に関する事柄がキーワードになっている。恐ろしいものでは「フィリアル・カンニバリズム(子喰い)はその生物種にとってどう有利なのか」なんてことが議論される。こんな話を聞くと発狂してしまう人もいるかもしれない。このような中では「可哀想」なんて感情を挟む余裕なんてない。
動物行動学の世界では、これらの事象をひも解くのに「利己的遺伝子」という考え方がある。利己的遺伝子は「自分の遺伝子を残すように生物は振る舞う」というもので・・・詳しく話を書くと難解になってしまうので、興味がある方はいくつか本を紹介するので読んでみることをおすすめする。
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◎「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス著、1991年邦題)
◎「そんなバカな!−遺伝子と神について−」(竹内久美子著、1991年)
◎「人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論」(日高敏隆著、2006年)
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これらの著者の中で、竹内久美子さんは人間の行動を動物行動学の視点(利己的遺伝子の視点と言っていいかもしれない)から紐解こうとしている。例えばなぜ浮気をするの?など。中には納得できないものもあるが、第三者、宇宙人が観察した人間の行動っていう見方で読むとなかなか面白い。
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話がだいぶそれてしまったので、元に戻すことにする。要するに「動物」と我々人間との関係を考える時、動物愛護を考える時、「可哀想」という観点から考えがちであるけれど、本当にその評価法は本当に正しいのか再考すべきではないかというのが私の考え方である。立場や見方の違いによって個々に考え方が異なるような評価法は本当に妥当だろうか?
補足するが、動物を飼う・扱うということは、義務や責任を伴う。それを途中で放棄することは許されない。それに関しては皆さんも同意見ではないだろうか。
追伸 これを書いている最中に北朝鮮の核実験実施発表があった。ヒロシマ人としては残念な報道であった・・・。 |
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