「投稿」 市民が行政とガッチリスクラム!!
社会実験
ポップラ・ペアレンツ・クラブ
2006年8月 第64号
 本誌会員 浦田伸一さん

 
 去る7月21日、基町環境護岸空鞘橋左岸に於いて、ある社会実験の「協定締結」が取り交わされました。締結したのは新たに発足する市民グループ「ポップラ・ペアレンツ・クラブ」と国土交通省中国地方整備局太田川河川事務所。

 協定の内容を太田川河川事務所HPより引用すると、「太田川河川事務所では、基町環境護岸(通称:基町POP’La通り)において、市民団体ポップラ・ペアレンツ・クラブの方と管理協定を締結する運びとなりました。この協定は、地域住民等が主体となって行う河川環境美化活動を行政が側面から支援することを目的とした制度(アドプト制度)です。今回は社会実験として「愛される水辺の創出」のために官民が連携して行う活動のあり方について、協議の場を持つなど新たな取り組みを行います。」とのこと。

 さてここで、太田川河岸にある風景を思い出して下さい。すなわち、基町の中央公園西の河岸緑地にすくっと立っていた「ポプラの木」。写真をご覧になってもお分かりの通り、この箇所の河川護岸の線形は戦後のバラック時代からここに育っていたこのポプラの木を残すべく設計されたものなのです。このポプラから下流の空鞘橋まで広がる河岸緑地は広島市街の貴重な水辺空間です。
 

「愛さないともったいない」
 
 ポップラ・ペアレンツ・クラブの代表者であり、一連の潮流のキーパーソンである隆杉純子さんは、ある時このポプラのある河岸緑地空間を訪れ、「こんな素敵な空間をもっともっと愛さないともったいない!」と思ったそうです。「この河岸緑地の遊歩道に通りの名をつけようではないですか!」と声を上げたのも隆杉さん。

 この声は単なる一市民の声にとどまらず、「川通り命名プロジェクト」として、多くの人の共感を呼び、まさにプロジェクトとして動き出しました。そして、この基町の河岸緑地の遊歩道の名として1000通あまりの応募の中から選ばれたのが「基町POP’La通り」です。
 

ポプラの存亡の危機

 
 そんな折、大きな事件が起こってしまいました。なんと、この河岸緑地のシンボルであるポプラが2004年9月7日の台風18号の暴風で根こそぎ倒れてしまったのです。

 しかし、逆にこの事件が、官民一体となった「潮流」を加速させたのでした。隆杉さんたち市民グループとこの地区一帯の河川管理者である太田川河川事務は一丸となって3日後にはポプラを同じ場所に植え直し、その後も共に必死の回復措置をとりました。

 そして、このポプラは以前に比べ樹高は半分、樹形もスリムになったものの、2年後の今でもちゃんと芽吹き葉を茂らせているのです。
 
市民グループと行政の信頼の賜物
 
 今回の協定締結は「ふっと湧いたもの」ではありません。ここ数年の間に築いてきた隆杉さんたち市民グループと行政の信頼関係があってこその賜物と言っていいでしょう。

 そして、嬉しいことに「ポップラ・ペアレンツ・クラブ」はだれでも参加できるアドプト制度です。市民の誰でもがその気になればこの手で太田川デルタのシンボルである緑地帯「基町POP’La通り」を守り育てるいわば「里親」になれるのです。

 具体的な活動は当面、毎月第4土曜日の午後に、以下のようにグループに分かれて行います。
 ・樹木の養生(いきいき隊)
 ・草刈り 枝打ち(かりかり隊)
 ・雁木清掃(すりすり隊)
 ・緑地清掃(はきはき隊)
 ・休憩サービス(わいわい隊)

 筆者も早速7月21日に行われた締結式と7月22日の第1回活動に参加してきました。

 これからどんどん成熟していくであろう市民グループ「ポップラ・ペアレンツ・クラブ」そして、市民と行政のスクラム。

 是非貴方も一緒に草いきれと水辺の空気を味わってみませんか?



※「ポップラ・ペアレンツ・クラブ」と太田川河川事務との「水辺の管理協定」についてのアドプト制度とは?


 アドプトというのは「養子にする」ということば。市民や企業が公共の道路や水辺の空間を養子のように世話をして環境を浄化するという意味です。

 1985年にアメリカ、テキサス州での市民による道路管理がはじまりで、日本でも道路から公園管理など公共空間の市民による管理に広がっています(編集部)。

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