生態系・里山・里海

湿原・干潟

芸北の自然を復活!
「八幡湿原と草地の再生へ」
〜高原の自然館・白川勝信さんに聞く〜
2005年12月 第56号


 本誌「太田川水系の生きものたち」に今年の9月号(53号)から植物について執筆いただいている白川勝信さんは、北広島町芸北にある「高原の自然館」の学芸員として芸北地域の自然を研究し、訪れる自然愛好家や小中学生に芸北高原の自然について講話をしたり見学会を開催したりする仕事に従事しておられます。
 芸北高原では、最近「八幡湿原の再生」や「雲月山の山焼き」による草原の復活への取り組みが始められています。その活動について、現地の白川さんを訪ねて、芸北高原の自然の復元についてお話をうかがいました。(篠原一郎)

 

 
芸北高原の自然館ホームページ
(山県郡北広島町東八幡)
 
「芸北高原は日本列島で、南限の生物がいくつもあって貴重な生物の宝庫といわれるのですが、その原因は?」

 
 氷河時代の生き残り 

 日本列島は大陸の一部で、約1400万年前に日本海が出来て今の形になりました。それ以前は大陸の生物が一様に分布していたわけですが、氷河期が終わり、氷河が後退する中で動物や植物も寒い所に戻っていきました。この芸北は標高が高くて(標高700〜800m)寒いので、島のようになって、ここに氷河期の生き残りの生物が残ったと考えられています。
 
 
「芸北高原の中でも八幡湿原が珍しい生物の生息地として知られているわけですが、そのわけは?」
 

八幡湿原は生き物の宝庫 

 かつて八幡地区一帯は湖だったらしいのですが、三段峡が削れて水がなくなり、その跡は平らな所なので一帯に沼地が出来たわけです。湿原は泥炭層でできていて、1mぐらいあります。調べてみると、下の方は6000〜8000年前の泥炭があるので、その頃に生育していた植物の遺体が蓄積しはじめて今の湿地が出来ているということです。そこに人間が入って開拓して、今の田園があるわけですが、真ん中の広い面積は開拓されて田んぼになり、山際など開拓の条件が悪い所が湿地として残されていました。そこに昔からの植物が残っています。「リュウキンカ」「カキツバタ」「サギソウ」トンボの「ヒロシマサナエ」など多様な動植物が確認されており絶滅危惧種も多いので、西日本の貴重な湿原として環境省の重要湿原500にも選定されています。
 
 
「その八幡湿原も面積が狭くなっているということで調査研究を進めてきた『八幡湿原再生協議会』(会長・中越信和広島大教授)が先月再生構想をまとめ発表されたわけですが、湿原の現状は?」
 

 湿原減少の原因は? 

 八幡湿原は一つの湿原ではなく、あちこちに点在する湿原の総称です。昭和30年代には34ha以上ありましたが、今は約5haに減っています。一番大きな尾崎谷湿原も4haから現在は1.13haと、3分の1に減ってしまいました。

その原因は昭和50年代に行われた水田の圃場整備です。以前の八幡湿原では柴木川が蛇行していたのですが、水田を乾田化するために河川を直線化して河床を掘り下げ、道路や水路をコンクリートで固めたことで、八幡盆地全体の排水が促され、湿原も乾いていったのです。

第二の原因は、周辺の山の管理が変わったことが挙げられます。昔は、里山文化といわれる、農業や暮らしとかみ合った山の利用がありました。山の落ち葉や下草を集めて牛の餌や堆肥にしたり、薪炭用に雑木を切ったりしていましたが、それらをしなくなり、山に大きな木が育つようになりました。森林が発達すると湿原へ供給される水量が変化すると同時に、栄養分も多くなって湿原の生態系に影響します。

 これらに加えて千町原地区ではもう一つの原因があります。旧芸北町は昭和40年代に牛を育てる畜産基地として大規模草地開発事業を行ったのですが、表土を剥ぎ取り、肥料を施し牧草の種を播きました。種に混じって「セイヨウトゲアザミ」「オオハンゴンソウ」など外来の植物も入ってしまいました。
 

 
再生事業開始 

 八幡湿原の再生は、去年から県の事業として取り組むことになり再生協議会も去年スタートしました。それ以前から湿原再生についての調査は続けられていたので、それを基礎に研究者や行政担当者、住民代表で26人の委員が千町原のもと八幡牧場だった所、約20haを湿原に戻す構想をまとめました。千町原は「高原の自然館」があり、世界的植物学者、牧野富太郎博士が昭和8年に八幡原を訪れた時、「カキツバタ」の自生地を見て感激し、その花汁を着ていたワイシャツに擦りつけて詠んだ句の句碑(句=衣にすりし昔の里か燕子花=燕子花はカキツバタのこと)が建てられている地域です。

