寺領川が本流と合流する地点、正地の対岸から遡って山間の径を暫く行くと与一野という所があり、「那須与一の墓」と書かれた五輪の塔が道端にあります。
あの源平合戦の時船上の扇の的を射た弓の名人のこと。ほんまかいの?と思う人もあるかも知れませんが、地元町の教育委員会・郷土史研究会が書いた看板が掲げてあり、次のような解説がありました。
「鎌倉幕府は基礎固めのため東国武士を地頭として西国へ送った。この地方へは那須与一が送られ、晩年はこの地で田畑の開拓を進めたので、ここを与一野と呼ぶようになったと伝えられている・・・」 |