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「地域」 |
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坪野の堤防築堤かさ上げに疑問
◇地元古老からの意見は…? ◇太田川事務所の見解は…? |
2007年4月 第72号 |
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国道191号線沿いの安芸太田町坪野。集落を囲む堤防新設かさ上げ工事が進んでいますが、この工事に地元のお年寄りたちから工事に対する疑念の声が持ち上がっています。本誌会員であり、坪野地区協議会の顧問の西藤義邦さんから本誌を通じて、国交省太田川事務所へあてた質問が提示されました。本誌では現地を取材し、この問題についての太田川事務所担当課の見解を聞きました(篠原一郎)
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集落を囲む「輪中堤」
この事業は一昨年9月の台風14号で水害にあった太田川中流域15地区を対象に、集落の周囲だけを囲い込む「輪中堤」を築いて、床上浸水を防ぐという計画で、特に堤防がないか不十分の地区、安佐北区の筒瀬と宇津、それに坪野の3地区を先行させるというもの、坪野が最初に工事開始になりました。坪野の工事は、これまで国道191号線の道路そのものが集落囲む堤防でしたが、今回の工事は道路の川側に、現在より1mかさ上げした堤防を長さ700m(大川全面の半分のみ)にわたって新設するもので、この3月には堤防の基礎工事が終わり、来年度中に完成の予定です。
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昔は中州だった坪野
広島市から安芸太田町加計に向かって国道191号線を約1時間、左が太田川、右側に大きなお寺(善福寺)と「鯉の里」の看板が目に入る、そこが坪野地区です。太田川の流れと右に連なる山の間に66世帯、146人が暮らしています。集落の東南端に安野発電所があり、その近くの山の中腹から集落全体を見下ろすと、近郷にまれな小平野の穏やかな山村のたたずまいが眺められます。
今は「鯉の里」として知られ、江戸時代、享保2(1717)年に太田川の水を引いて造られた用水路(坪野久日市用水)が集落内を流れ水質浄化のために飼われた鯉が「鯉の里」の観光に一役かっています。
この地域は江戸時代以前、中世の頃までは太田川の流れは地区の上にある善福寺の下で分岐して山裾を巡って流れ、坪野地区自体は中州であったということです。
その頃は、人々は山の上の方に住居を構え暮らしており、後になって山から下りて、現在の平地に住むようになったといわれます。山の上にはその頃の痕跡もみられるとの話です。地区の氏神様(大歳社)=文亀2(1502)年=が山の中腹から太田川に近い現在地に移されたのは中州への移住が進み、分流で参詣が不便になったためためとのことです。
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江戸時代の土木遺産「水刎」
「鯉の里」と共にここには、水害防止に関する江戸時代の土木遺産、「水刎(みずはね)」や河川敷きを石敷きで固めた「川除(かわよけ)」が今も残されていることでも知られています。
これは太田川の流れが坪野を囲むように西から東へ大きく曲線を描いて曲がっていることから、急流が対岸の「大前」にある大きな岩、「亀石」などにぶつかりそれが坪野側に直進する、その激流を大きな岩などで受け止め緩和させるために造られた土木施設(水制)です。
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それとともに、坪野地区自体が中州であったという元の地形が引き起こす水害にも備えて築かれたもので、今も立派に役目を果たしています(図参照)。
こうした歴史的な対策があっても、洪水の危険はこの地を襲い、昭和18~20年には道路(現在の国道)が流れたり、昭和47年には坪野の5分の1が水に浸かり、昭和63年にも土石流災害が発生しています。
今回の工事についてのお年寄りの疑念もこうした坪野の地形上の特徴や過去の災害経験に基づいたものなのです。
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古老の疑念は…
その疑問点は次の3点に集約されています。
@地区の下半分の築堤と河床掘削は他所に影響するのではないか?
現在の191号線道路をかねている堤防の川の内側に新たな堤防を築くことは、新堤防の幅だけ川の断面が小さくなる。その代替として河床を掘り下げて流量のキャパシティを確保する、という説明があったが、その結果は河床の掘削で深みができて、水が滞留して淀むようになる。ここはすぐ下流に水内川との合流点があり、この淀みは水位を上げて水刎のある上流部を襲い昔の流路から集落内に氾濫する恐れがあります。
A排水手段のない「輪中堤」は内部氾濫の危険がある。
坪野地区には裏山から2つの谷川をあわせた坪野川が、太田川に注いでおり、逆流に備えて水門が設置されることになっている。太田川の水位が上がれば水門は閉鎖される。その時、坪野川による溜まり水は排水ポンプによる排水がない限り地区内部から氾濫を起こす。排水ポンプの同時設置は必至のことだが、その点どう考えていますか?