 来年には具体的な設計に入りますが、基本的には昭和30年代前半の牧場造成前の状態に戻すことが目標です。水路を撤去したり、牧草を増やす為に盛った土を取り除いたり、本来湿原に生えない樹木や外来の牧草などを除去してあとは自然の力で再生させていく計画です。自然の再生は、10年以上続けてやっと確かな結果が確認できるようなことで、息の長い仕事になります。これまでは、自然保護というと、「開発か、自然保護か?」というような二極対立の問題だったと思いますが、今は湿原の価値そのものが評価されて、その復元自体がテーマになっています。地球環境の保全にとっての生物多様性の大切さが身近に認識されつつあることを感じます。
 

草地の再生〜
「山焼き」と「草刈り」
 

 湿原の再生ともう一つの取り組みが、草地の復元です。先月は「芸北文化ホール」で「芸北草地シンポジウム」が開かれ、85人の人々が参加しました。かつては全国土の1割以上は草地の面積があったのですが、今は、わずか3%にまで減少しています。地元の方とお話する中で、その草地の復元を考えようということになり、今年の春、雲月山で山焼きが再開されました。
山焼きは冬に積った枯れ草などを焼くことによって、春の春の若草の芽立ちをよくする、青草を生やすための作業です。約8haを焼くために、150人ものボランティアと約50人の地元の方が集いました。また湿地再生事業地の千町原では去年と今年、樹木の除去や草刈りのイベントを2回開いています。刈った草は農家へ提供して堆肥などに使います。

 いずれも芸北の自然に関心のある広島市民の人々と地元の方との共同作業です。過疎化が進んだ芸北では、このような活動は都市の人々の手を借りなくては、とてもできません。最初にお話しした山の里山利用と同じように、草地も山焼きや草刈りをして、餌や堆肥にするなどの継続的な利用と管理があって初めて維持されるものです。こうした人間活動がなくなって失われた草地では住みかを奪われた動植物に変化が起きています。秋の七草を一度に全部見られる所はもう少ないですが、雲月山では6種類まで確認しています。他にも草地ということでいえば、「マツムシソウ」「ワレモコウ」なども多く見られます。放っておいて森林になってしまうと、こうした草原性の草花はなくなってしまいます。秋の七草の「キキョウ」「フジバカマ」はもう絶滅危惧種になっています。
 

 
自然保護のカギは生物多様性を守ること 

 このように昔の農業や暮らしに草原を活かし利用してきたことを復活して、そこに生きる生物を保護していこうというわけですが、自然保護というと人間は手を入れないことが保護だ、という考え方もあります。山焼きの時も、「今、焼かなくても木が育って、いずれはブナ林になる。その方が自然じゃないか」という声も聞かれました。

 確かに奥山のブナ林など、人が手を加えないほうが豊かな自然を維持できる所もあります。しかしもうちょっと視野を広くして全体を見てみると、自然というのは沢山の生き物が生きていけるのが多分、自然ということなのではないか、と思うのです。ですから自然には、ブナ林もあるし、湿原や草地もあります。大切なことは、今いる生き物がそのまま安定して、生活を続けられるような多種多様な環境が維持されることだと思うのです。だからそこにしか生きられない生物がいる草地や湿原が大切なのです。
 
「どうもありがとうございました。」
 

取材者コメント・・・

 白川さんは「自然の再生を一時の運動として取り組みたいとは思わない」といいます。そこには「人間も自然の一員として捉え直し、自然を再生する活動が参加者にとって利益になること、暮らしに役立つものにならなければ、自然に循環する安定した営みにはならない」という生態学者らしい考え方があるのだと思います。自然とかみ合った昔の慣習の復活がどういう形で地元の人々にまた都会からの参加者に利益をもたらすのか?その答えは参加する人々の気持ちの中に育ちます。広い視野でそれを見つめながら無理をせず、確かな歩み続ける姿勢に、浄土真宗、親鸞聖人の晩年の境地といわれる「自然法爾」(じねんほうに=人為をすてて仏におまかせする=おのずからそうなること、、そうであること)という言葉を思い出しました。
 
 
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