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奥が深い石垣づくり
4年目の清流塾「石垣づくり」講座
広島県立大学教授 宮本 誠(本誌会員) |
2008年 1月 第81号 |
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「雁木組」氏原睦子理事長のお話でご紹介した太田川清流塾の「石垣づくり」講座。雁木組との連携で、来る3月1〜2日に平和公園の西側、太田川本川の護岸の修復をすることになりましたが、この「石垣づくり」講座はこれまで4年間、山県石工の伝統を継承する最後の棟梁といわれる上本宏美さんの指導で石垣づくりを学んでいます。
このお話をきっかけに、講座を受講されている本誌会員の宮本誠さんに講座で学んだことなどについて手記を綴っていただきました。
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○石垣づくりへの挑戦
太田川清流塾(以前はやまなみ大学)に「石垣づくりに挑戦」という講座があります。安芸太田町(旧加計町)の杉の泊ホビーフィールドで、ほぼ毎月1回、一泊二日で実際に石垣を築きながら、石垣の全てを学んでいます。
太田川上流には、戦国時代から各地の城の石垣を築いた滋賀県の穴太衆の「穴太(あのう)積み」という石積みの流れをくむ山県流石組の石工集団がありました。
昔は、安芸太田町、加計から三段峡まで石工が一集落に何十軒もあったそうです。多い家は親子で二人も三人も。しかし現在は、石工さんはほとんど引退し、数少ない棟梁の一人、上本宏美さんが私たちの先生です。宿泊は川・森・文化・交流センターに先生と一緒に泊まります。
現在の受講生は約10人、残念ながら女性はいません。一番若い人は30代の一人、半数は60歳以上で高齢化が進んでいます。
「講座は夕食が楽しゅうてね」と先生がいわれるとおり、夕食をいただきながら、先生の修行時代から、本格的な石組みの秘訣まで、石工談義に花が咲きます。
第一回目の講座は2004年3月、交流センターで石垣の研究者、佐々木卓也先生の講義を聞いたあと、加計町の石垣を現地見学、午後から杉の泊で組み始めたのが最初です。トンコ石(玉石)を鉤状に十数メートル、三段ほどの乱層積み(規則なしに石を積み上げ一番上だけは平らにする)で翌日完成。その後3年間かけて、自然の大小の石を組んだ庭園の石垣や、割石の整層積み(規則正しく積み上げる〜横の線をそろえたものは布組み)と玉石の乱層積みを組み合わせた石垣など、キャンプ場内に、写真のように六点ほど作ってきました。
この間、2006年9月には熊本城、10月には広島城を見学。
広島城見学の翌日には、杉の泊で地鎮祭を行い、広島城の天守閣をモデルに、5分の1のミニチュア広島城の石垣づくりに取り組みはじめました。根石は5m四方、高さは2・3メートル余りの石垣です。開始から1年以上経過しましたが、まだ半分には達していないように思います。これまでは玉石を購入したり、古い石垣の石を譲り受けたり、トンネルの建設現場からでた岩石をいただき、加工しながら利用してきました。いまは大きな石から、思う大きさの割石を作ったりもしています。
講座での体験は、何気ない道路端の石垣も、多くの時間と労力の注がれてきた様子を推しはかるようになりました。石垣をみる日が大きく変わったように思います。
○空積みの石垣と練積みの石垣
これまで作成してきた石垣はすべて空積みです。空積みとは石だけを積み上げて、石の間にセメントや漆喰など接着剤を用いない石垣のことです。石垣の裏側の石と石の間に、迫飼(せりがい)石や胴飼(どうがい)石などといわれる小さな石をを挟み込み、石が動かないようかませます。さらにその裏には割石や砂利などを分厚く詰めます。そうすることで、重圧や振動に耐え、排水も良好な石垣ができあがるのです。石の間にセメント等を用いたのを「練積み」といい、今日の石垣の一般的工法となっています。
山陽新幹線の橋脚は塩分を含んだ砂を使用したり、手抜き工事があったりして、セメントや鉄筋の劣化が大きな問題になっています。石も徐々に風化しますが、セメントはもっと早く劣化して、砂と砂利にもどるといえましよう。
近世初頭に築かれた多くの城郭の石垣は、400年ほど経た現在も、当時の姿を伝えています。今一緒に講座を受講している広島国際大学(元広島大学工学部)の石丸紀興先生らは空積みの特徴をつぎのように述べています。「経験的に空積み石垣の構造上の強度は確認されているとしてもよく、耐久年数に関しては練積み石垣よりはるかに勝るものであると言える」。また、石垣の基礎には松材が敷かれていることが多いのですが、「松材は400年近くを経年しているにもかかわらず、まだ十分に強度を保つものであって、その耐久性については全く問題ないばかりか、今日用いられている鉄筋コンクリート造の基礎より遙かに耐久性が優れていることが確認されている」と書いておられます。(「渓流整備のための石組み・石積み技法に関する研究」『キャンパス内砂防渓流整備とその評価に関する実験的研究』1999年、195頁)。一瞬、逆ではないかと目を疑いますが、松材の強さからみても、空積みは練り積みの石垣より、強度も耐久性も優れているのです。
