生態系・里山・里海

湿原・干潟

八幡湿原再生・工事開始
環境を戻し自然の回復力を図る
2007年7月 第75号


 豊かな生態系を保つ湿地は「生命のゆりかご」とも呼ばれ、生物多様性を維持する大切な環境として保全の必要性が叫ばれています。太田川上流の北広島町八幡、標高800mに広がる盆地に点在する八幡湿原は日本の湿原分布の南限といわれ、学術的にも重要な位置にあります。

 しかし、人々の暮らしの変化に伴い、面積が減少、最も大きい尾崎谷湿原もこの25年間に3.5haも減っています。この八幡湿原の自然を復元しようとする取り組みは「西中国山地自然史研究会」(1994年設立)によって、2002年から調査研究が始められました。03年に県の事業として引き継がれ「八幡湿原再生協議会」が04年に結成され全体構想がまとめられました。そしていよいよ今夏、まもなく土嶽地区の県の所有地で「霧ヶ谷湿原」(八幡地区住民の公募で命名)の自然を再生する広島県の事業として、着工されます。

 そこで、県の自然環境保全室と現地の「高原の自然館」学芸員、白川勝信さんを訪ね、この事業について取材しました。(篠原一郎)

 

霧ヶ谷湿原

 県道、八幡雲耕線の八幡高原の入口であるトンネルを抜けて坂を下ったところを左に曲がると「二川(ふたごう)キャンプ場」があります。ここから右手に「高原自然の館」に向かう道路に沿って広がる藪の原が、この湿原再生事業の対象地「霧ヶ谷湿原」(1.76ha)です。道路の左側の奥から、樽床ダムに注ぐ太田川の最上流、柴木川の水路(約700〜800m)が対象地区の中を貫いて流れています。
 昭和61年までは、牧場で、牧草栽培のために水路を造り水を抜いていました。今回の工事はこの三面コンクリート張の水路の側面を撤去して素掘りの溝に変え、数か所の堰を設けて水を一体に巡らせて湿原の復元を図ろうというものです。工事は3年間(予算約1億1千万円)の計画です。
 
特徴は協議会が事業の主体

 この事業は、平成15年に施工した「自然再生推進法」に基づいて行われますが、その目的や事業遂行に関して、大きな2つの特徴があります。
 
@工事の目的について

白川さんの説明によると、この法律は「人間が回復不可能なダメージを与えてしまった、自然環境をその環境を元に戻すことによって、自然の回復力により復元を図る。という考え方で進められるもので、その点河川で行われている多自然型工法とか、ビオトープづくりなどと違って、他から植物などを移入することなどはしない」という話。あくまで牧場以前の昭和30年代の湿地環境に戻すことで、その頃の生物生態系を復元するのが目的だということです。

A事業主体と工事の進め方

事業を進めるにあたって「八幡湿原再生協議会」が組織されましたが、事業全体は、この協議会の協議によって進められるということです。
協議会は、総数36人、中越信和広島大学教授を会長として、専門家3人、地元住民代表3人、それに公募委員として25人(個人15人、団体10人)それに行政関係者という構成です(表参照)。公募団体にはこうした民間の団体が夫々主体的に計画に関わりそれぞれの立場から提案し、チェックをしながら事業を進めていくということです。工事自体は県が担当しますが例えば「西中国山地自然史研究会」はここで環境学習をやる。「高原の自然館」は小学校と総合学習の授業をやる。地元の団体は観光利用を考える。というようにそれぞれが独立してそれぞれの事業を考え、その調整を協議会でしながら全体を進めていくということで、そういう事業遂行の過程が大変大切になります。現在は県の工事が協議会の中心の議題になっていますが、今後は完成後の管理や普及活動についてあわせて考えていくことになるということです。

 
工事の内容は?

