太田川の船大工
2001年9月 垂穂号

 
1975年8月5日撮影
川口九一さん (1895年生まれ) 左
川口 悟さん (1932年生まれ) 右

 川口九一さんは、1895(明治28)年、当時の下村に生まれ、坪野の船大工に弟子入りし、5年の丁稚奉公と1年のお礼奉公をした後、岡山県の川船・海船の造船技術を習いに出かけ、大正9年に帰って独立。毛木に船小屋(造船所)を建てた。
 明治後半期の太田川筋には十二軒の船大工がいて、大船(荷船)の活動は隆盛を極めたが、大正中期以後次第に下火となり、上流から船はなくなっていった。
 戦後はほとんどアユを捕る漁船しかなくなり、川口造船所は毛木から中屋(可部)に移転。太田川最後の造船所として命脈を保ってきた。この写真撮影の26年前はまだ親子での仕事だったが、現在は1932年生まれの悟さんがただ一人、伝統を守る重要文化財的存在として活動している。
 
 
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