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太田川聞き廻りの記 その十四 |
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懐かしき可部の街 商家の袖卯達
三十年前を眺める |
2007年10月 第78号 |
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●可部の街並みを歩いて
浜の明神社から北上して胡社のある折目で左折。さらに右折、再び北上して上市までが占くからの歴史を持つ可部の町だったが、今は大きく変わった。伝統的な和式平入り中二階瓦屋根の店は、一階軒上に軒を覆うほどの看板を上げる。さらにそれが一階の下まで降りてきて、前から見ると洋式建築と見まがうようなものも出てきた。
筆者は可部の町並みが大きく変わって行くのを感じた1974年(昭和49年)に二コマートに20ミリレンズを付けて可部駅前から上市まで往復して商店の列を撮影したことがある。(しかし観察が極めて粗雑であった事を後で気付き、大いに反省している)。その3年後、当時亀山中学校の生徒だった湯浅正恵、黒田朋子の二人が郷土文化財の調査・記録として『可部の町家の袖卯建』という課題で卯建の悉皆調査を行い、各家の卯建を全て撮影し戸別地図に書き込み発表した。(地図で黒塗りの家)
2007年現在では袖卯建を残す町家はほんの僅かだが、30年前のこの時期には地図に示す様に胡町の枡目より北にはまだかなり残っていた。
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●卯建(うだつ)の定義
ここでまず「卯建」について述べておく。本来の卯建というのは左の写真のように家の妻側に、二階の屋根よりも一段高く建ち上げて小屋根を設けたもので、この家の場合は更に一階の屋根の上にももう一段屋根を上げている。これは三次の町に今もある本格的な卯建の例で、可部の町家はこのような例はなく下の写真のように二階の両側に袖壁として設けた「袖卯建」である。袖壁の場合は防火の役目は実際には果たし得ない。家の格を示すとか、商家の繁栄を示すとかいうのが発祥・存続の意味であろう。(『日本民俗人辞典』参照)
まず左の写真は、右「深見理容店」(下之町)と左「白石酒造と井口」(下之町西)の袖壁で、共通した直線と曲線の調和したすっきり感がある。
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上の写真右から「谷口陶園」(上市)。「寺桝」(下之町)。「塚本」(折目)などは直線に一部曲線が組まれて重厚感がある。
上の写真は「山陽印刷」(折目)。全体と袖壁の部分とを見る。これは全て曲線で構成されていて複雑である。ところで、造る時に製作者は建造主の希望で造ったのか、或は自分の思う侭に造ったのか。年月を経てかなり褪色や剥落があっても、なお作者の意気が伝わってくるものが多い。もっと大胆に表現されたデザインでは下の写真のようなものがある。
右は「住岡クリーニング店」「和田無線」(二丁目)である。これらは袖壁自体が強く自己主張しているから、店の前でかなり派手に接客しないとバランスがとれまいと思う。
何れにしても、このような袖壁の製作者は芸術家だったと思う。現代の時代は新しいデザインを要求することは確かに分かるけれども、これらを立派な文化財として心にとめておくべきだとも思う。
次回、もう少し司部の町を眺めてみたい。 |
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幸田光温 |
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