緑井という所はJR可部線で広島駅から10キロ余り、25分の距離にある。国道54号が拡張され、それと交差して山陽自動車道が高架し、そのインターが近くの川内に設けられるなど、交通の便が広がるのと呼応して団地やマンションが続々と造成され、それに伴って百貨店や電化製品専門店など、次々と商業化が拡大して來ている。それに文句をつけるわけではないのだが、「緑井」という地名の起こりをちょっぴり思い出してほしいーーなんて思って・・
文政年間にまとめられた「芸藩通志」に、遥か昔のこととして書かれている事であるが、まず、二首の和歌がある。
みどり井の縁の柳青やぎて
いと打ち乱れ春雨ぞ降る
春雨の降る夕暮れのならいかや
それとも見えず霞む縁并
以下、現代文にして書く。
「植竹山という山の麓に古い井戸がある。三尺四方くらいで、深さは二尺ほどだが、その中の水はとても清らかで、長い日照りにも枯れず、また長雨にも溢れず、村人の多くはこの水を汲めども尽きることなく、常に流れて近くの川に入る。冬にも井戸の中だけでなく、流れの末まで凍ることがない。井戸の中にウナギがいるが、これを捕る事は禁じられている。」
これが村の名の元だと言う。この井戸がその後どうなったのかは解らない。しかし「植竹」という地名はあるし、ウナギの語源と推測される「宇那木山神社」もある。ここは古墳があって銅鏡が発見された所だから、伝説の生まれる雰囲気は備わっていたと言える。
上の写真は現在の緑井、A百貨店とB百貨店とを繋いだ陸橋の上から北を眺めた風景である。左側に可部線緑井駅があり、その手前にバス停が見える。遠景の山は右側が阿武山(586m)、左が権現山(397m)である。この二つの峰の中間の凹みが鳥越峠で筒瀬に通ずる道である。この峠道に沿って細い谷川があり、水谷、植竹を経て緑井の田畑に流れ出ていた。この道をそのまま南下すると現在の七軒茶屋駅の位置に出る。この視界にはまだ数十年前が少しは残っているようだが、ぐるりと首を回すと湧水の井戸もウナギも想像から逃げてゆく。 (幸田)
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