B今回の築堤は両岸の対策を踏まえた広域設計になっているのでしょうか?
現在太田川右岸の国道433号整備に伴い「安水橋架け替え・河川改修」計画で、右岸左岸の総合的改良が図られ平成9年にルートが決定、「安水橋」を現在の100mぐらい上流に架け替えることになっているが、今回の築堤との関連については何も説明がない。現在、坪野の対岸は湯来町水内の大前原地区。ここには今、8世帯が暮らしています。昔、左岸を坪野村、右岸を下村(後の水内村)といった藩政時代から、対岸の堤が強化されれば、こちら側の洪水の危険が大きくなるという関係にあり、治水、利水共に相手側の動きには極めて敏感です。
戦前には坪野を直撃する急流の原因である「亀石」を破壊する要求が坪野側から持ち上がり、右岸の「大前原」地区は現在の堤を築くことを交換条件に「水面から上の爆破」を受け入れたという経緯もあります。両眼を含んだ総合的な計画を開示していただきたい。
以上が坪野のお年寄りの懸念を集約したものですが、これについて国交省太田川河川事務所工務第1課の富田道秋課長にお話を伺いました。
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河を狭めれば水の流れはスムースに…
川の内側に新しく堤防を作ることは確かに川の断面を狭めることになるが、その対策は、河床を掘り下げて流量のキャパシティを確保するように考えています。
また、この場所は川が西から東に大きく曲がっていて、東の坪野側は懐の内側になって現状では水が滞留するようになっています。これを川側に堤防を新設することで水の滞留する場所を狭め、、河床を掘削することで水の流れは反ってスムースになると考えています。
というお話で、地元の意見とは逆に水の流れはよくなるという見解です。
そこで、さらに現在の新堤防は「水刎」岩の少し下流から築堤されていて、地元の認識では「亀石」との関係や昔の地形が「水刎」の少し上流に分流点があったことから、その辺りが水防上の弱い点という認識があり、今回の新堤防がそれをカバーしていない点が心配の種になっていることを指摘しましたが、富田課長は「その地点は堤防を前出して築く面積の余裕があるかどうか分からないが…。今回の事業は地区の床上浸水を防ぐ緊急の対策ということで現在より1m堤防を高くする設計で、その地点は設計の対象外になった…紺が必要があれば、検討したい」と話します。
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地区の内側の氾濫は認識
坪野川については、管理している県と調整を進めています。県は坪野川の川幅を広げる計画を立てていますがまだ予算はついていないと聞いています。川幅が広がれば反乱が起きてもこれまでよりは被害は小さくなるだろうと考えています。水門を設置することについては、これはあくまでも、太田川本流の水が逆流して大きな被害になるのを防ぐことが目的で、水門を閉めた場合、地区の内側に水が溜まり氾濫する、という心配は十分我々も理解しています。ポンプの設置は今後検討する必要があると思っていますが、今の事業では計画していません。水門の大きさも、県の川幅を広げる計画との関連で考えていくので、当面は暫定的なものになります。
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大前原も堤防対策
「安水橋の架け替え」は県と広島市の事業で、平成9年に付け替えの場所は決まっているが、事業実施が平成22年以降になると聞いています。
坪野の対岸の大前原地区、小原地区含めての今回の床上浸水対策事業としては、今後5年以内に完成させる計画です。大前原については地区の西側にある今は水が流れていない河道を掘削して水を通し、掘削することによって弱まる護岸を整備し、必要があれば堤防を高くする計画です。護岸を整備するのは掘削した河道と一部坪野に面する側も考えています。これから設計して現地にも説明することにしています。
今後5年間の計画なので、「安水橋架け替え」との関連は県と広島市の事業開始にあわせて、調整の必要があれば協議しながら進めたいと考えています。
以上が地元のお年寄りの疑念に関する太田川河川事務所の見解です。太田川事務所としては、当初は堤防築堤を今年度(平成18年度)中に完成する予定だったのが、工事が遅れて平成19年度にずれ込んだこともあり、そのこととあわせて地元の方々への説明間を開きたいという意向です。
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取材者コメント
坪野は治水、利水両面で歴史の積み上げがある所。お年寄りも水の問題には敏感です。緊急対策で短期間工事の事業だけに残された課題もあります。今は現場の古老の経験や意見を活かしつつ近代技術を駆使することが求められている時代です。工事を施工する方々に地元住民への一層の心遣いと丁寧な対応を望みたいと思います。
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