みずべのいしぶみ
●みずべのいしぶみ
向光石・耕地整理記念碑 (安芸太田町・向光石) 2008年 7月 第87号
江戸時代の、零細で不整形のままで分散していたわが国の農地は明治32年(1899)の「耕地整理法」以来改良が進み、農村の景観も変えました。向光石の石碑はその完了記念碑です。
向光石は太田川右岸にありながら、水利に恵まれないため、当時は麻とキビ畑ばかりの小集落でした。そこで、区画整理から現地交換分合、農道や用排水路の新設まで行う同法に期待して、「坪野耕地整理組合」に参加。同組合は附地・向光石・光石・坪野を結ぶ約3キ囗の水路を通し、改良された各郷の水田に分水して、総計38町8反歩の耕地を開きました。
唯一対岸にある向光石は、碑文に「釣樋を架して水路を開き、1町8反有余歩の良田を開墾」の上「鉄の釣橋かけ渡し」「工費三千一百余円」で着手以来3年目の大正6年11月完了としるし「将来倍々発展せん、石文たてて功労を千歳の末に伝えん」と「を田朽庵」という人が歌い上げています。(西藤)
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