 今、現地に行くとススキ、ノイバラ、ハルガヤや潅木が茂り、周りは赤松林に囲まれています。水路の回りはほとんど湿地はなくなっていますが、湿地のかけらがあちこちに見られるという状態で、所々に湿地性の潅木ハンノキが茂りハンカイソウが黄色の花を咲かせています。
 工事は三面張りコンクリートの側面を撤去し素掘りの水路にして、導水路の支線を作りその下に等高線状に溝を掘って水を溜め、湿地の復元を図るもの(図参照)。
 工事全体は3年間、1年目で上流部半分をやり、その時点で問題が出れば下流部の工事方法も変更するかもしれない。湿原再生というのは他に事例がなく、実験的な部分も大きいので工事を進めながらモニタリングをしていくことが重要です。調査をしながら工事を進め、情況の変化によっては、工法を変えることも検討するという進め方です。県は独自にモニタリングをしますが、「西中国山地自然史研究会」もこれまで事前の調査研究をしてきて、それを続行していく予定です。
 
復元の可能性…
事前調査の結果は


 県のモニタリング調査では対象地区の40地点に井戸を掘り、地下水位の変動を調べています。1ヶ月に3回全地点で計測、内5地点は自動的に毎時間記録をとっています。事前の調査では、全体としてはかなり乾燥していることが解っています。他の地区でのこれまでの調査の結果では、水位が40p以下になると、赤松の林になり、ミズゴケがあるような湿地は、年間で水位が低い時でも、10pあり、湿地としては地面から10p以上ないといけないことが分かっています。
 
実験地の植生の変化は

 また「西中国山地自然史研究会」では、02年から実験地を造って導水路の下手側に等高線状に波板を埋め込み、棚田を作るように水が水平に広がるように溜めてまわし、そこでの食性の変化を見ることを続けています。
 実験地にヨモギ、ススキなどが見られる乾燥した場所もあれば、オタカラコウやヨシの生えるやや湿った所、ミズゴケのある湿原など様々な植生がみられましたが、その後、3年間の植生の変化を調べた結果は、配水の影響を受けた場所では、湿原性の植物が増加し、陸生の植物の植生より優先度が高くなることが分かりました。
 優先度だけでなく、種類も増えましたが、もともと乾燥していた場所でも種類数が増えたことから、新たに出現した湿原生の植物は地面の下の趣旨が芽生えたのではなく、近くに残っていた湿原からやってきた種子によるものと考えられるということです。
 

 両生類の調査では、カスミサンショウウオについて、現在は山際にいるだけで、道路と水路の間の地帯には全くいないのですが、産卵場所が広がるのではないか、という期待からの産卵場所の調査、夜間ライトをつけて昆虫を採集する昆虫調査や水生昆虫についても調査が行われています。また、県の絶滅危惧U類の蝶々、美しいヒメシジミについてもその生息環境が八幡地区一帯で調査されています。
 

草原性の渡りの鳥復元に期待


 更に、環境保護、湿地保全の先駆的国際条約として知られるラムサール条約で水鳥の棲息地として注目される鳥類の調査は、05年秋、比較のために、近くのヨシ原が残っている千町原と霧ヶ谷2か所で、かすみ網をかけて捕獲調査を行いました。
 結果は、ヤブサメ、メボソムシクイ、オオルリなど森林性の鳥類が捕獲され、夏鳥の渡り鳥の中継地になっていることが明らかになりました。千町原ではノゴマ、ノビタキ、などの草原性の鳥が捕獲されましたが、近年草原性鳥類の減少が指摘されており、今回の湿地復元で、本州中部以北で繁殖する草原性鳥類の復元が期待されています。
 以上のようなこれまでのモニタリング調査から、霧ヶ谷では湿原の環境が復元されれば、以前棲息していた多くの生物が戻ってくるであろうということが確認されつつあるということです。
 
八幡湿原の価値

 八幡湿原は1〜1.5mの泥炭層で出来ていて6000〜8000年前に生育していた植物の遺体が堆積して今の湿地ができたといいます。それよりずっと以前、日本列島は大陸の一部だったが、1400万年前ごろに日本海ができていまの形になった。以前は大陸の生物が一様に分布していたが氷河期が終わり氷河が交代すると動植物が、寒いところに移動していった。そして標高の高い八幡湿原に生き残った。それを「氷河期の遺存種」といいますが、その生息環境が、湿原という豊富な生態系をもつ自然環境に守られてきたということでしょう。
 こうした自然環境は、山焼きや草刈りという人々の暮らしや農業の活動ともうまくかみ合って持続されてきましたが、暮らしの変化と共に湿原は減少しています。
 今回の事業は、八幡湿原全体から見れば限られた地域の実験的な挑戦ですが、今地元で取り組まれている、山焼きや草刈りによる伝統的な草原の復元の努力とあわせて、人間社会の在り方と自然の関係を考えながらこれからの事業の展開を注視していきたいと思います。

※工事内容の図と現地地図は八幡湿原自然再生協議会発行のパンフレットより転載しました。
 
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