秘境・細見谷渓谷の魅力(後編)
〜沢登り7時間半の挑戦記〜
 本誌会員 古川耕三 
 2008年11月 第91号 


 4 細見谷と再会、いよいよ沢登り


 細見谷は、上流と同じように音を立てながら流れ下っていた(ポイントC)。顔を洗ってみると、思ったほど冷たくなかった。「さあ今からが沢登りじゃ」と言う谷田さんの言葉に身を引き締めた。そして、少し登ったところに最初のポイント『かがつ淵』があった。『かがつ』とはお椀のことで、この淵はお椀を伏せたように底の方が深くなっていると、谷田さんはお父さんから聞いたそうだ。淵に落ちる滝は水量が多い時にはVの字に見えるからか、他の文献にはV字滝と記されていた。

 淵のそばで弁当を食べた。ひんやりとした谷風が頬をなぜ、見上げると谷を覆っている木々の葉の隙間から青い空が見えた。静寂な谷の中で、淵に落ちる滝の音だけが悠久の時を刻んでいる。「三段峡よりはこっちの方がええと思う」という谷田さんの言葉が少しわかった。また、「上流の方で工事が進むと、そのうち、この谷にも土砂が流れ込んで淵が埋もれてしまう。三段峡でも上流の工事のせいで淵に土砂が流れ込んで、のけるのが大変じやと三段峡の人が言うとった」という谷田さんの言葉が、淵を前にしてより真実味をもって迫った。人を寄せつかなかったことによって、守られてきた自然がここにはある。

 思い出したように河床の一部をハンマーでたたくと、泥質岩だった。この石は中流部でもチャートを挟むように河床付近に分布していた石であった。この岩石の中に中生代の痕跡が潜んでいるのだろうか?
 

 5 最大の難所に挑む


 休憩後、いよいよ滝の上に出るために、最初の難所の崖を、高巻きに登り始めた(ポイントD)。地質調査では再々山の斜面を移動することはあったが、これはどの急崖ははじめてであった。しかも、リュックの中には撮影機材が入り、ハンマーを入れたカバンも持っていた。斜面に生えた柴や枝を頼りに少しずつ登り始めた。たちまち息が切れて、リュックの重みが徐々に体を強く引っ張り始めた。少し登った位置から、ついに『かがつ淵』の上の段におちる『大竜頭滝』が見え始めた。大竜頭(オオリュウズ)とはまさに谷を竜が登っていく姿を喩えてつけた名前なのだろうか。滝が谷を浸食しながら、少しずつ上流部に向けて後退するように、竜が上流部に向かって進んでいくようにも思えた。

 その後も一歩踏み外せば谷に落下するような難所が続いたが、時には、谷田さんの手を借りながら、ついに私たちは滝の上に出ることが出来た。滝の上には信じられないほど穏やかに澄み切った清流があった。川岸から大きなトチノキが空をふさぐように伸びていた。滝の上で私たちはしばしの時間を過ごした。私はビデオを撮影し、「細見谷の沢を登るのはこれで最後にしたい」という谷田さんは、かってヤマメを釣るために何度もチャレンジを続けたこの滝壺を、まるで別れを惜しむかのように眺め続けていた。
 
 6 ついに終点に達した

 少し行ったところで、遭遇したのは大きなガマガエル(正確にはアズマヒキガエルとか)だった。大きさは20cm以上はあっただろうか。全くビクともせずに河床にたたずんでいる。かって普通にどこでも居て、雨上がりなどには姿を見せていたガマガエルがここにはいた。小さいときに家の裏で出会ったガマガエル以来の対面だった。それにしても細見谷で生きる生物は何もかも巨大だ。ここでは、念入りに調べるともっとおもしろい生き物に出会うかもしれないと思った。しかも、しばらく行ったところで、谷田さんの上空を突然猛禽頸と思われるものが滑空していった。「トンビじやあないと思う。くまたかじゃったら、なんか羽に模様があるんじやろう、一体なんじやったんかのー」は谷田さんの言である。

 谷は上・中流部の風景に似て大きな岩が川岸に増えてきた。ついに終点が近づきはじめたのだろうか。しかし、谷が急に狭くなり。少し連続した淵が目の前に現れた。名前はないのだろうか、幻想的な淵で、水面に映る岩や樹木が美しく、もはやどこに水面があるかもわからなくなっていた。本当に美しい淵だった。そして、そのときにはもう石をたたくことさえ忘れてしまっていた。この淵のはっきりした位置は不明である。

 そして、いよいよ終点近く人工の堰堤に下に着いた(ポイントE)。そのとき17時20分、出発して約10時問弱だった。二人で無事に到着したことを心から喜んだ。還暦の私にはこの谷は少々厳しかったようだ。谷田さんも「やっぱり年じやあ、でも本当に無事でよかった。大成功です」と喜んでいた。途中、私は何度も谷田さんの手を借りながら難所を越えてきた。幾多の危険を乗り越えた者同士がもつ共通の喜びがそこにはあった。
 
 7 細見谷の未来

 谷田さんが堰堤を越えたところにいい淵があるんで、最後にそこを写真に納めたいと言っていたが、残念ながらそこには被写体となるような淵はなかった。上流部から流れ出た土砂が底を埋めてしまったようだ。今の状況でも淵は徐々にやせ細っている。もし細見谷に通じるいろいろな谷で工事が始まったら、人知れず奇跡的に残った自然の宝庫『細見谷下流部』は、人知れず壊れていくのではないだろうか。私が調査した十方山林道の道路拡幅予定地(七曲の手前から吉和側入り囗の方面に行ったところ)には地滑りの可能性のある箇所が多数あった。工事となると、相当斜面を削る必要があり、谷からは多くの土砂が流失されるだろう。また、地滑りが起こった時には、さらに大規模な土砂が下流部に流れ込むと思われる。経済的な損失のみならず、細見谷渓谷の自然景観にも大きな影響を与えるのではないかと思う。

 これだけの手つかずの自然は、地域のみならず人類が後世に残すべき自然の財産ではないか。発想を大きく変えて、立野キャンプ場を拠点にして、オオリュウズまでの遊歩道をつくり、自然観察道にするという方法もあるのではないか。既存のク囗ダキ谷までの下山林道を整備し、行き止まり地点(ポイントA)から細見谷に至る道をつくれば、割と簡単にできるはずである。そのためには上・中流部での工事は既存の林道を修理する程度にすべきだろう。

 私は、この沢登りを通して、人に愛される『細見谷』をありのままの姿で、未来に残していく思いをさらに強くした。今は、具体的にどう残していくかを議論する時期にきているのではないだろうか。
 
 
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