写真・絵画で甦る太田川 

写真・絵画で甦る太田川 
(86)錦川の船乗り


 太田川のことを知る為には他の川との比較ということも重要と考え、近隣の河川の舟運について調べるため、船大工や船乗り経験者を探して歩いたことがある。その中から今回は隣の県の錦川のことを少しばかり。

 錦川は鹿野付近に源流を持ち、一旦南下して菅野ダムの位置から今度は北上し、さらに東へ走って錦町広瀬を過ぎた所で東北から下りて来た宇佐川と合流して岩国へ向かう。全長1100キロメートルと太田川とほぼ同じ。大きな曲折を持つところも共通点がある。舟運の上限は広瀬で、ここから岩国までの距離は太田川の加計から広島までとほぼ同じであった。しかし河口の都市の規模が違うことが大きな相違点でそれが船の数の差の大きさとなっている。明治末から大正初年頃までの船の数は、出合18、原10、竹ノ爪5、高ヶ原3、友廻10、舟津20、南桑30、椋野5、と総数百余り。主な下りの積荷は木炭、薪、板、こんにゃく、楮などで、登り荷は米、塩、味噌醤油などであった。

そこで上の写貞、井原喜一さんのことである。井原さんは錦川の主流が宇佐川と合流する所、出合の人である。この喜一さんの話しを聞いたとき彼の年齢は88歳であったが、自分の履歴に一種の誇りを持っていた。その職歴は上のようなものであり、全てその時代、その時期の流れを読んで新しい仕事に移り変わったのだという。それが成功だったかは聞かなかったが、色々な経験ができた人生であったということであり、間にロスタイムもなく移れたのは次の職社会から容易に迎え入れられた彼の人望も起因しているのかも知れないし、まず何よりも次の仕事に容易に順応した彼の力量にもあったのだろう。

 それはともかく、出合から岩国の今津までの距離は約52キロ、時間にして約6時間。荷物を下ろしてすぐに舟津まで船を引揚げて錦帯橋傍の川原に棹を組んで、それに数枚の莚を巻いた円錐形の小屋を造って寝る。2ハイの船が共同の小屋だが、このような形での船外泊は他の川船には見られない珍しいものである。

 船は総スギ板製で、きゃしゃで積載量も太田川船の60%程度だが、7枚板構造であるところなど太田川の船とよく似ている。
 ・ ・(幸田)
 
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