「加計と文学」と言えばたいてい俳句が出てくるようだ。明治以後の各年代でそれぞれ波はあるものの、同好の人達によって幾つかの句会が結成され、県内の句の世界へも広がりを見せている面もあるようだ。
小説では『山彦』故に加計の人でない鈴木三重吉がまず何にでも出ており、その文学碑まである。郷土作家はいないのか・・となるが、「加計町史・下巻(昭和36年版)」に僅かに次の2名が出ている。以下その説明では(原文を一部省略)「郷土出身の作家として大田洋子・神谷夕美子がある。大田は明治四十年津浪に生まれ、昭和十五年『桜の園』で文壇に出、以後原爆体験を材とした『屍の街』や『人間襤褸』で名をあげ、女流文学賞を獲得した。神谷夕美子は大正九年加計に生まれ児童文学に専念。主な著作に『三太郎雲月山へ行く』『三太と太一』『桜尾城のこどもたち』『山峡物語』その他郷土に取材したものが多い。」
なお、この町史の中の大田洋子が津浪で生まれたという表現については、子供の時に養子に来たという資料もある。
それはともかくとして、大田の方は原爆を題材とした文学であるだけに、現在も書店でも図書館でも見ることができるが、領域の異なる神谷の童話は絶版になっていて、図書館にも置いてある所が少ない。一昨年、広島児童図書館で探してみたら『三太郎雲月山へ行く』が1冊だけあった。他のは今までに借りた人が返してくれない為に無くなったとのこと。これもそうなると困るねと言ったら「これ1冊だけということなら、館内閲覧にするべきですねえ」と司書は呟いていた。
そこで神谷夕美子さんのこと。元の加計町役場前にある栗栖旅館がその実家で、元の旅館の主人であった義典さんは弟であり、旧・加計町史の編集委員であった。姉の夕美子さんは結婚して神谷姓となり、現在は己斐に在住。実は先日偶然に、義典さんの旧クラスメートだったという方から聞いた話がある。この方は今は大阪在住だがやはり栗栖姓で桜尾城の下で生まれ育った純正「加計っ子」。
「夕美子さんは加計小学校時代から同級の義典さんのお姉さんで、秀才の先輩として尊敬していましたが、卒業して県女へ入ってみるとそこでも夕美子さんは上級生でした。でも私は寄宿舎生活、先輩は自宅通学だった為にお話しは一度もできなかったのです。それだけのことなのですが、この栗栖家とは不思議な縁がありました。私が2年前に加計の実家に戻って、その日は吉水園の茶会に顔を出した時、茶席で前に坐っておられた方が県女の寄宿舎で同室となった一級後輩の岡本幸江さんだったのです。驚いた私に幸江さんは彼女が栗栖義典さんと結婚していたことを話され、そこで私は二度びっくり・・」
この話主の栗栖さんは坂井千尋さん。坂井さんには『歌集・松籟』という文学作品がある。郷土の文学を大切にしたい。
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