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水産研究部長のアユ四方山話〜アユの親魚放流の巻〜 |
本誌編集部 安江 浩
2008年10月 第90号 |
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アユの親魚放流
今年の秋は出水が少なく落ちアユの多くは高瀬堰より上流にとどまっているようだ。太田川漁協の関係者によると、このような年には三篠川、根の谷川が出合う合流点付近から上流に主要な産卵場が形成されるそうで、生まれた仔魚は高瀬堰湖の中に滞留して海にたどりつけず死んでしまう懸念がある。そこで始まっだのが天然溯上アユの復活に向けて高瀬堰の下流に産卵間近の親魚を放流する作戦だ。今年は10月18日(土)に安佐大橋(山陽自動車道の架かる橋)の下流の通称ヤナギの瀬で行われる。平成15年から始まったこの作戦も6年目を迎えた。環・太田川でも何度か取材で取り上げてご記憶の方も多いかと思う。「写真1」
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さて、この作戦は功を奏しているのだろうか? 皆さんの関心事は我々の関心事でもある。
ただ、この効果の検証は大変難しい。溯上してきたアユを捕まえても天然の親から産まれたものなのか、親魚放流によるものなのか区別がつかない。水産海洋技術センターでは平成16年から4年間、アユの発眼卵に標識をする方法で溯上までの追跡を試みた。発眼卵とは受精したアユの卵の発生が進んで卵の中に黒い眼が観察される状態のものをいう。親のアユは親魚放流に使われるものと同じもので、人工授精して7日目くらいに特殊な色素を溶かした水に卵を漬けると、前々回に書いたように耳石が染色される。この結果、少ない年で3億尾、多い年で15億尾のふ化仔魚が海へ下ることが推定され、水量が多い年ほど流下量も多いらしいというところまでは分かった。
[写真2]
さらに、高瀬堰の運用を改善すれば、よりスムースにふ化仔魚を流すことが可能であることも分かり、常時開放している左岸側のゲートを右岸側へ変える実験が今年も国交省の手で行われる予定である。
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河口域の調査
問題は海へ下った後の話である。河口域の稚アユの生息しそうな場所をしらみつぶしに探すと、何匹か採れるのだが大量に採れない。前回採れた場所で次は採れない。陸からの調査では川へ降りる場所が無かったり、工場の敷地などで立ち入り禁止であったり、車を止めて調査をしていると警察に電話をされたりして苦労のわりに得るものが少なかった。それにしても、広島市の河口域は市民が海(川)とふれあえる空間がほとんどなく、おのずと海への関心が薄れてしまっていないだろうか。野外調査では地元の方から貴重な情報がもたらせられることが多いのだが、アユの生息情報に関しては全くなかった。海の調査で、ひょっとするとアユの生息環境そのものが既に失われているのではないかという疑問がつきまとう。この研究ではその辺も明らかにしたかったのであるが、アユを探すことに時間が費やされて検討するまでの材料が得られなかっだのは残念であった。
天然遡上はあるのか
太田川でアユの天然溯上に関する調査は、昭和42年に大芝水門[写真3]と祇園水門で調査記録があるがそれ以外は皆無に等しい。42年の調査では4月12日から5月13日まで毎日4回、30分間岸寄りの遡上が多い場所で目視により計数し、この期間に大芝水門で3万4千尾、祇園水門で5万4千尾が遡上したと推定している。同時に行われた沼田川の調査では同じ方法で86万尾の遡上を確認しており、河川の規模やその年の漁獲状況から太田川でこの方法では過小評価する可能性が高いことを指摘している。我々の調査目標は標識した稚魚を見つけ出すことなので、とりあえず稚魚を捕まえないといけない。高瀬堰の両岸にある魚道ではかつてサツキマスの溯上調査でアユが混獲されており期待がもてた。しかし、高瀬堰の下流にも人工産のアユが放流されることから、天然溯上と人工産との区別がつかなくなる懸念がある。そこで用いたのが河川調査に用いられる定置網である。
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場所は楠木町の崇徳高校の前で、正面がアルソックホールである。網の設置は市内水面漁協の方の助けを借りながら職員総動員で行った。川とはいえこの辺でも干満差が大きいので、支柱を立てるのは干潮時に行い満潮に網を張って、再び干潮時に網の裾を支柱に取り付けるという時間に追われる作業であった。「写真4」 【写真5】
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天然溯上を確認したが…
写真は調査も3年目となった平成19年3月に設置したもので。手際良く設置できているが。3年間には色々なことがあった。設置した直後に大雨で流されたり、大型ネズミ類のヌートリアが網に紛れ込んだりした。肝心のアユは17年が300尾。18年は1300尾。19年は300尾が入網し、間違いなく天然の遡上はあるのだが、その規模は想像したほど大きくない結果となった。もちろん、この調査では対岸側を上るアユを調査できないし、京橋川や猿候川さらには放水路を上るアユも手がつけられていないので、全体へ引き伸ばすには誤差があり過ぎる。標識したアユも発見されなかった。標識したふ化仔魚は100万尾で、種苗生産の現場では決して少なくない数ではあるが、自然流下するふ化仔魚の数からいえば1000尾に1尾いるかいないかというレベルである。流下するアユ仔魚の数も想像以上に多かったのも誤算のうちであった。ともあれ、採集したサンプルは11月から12月にかけて生まれたものが主群で親魚放流の効果を支持するものであったが、年による変動も激しくその効果を検証するには至っていない。今年から別の方法で検証を試みる予定であるが、毎年の環境変動とアユの生残との関連については研究が追いついていないのが現実である。
高知の四万十川で20年もアユの研究を続け「アユの本」という本を出された高橋勇夫さんによると、最近の四万十川ではアユの天然溯上が極めて不良で、流下したふ化仔魚の0.05パーセントしか溯上してこないそうである。0.05%といえば2000尾流下して1尾が帰ってくる計算で、太田川がもし同じような回帰率であれば多い年で75万尾、少ない年で15万尾程度が溯上することになる。太田川の河川規模からみて最低でも100万尾の天然溯上は欲しいところで、例えば産卵場の造成や改良など親魚放流に加えて新たな増殖手段を検討すべきかもしれない。そのためにも、地道な研究の継続で答えを出していかないといけないと身の引き締まる思いである。
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