また、地球の温暖化対策から考えても、空積みが優れています。セメントを生産するには石灰石を熱分解させるため、製造過程で大量の二酸化炭素が発生します。2000年度の数値で試算しますと、セメントは日本で7930万t生産されており、そこから5500万tの二酸化炭素が排出されたことになります。セメント1トン当たり690s、日本の二酸化炭素総排出量の4・4%余りになります。多くの温室効果ガスが発生しているのです。また、練積みを作りかえる場合、建設廃材は処分に困りますが、空積みはその石を材料にしながら、再び好きなように作りかえることができます。
このように、セメントを使わない空積みは自然に優しく、強度も耐久性も優れていることがわかりました。ただし、それは基本どおりに組まれた石垣で言えることなのですね。石垣の基本は、「一にカナバ、二に合端(あいば)、三に尻ガイ」といいます。カナバは私たちが目にする石垣の顔の部分。合端は石と石の接合部分のことで、3センチほどにくっいた「一寸合場」が望ましく、毛抜きのように接合面が狭い「毛抜き合場」は悪い代表でした。尻ガイは前述の後ろ側の詰め石をしっかりと詰めることです。師匠の上本さんはこの「三原則を守ったら、百年たっても狂うということはありません」といいます。これらの基本技術は「石垣づくりに挑戦」講座で師匠からΓ寧に教わることができます。どうぞ皆さんも練積み工法との違いを体験してください。
○石の目を見る
以前、「読者交流のページ」(73号)でご紹介したことがありますが。石は「割る」ものと思っていましたが、先生は「切る」といいます。玄能(げんのう)一丁で自在に石を切ります。「玄能が石に当たるときの角度によって、えぐったり、弾いたりする。兎に角、数叩かにやいけん。めげてもええけん、やってみにやいけん。そうすると自然に、刃物の角度いうのが身に付きだすけんね。そうすると思うとおりに切れるようになる」。先生は切りたいところに墨で線を引き、玄能をあてる位置にしるしをつけ、打つ順番、振り下ろす角度をていねいに教えてくれます。そうすると素直に割れることもあります。先生が目を離したとたん、石はもう言うことを聞いてくれません。できあがるものは木っ端だけ。
石を切るとき、大切なのは「目」です。木には木目があるように、石にも目があり、目をみながら加工するのです。「これが目じゃ、アテじゃ、シワじゃ、コウじゃ、と分かるようにならないけません」といいます。アテとかシワ、コウとかは石の割れやすさや、割れにくい方向などを表現した言葉なのですが、私はいまだに石の「目」は見えません。
大石を割るときには、割る方向に長さ6〜7cmで巾が2〜3cmの「矢穴」を掘り、そこに「矢」といわれる斧状の形をしたクサビを打ち込んで割ります。江戸時代の「矢」は樫で作られていたそうてす。矢穴の深さは2寸ほどありました。矢の頭には鉄の輪をはめて、矢穴の両側に鉄板を入れ、打ち込みます。その日に割れなければ、「水割り」といい、水を入れておくのです。樫の矢は水を吸って膨らみ、翌朝行くと石は割れていたそうです。お城の石垣には、石の角に矢穴の跡が残っているのをよくみます。私のように、目が見えない石工のあとでしょうか。石の表面に一列、そのまま残っているのもあります。割れなかったのでしょう。こうして割られた石を、組んでいきます。石は積むのではなく、組むのです。
○旅する職人「石工」
石工の多くの人は十五、六歳で弟子になりました。親が石工職人であっても「息子はあんたが教えたってくれいや」と、他人に預けたそうです。弟子の期間は三年、さらにお礼奉公が一年。「他の職人となんとか肩を並べられる」と、認めてくれたら、親方が大小の玄能二丁をくれ、弟子から卒業できたのです。上本先生は中学校卒業と同時に、父親から習い、二十歳前には独り立ちされたそうです。
「若い時分は一人でなきや、連れがおったらいけんのです。やり損ねたときは、バックも道具も全部おいといて、とん面(ずら)するわけですから。玄能はまた、金物屋で買えばいいんじやけん。身体だけ旅立つのです」と、喧嘩もたびたび、泣かしても泣かされんかったとか。「色んな初めての仕事にであって、苦労しました。色んな職人がおるでしょう。あの中で負けちゃいけんでしょう。若い時分、歩いてよかったよ。揉まれて」と、回顧されます。そして今は、「五十歳代のときは、がむしゃらに働きよった。六十歳になると、わしがマスターしたことを、地元の人に残しとかないけんのうと思い始めました。七十歳になると、物をつくるとき困ったことを、もう一寸師匠に習うときゃよかったのうと思うことも。じゃけえ、わしの目についた、胸にある、脳みその一部にこびりついとるやつを、みんなに早う教えとかな」と思うようになりました、と。美しい反りのある空積みの石垣を築く技術は失われようとしています。石垣に限らず、その風土で育った技術や文化が現代ほど多く失われようとしている時代はなかったのではないでしょうか。
「石垣づくりに挑戦」グループは、雁木組の依頼を受けて3月1日〜2日(悪天候の場合は15〜川日日に延期)、太田川の本川橋袂に残る「舟つなぎ石」周辺の石積みの修復作業を行います。興味ある方はお越しください。
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