太田川源流の森・エコツアー
「水」誕生の現場で森林体感!!
〜指導者・竹田隆一さんの魅力に迫る〜
 2008年 7月 第87号 

 今月末に迫った本誌主催のエコツアー。指導者は、吉和自然教育センター所長の竹田隆一さんです。竹田さんは「先ず何よりも自然を体感することから始めよう!」と、体感した人が自らの力で学んでいく独自の自然啓発活動を展開。その活動は各方面から注目されています。吉和村「魅惑の里」にある「吉和自然文化教育センター」を訪ねて、竹田さんのお考えや、その魅力を探ります。(宮林・国分・篠原)


「森林の働きを太田川の源流、冠山で体感するということですが、どんな内容になりますか?」


 「森のめぐみ」を考えます。私たちの日常生活は森に支えられていますが、それを森の中で体感し「気づくこと」が第一歩です。言葉は要らないんですね。「森のめぐみ」で太田川の水が誕生し、そこから水の旅が始まります。森と川の接点に行ってみて、どういう状態で水が生まれ、育まれるのか? それを見て、におって、味わって体感する。そのきっかけづくりを私か担うということなんです。

 まず自然を体感することで、考えるきっかけを持つ。体感して得たものを家に帰って考える。体感に基づいて考えることは楽しいことです。森はいろいろなことを教えてくれますよ。一本の木、草、さえずる鳥、みんなそれぞれが精一杯生きている。他人のためを思って生きていることは一つもない。自分が生き延びるために生きている。それでいて森林全体としてはまとまり(生態系)を持ち、バランスを保っている。人間社会を考えるヒントもあると思います。人間社会もシステム自体の中にまとまりがあるはずで。バランスをもって考えることが大切です。ただ一ついえるのは鳥や木や草は大をダマシたりしません…。

「環境の問題は頭では分かっても実践に結びつかない。環境という言葉を聞いただけで一歩退いてしまいがちですが?」

 私は「環境」という言葉を使わないようにしています。どうも環境という言葉には暗い、重いイメージが強い。子供達は、これから生きようというエネルギーのかたまりなのに、これから地球はどうなるのかっていうようなマイナスのイメージが盛んに言われる。これでは負担になるし、大人もなるべく関わりたくなくなってしまう。そういう方向での環境教育はしなくていいと思っています。

 私たちの社会をもっとよくしていこうよという夢のある楽しい未来をつくる方向で考えた方がいい。それには自然の中に身を置いて、自然の厳しさ、苦しさ、恐ろしさ、また楽しさを知っていく、それが体感の意味です。それを元に稚拙でもいいから自分で自分自身を造っていく。それが責任ある行動をとれる自分自身をつくることにつながります。自分をつくる手法として体感が必要なのです。

「文明社会の中に浸かっている人間はもう、基本になる五感(見る、聞く、触る、匂う、味わう)の働きも感度が鈍ってしまっているのではないでしょうか?」

 子供達の中にはまだまだ、生きていると思います。小学校4年ぐらいまでは、木の枝打ち話をすると、「本が可愛そう」と言います。私は五感を磨くというより「見る、聞く」などを使う範囲を広げるという方向で考えています。例えば、森を体感するといっても夜の森は見ていない、森の歴史は何万年続いているけど、われわれが体感することは現在ある一部でしかない。46億年といわれる地球の歴史の中で、40〜50年しか生きていない。それで自然とはなんて偉そうな事とてもいえるものではない。だから、自分の中に通った責任のある自分の意見を言うことが、最低の礼儀になってくる。だから私の場合は五感を磨くというより広い範囲でものを捉えるという意味合いが強いです。

「乏しい体験しかないけれど、自分の意見を言える。その差を埋めてくれるのは社会がこれまで蓄積した『知識』なのでしょうか?」

 それは「知識」というより、その本人の洞察力を磨くことではないかと思うのです。自身が体感し考えていく。その思考の経緯を今度は人に伝えていく。その時、自分の考えを「ことば、文字」で表現し、どのように思考をめぐらせたかをまとめあげられるような教育環境、手法を与えてあげたいと思っています。

 「当たり前の不思議発見ゲーム」というのがあります。子供達に、普通に目に触れていることで、不思議に思うことを上げてもらったことがあります。その中で「木の幹が丸いのは当たり前と思っていたがよくよく考えると不思議だ」といった子どもがいました。「それはいいことに気づいた、どうしてなのか考えよう」。そして「丸い」ということは「曲げる力に強い」ということが出てくる。それで「あー電柱も丸いのが、訳が分かったナア」ということになる。

次になぜ丸いのが「曲げ」に強いのか考える。考える方向を与えてあげる。自然の摂理のようなことを人間の力で見抜いていこうとする。そこに算数が必要になる。外国の人もこういう研究をしている人がいる。それを知るために外国語も必要になるじゃろう。だけー英語もやらにゃーいけんということになる。学問がなぜ必要かということになるわけなんです。

 そして「人の手の指には3つの関節がある。もし木の幹が三角だったら、指の関節も2つになるだろう」それは人は森の中で育つたから丸い枝を握る関節になったんだ。木が三角だったら自動車のハンドルも変わっていたかもしれない。ということは、自然の中には様々な形質、形状があるけど、それには必ず訳がある。その因果関係を見抜いていくということ、それが「洞察力」です。それを追求していくことが学問だと思うし、人が学習していくことの原点がそこにあると思うのです。

 
このような魅力的な竹田さんにインストラクターをお願いする今回のエコツアー、これはまた魅力的な場所、太田川の源流、冠山へと誘って頂きます。

 とはいえ竹田さんは私達が自然から学ぶのにちょっとしたお手伝いをしてくださるだけ。「講師は自然だ」と竹田さんはおっしやいます。五感を目いっぱい使って、自然の中へ入っていきましょう。そこで何を学ぶのかは自分次第。体感であり体験であるこのエコツアー。新しい自分に出会うのが楽しみです。

 
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